第三話 Sランクパーティの崩壊
王都の大通りを、三人の男女が闊歩していた。
すれ違う人々が、畏敬と憧れの眼差しを向ける。
煌びやかな白銀の鎧を纏った勇者グラン。
深紅のローブを翻す天才魔導士ヴォルフ。
そして、聖なる慈愛を湛えた微笑みを浮かべる聖女エリナ。
彼らはSランクパーティ『銀の翼』。この国における冒険者の頂点に立つ英雄たちだ。
「ははっ、見てみろよあの視線。今日も俺たちは注目の的だな」
グランが機嫌よく鼻を鳴らした。
昨日、あの忌々しいお荷物を追放してからというもの、彼の気分はかつてないほど高揚していた。
「ええ、そうですわね。空気が美味しいですわ。陰気な誰かさんがいないだけで、世界がこんなに明るくなるなんて」
エリナが鈴を転がすような声で同意する。
彼女の美しい顔には、一点の曇りもない。これまでパーティの「顔」として振る舞う裏で、常に魔力切れの不安――実際にはレインが肩代わりしていた負担への無自覚な不安――を感じていたが、今日はなぜか万能感に満ちている気がした。
それは、グランの腰にぶら下がっている新たなアイテムのおかげだろう。
「この『賢者の石』、すげぇぞ。持ってるだけで力が漲ってくる気がしやがる」
グランが腰の巾着を撫でた。
中には、妖しく脈動する紫色の魔石が入っている。
王都の闇市場とも繋がりのある魔道具屋で、大金貨数百枚という破格の値段で手に入れた代物だ。店主は「古代の遺産だ」と言っていた。
「レインのやつ、最後に負け惜しみを言ってましたけど、滑稽でしたねぇ」
ヴォルフがニヤニヤと笑いながら杖をもてあそぶ。
「『俺が毒を濾過していた』だっけ? あいつ、自分の頭が悪いからって、俺たちまで馬鹿だと思ったのかな。魔力に毒があるなんて、おとぎ話レベルの迷信だろ」
「全くだ。俺たちが今まで魔法を使えていたのは、俺たちの才能と強靭な肉体があったからこそだ。あいつはただ横で見ていただけの寄生虫だったってことさ」
グランは断言した。
彼らにとって、レインの献身は「存在しないもの」だった。
苦痛に歪むレインの顔は「演技」であり、彼が供給する魔力は「あって当然の空気」だった。
だから、それがなくなったところで何も変わらない。むしろ、報酬の分け前が増える分、プラスしかない。そう信じて疑わなかった。
「さあ、着いたぜ」
三人が足を止めたのは、王都の北に位置する『奈落の渓谷』。
推奨レベルAランク以上。深層にはSランクモンスターも生息する、高難度ダンジョンの入り口だ。
「今日はここで新しい装備の試し斬りといこうぜ。目標は地下5階層の『アダマン・タートル』だ」
「いいですねぇ。あいつの甲羅は高く売れる」
「ふふ、私の新しい回復魔法もお見せしますわ」
彼らは意気揚々と、暗い洞窟の入り口へと足を踏み入れた。
それが、地獄への片道切符であるとも知らずに。
◇
ダンジョンに入って三十分。
今のところ、探索は順調だった。
現れるのはCランク程度の雑魚モンスターばかりで、グランの剣技だけで蹴散らすことができたからだ。
「おいおい、手応えねぇな。もっと骨のあるやつはいないのか?」
グランが退屈そうに大剣を肩に担ぐ。
これまでは、レインが索敵やマッピング、荷物持ちといった雑務を全てこなしていたため、進行速度はもっと早かった。だが、彼らは「雑魚処理に時間がかかっていない」という事実だけで、自分たちのパフォーマンスが向上したと錯覚していた。
「お、来ましたよグラン。あれは……『ヘル・ハウンド』の群れですね」
ヴォルフが指差した先。
通路の奥から、燃え盛る炎を纏った黒い犬型の魔物が十数体、現れた。
Bランクモンスターの集団だ。物理攻撃が通りにくく、魔法での殲滅が推奨される相手である。
「へっ、ちょうどいい的だ。ヴォルフ、お前の出番だぞ。派手な一発で消し飛ばしてやれ」
「了解です。見ててくださいよ、この新しい杖と『賢者の石』の威力を!」
ヴォルフが一歩前に出る。
彼は自信満々に杖を構え、詠唱を開始した。
これまではレインから供給される「安全な魔力」を使っていたため、彼自身の魔力タンクは常に満タンに近い状態だった。だが今日は違う。
消費した分は、グランが持つ『賢者の石』から補充すればいい。
あるいは、このダンジョン内に漂う濃厚な魔素を取り込めばいい。
彼は無意識のうちに、周囲の空気を深く吸い込んでいた。
「集え、紅蓮の炎よ! 我が敵を焼き尽くせ――『爆炎地獄』!!」
ヴォルフが最大級の攻撃魔法を放った。
杖の先から膨大な熱量が奔流となって解き放たれ、ヘル・ハウンドの群れを飲み込む。
轟音と共に、狭い通路が灼熱の炎に包まれた。
威力は申し分ない。魔物たちは断末魔を上げる暇もなく消し炭になった。
「ははっ! 見ろよこの威力! レインがいない方が調子いいじゃねぇか!」
ヴォルフは歓喜の声を上げた。
だが、その直後だった。
「……ぐ、っ?」
ヴォルフの笑顔が凍りついた。
杖を持つ右手に、違和感が走る。
最初は指先がピリピリと痺れる程度だった。しかし、それは瞬く間に激痛へと変わった。
まるで、血管の中に煮え滾る鉛を流し込まれたような、焼けるような熱さ。
「あ、ぐ……!? な、なんだこれ……熱い、手が……!」
ヴォルフは杖を取り落とし、右手首を左手で握りしめた。
見れば、皮膚の下の血管がドス黒い紫色に浮き上がり、不気味に脈打っている。
「おいヴォルフ、どうした? 何を遊んでんだ」
「ち、違いますグラン! なんか、腕が……変なんです! 痛い、凄く痛い!」
「ああん? 魔法の反動か? お前、久しぶりに大技使ったから体が鈍ってんだろ」
グランは呆れたように吐き捨てた。
魔法使いが強力な魔法を使えば、多少の反動があるのは常識だ。だが、これまでのヴォルフはレインのおかげで「無反動」に近い状態で魔法を連発できていた。その異常なまでの恵まれた環境を、彼らは自分の実力だと勘違いしていたのだ。
「しっかりしてくださいヴォルフさん。回復しますわ」
エリナが優雅な動作で近づいてくる。
彼女は聖杖を掲げ、ヴォルフの右手に向けた。
「聖なる光よ、癒やしを与えよ――『治癒』」
エリナが詠唱する。
淡い光がヴォルフの腕を包み込む。
本来なら、これで痛みは引くはずだった。
しかし。
「ぎゃあああああああああああああっ!!!」
ヴォルフが絶叫した。
癒やされるどころか、光に触れた瞬間、彼の腕の血管が破裂し、血飛沫が舞ったのだ。
「えっ……? き、きゃああっ!?」
エリナが悲鳴を上げて後ずさる。
ヴォルフは泡を吹いて地面に転げ回り、のたうち回っている。
「い、痛い! 痛い痛い痛い! 腕が腐る! 中から溶けるぅぅぅ!」
「な、何をしたんだエリナ! 回復魔法だろ!?」
「わ、わかりません! いつも通りにやったはずなのに……!」
「くそっ、どうなってやがる!」
グランは舌打ちをした。
ヘル・ハウンドは全滅させたが、その奥から新たな魔物の気配が近づいてくる。
血の匂いに誘われて、さらに強力な魔物が集まってきているのだ。
「お前ら、しっかりしろ! 雑魚相手に何やってんだ!」
グランは二人を怒鳴りつけ、大剣を構えた。
だが、彼自身もまた、まだ気づいていなかった。
このダンジョンの空気が、どれほどの猛毒を含んでいるかを。
そして、自分が頼りにしている『賢者の石』が、実は「毒の塊」であることを。
「俺がやる! ……くそっ、MPが足りねぇな。おい、石を使わせろ!」
グランは腰の『賢者の石』を掴んだ。
魔力を吸い出す。
石から流れ込んでくるのは、強大だが、刺々しいエネルギーだった。
それを体内の魔力回路に通し、身体強化スキルを発動させる。
「うおおおおっ! 『剛力』!!」
全身の筋肉が膨張し、血管が浮き出る。
力が溢れてくる。だが同時に、全身の神経をヤスリで削られるような不快感が走った。
(なんだ……? なんだこの感覚は……)
グランは違和感を無視して、迫りくる『アイアン・ゴーレム』に斬りかかった。
ガキィィィン!!
大剣がゴーレムの装甲を捉える。
だが、硬い。以前ならバターのように斬り裂けたはずの鉄の塊が、今日はやけに重く感じる。
「らぁぁぁっ!!」
渾身の力を込めて押し切ろうとした、その時。
バチィッ!!
グランの右腕の中で、何かが弾ける音がした。
筋肉の繊維が、魔力の負荷(毒性)に耐えきれず、内側から千切れ飛んだ音だ。
「ぐ、がぁぁっ!?」
力が抜ける。
大剣が手から滑り落ち、カランと虚しい音を立てて地面に転がった。
無防備になったグランの胴体に、ゴーレムの裏拳が直撃する。
「ごふっ……!!」
グランはボールのように吹き飛ばされ、岩壁に叩きつけられた。
背骨が軋み、肺の中の空気が強制的に吐き出される。
口からごぼりと鮮血が溢れた。
「グ、グラン様ぁっ!!」
「う、うう……嘘だろ……俺が、一撃で……?」
グランは霞む視界で、自分の腕を見た。
右腕が、どす黒く変色し、倍以上に腫れ上がっている。
動かない。感覚がない。いや、熱い。燃えるように熱い。
これは打撲や骨折の痛みじゃない。
細胞そのものが壊死していくような、根源的な恐怖を感じる痛みだ。
「ど、毒……?」
その時、脳裏に昨夜のレインの言葉が蘇った。
『この世界の魔力は猛毒を含んでいる』
『俺が濾過していたから、君たちは魔法を使えていた』
『警告したからな』
「まさか……あいつの言ってたことは……本当だったのか……?」
そんな馬鹿な。認められるはずがない。
あいつは無能だ。ただの荷物持ちだ。俺たちが最強なんだ。
だが、現実は残酷だ。
ヴォルフは腕を抑えて気絶し、エリナは恐怖で震えて座り込んでいる。
そして目の前には、無傷のアイアン・ゴーレムが、無機質な殺意を向けて迫ってくる。
「ひ、ひぃぃ……!」
エリナが悲鳴を上げた。
彼女は必死に聖杖を振るうが、魔法を使えば使うほど、彼女自身の顔色が悪くなり、咳き込み、血を吐く。
回復魔法の源泉となる魔力が汚染されているのだから、傷を治そうとすればするほど、傷口に毒を塗り込んでいるのと同じことになる。
「や、やめて……来ないで……!」
ゴーレムが巨大な腕を振り上げる。
死。
明確な死のイメージが、Sランク冒険者たちの脳裏をよぎった。
「に、逃げるぞ!!」
グランが叫んだ。
プライドも、名誉も、全てかなぐり捨てての命令だった。
「立てヴォルフ! エリナ、走れ!!」
「あ、足が……動きませんわ……!」
「知るか! 死にたくなかったら這ってでも逃げろ!!」
グランは左手一本でヴォルフの襟首を掴み、無理やり引きずり起こした。
大剣は置き去りだ。高価な装備も、回収した素材も、全て捨てる。
彼らは泥と血にまみれながら、来た道を無様に逆走し始めた。
「ハァッ、ハァッ、ゲホッ……!」
走るたびに肺が焼ける。
魔法を使っていないのに、ダンジョン内の魔素を吸うだけで、弱った体が蝕まれていく。
レインがいつも、脂汗を流しながら耐えていたあの痛み。
それを今、彼らは数倍、数十倍の濃度で味わっていた。
「痛い、苦しい、助けて……」
エリナが泣き言を漏らす。
その美しいドレスは破れ、泥水に汚れ、見る影もない。
ヴォルフは白目を剥いて泡を吹き、グランに引きずられる荷物と化している。
(なんでだ……なんでこんなことに……)
グランは歯を食いしばりながら、出口の光を目指した。
俺たちは選ばれた勇者パーティじゃなかったのか。
最強の装備と、最強の魔道具を手に入れたはずじゃなかったのか。
レインがいなくなって、全てが上手くいくはずだったのに。
「……くそ、くそぉぉぉっ!!」
出口の光が見えた時、グランは安堵よりも屈辱で叫び声を上げた。
Sランクパーティ『銀の翼』の初陣は、あまりにも無様で、惨めな敗走に終わった。
だが、本当の地獄はこれからだ。
体に刻まれた『魔力中毒』という名の呪いは、ダンジョンを出たからといって消えるものではないのだから。
◇
命からがら王都に戻った彼らを待っていたのは、栄光の凱旋ではなく、救急搬送だった。
ギルドの職員たちが騒然とする中、担架に乗せられた三人は、意識朦朧としながら治療院へと運ばれていく。
その様子を、路地裏の影から冷ややかに見つめる視線があったことに、彼らは気づかなかった。
ただ、体中を駆け巡る激痛と、「二度と魔法が使えないかもしれない」という絶望的な予感だけが、彼らの意識を支配していた。




