表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/5

第二話 解き放たれた毒使い

王都を追放された翌日。

俺、レインは人里離れた荒野を一人で歩いていた。

地図にもまともに記されていないこの地域は、通称『腐海』の入り口と呼ばれている。

かつての大戦で最も激しい魔法爆撃が行われた場所であり、今なお高濃度の毒性魔素が滞留する死の土地だ。

普通の人間なら、防護マスクなしでは数分で肺が焼けただれ、一時間もすれば絶命するだろう危険地帯。Sランク冒険者ですら、最高級のポーションを常飲しながらでなければ足を踏み入れない場所だ。


「……空気がうまい」


俺は大きく深呼吸をして、そう呟いた。

皮肉な話だ。常人にとっては猛毒のガスでも、毒を栄養源として『濾過』する俺の体にとっては、ここはまるで高級レストランのようなものだった。

肺いっぱいに吸い込んだ濃密な魔素が、俺の心臓横にある『濾過核』を心地よく刺激する。

ドクン、ドクンと力強い拍動と共に、不純物はエネルギーとして蓄積され、浄化された純粋魔力が全身の血管を駆け巡る。


「体が軽い。疲れなんて微塵も感じない」


以前の俺なら、歩くことさえ苦痛だった。

常に仲間のために魔力を吸い上げられ、空っぽのタンクに無理やり燃料を詰め込まれるような日々。激痛に耐え、脂汗を流し、それでも「役立たず」と罵られる毎日。

だが、今は違う。

俺が吸った魔力は、すべて俺のものだ。

濾過された純粋魔力は身体機能を極限まで高め、筋肉の繊維一本一本にまで活力を漲らせている。視界は鮮明で、遠くの岩陰に潜むトカゲの瞬きさえも見て取れる。聴覚は研ぎ澄まされ、風に乗る微かな音も聞き逃さない。


「自由って、こんなに素晴らしいものだったんだな」


俺は足元の小石を軽く蹴った。

パァン! と破裂音がして、小石は弾丸のような速度で飛び、数十メートル先の大岩を粉々に砕いた。

……軽く蹴っただけなのに。

自分の規格外の力に苦笑しながら、俺はさらに奥へと進んでいく。

行くあてなんてない。だが、この満ち足りた体があるなら、どこでだって生きていける確信があった。


ガサリ。

不意に、前方の茂みが揺れた。

風の音ではない。明確な殺気を含んだ重たい気配。

俺は立ち止まり、静かにその方向を見据えた。


「グルルルゥ……」


低い唸り声と共に姿を現したのは、巨大な猪の化け物――『アイアン・ボア』だった。

全身が鋼鉄のような剛毛で覆われ、鼻先からは蒸気機関車のような噴気を上げている。その体躯は馬車よりも大きく、突進されれば城壁すら破壊すると言われるBランクモンスターだ。

かつての『銀の翼』時代なら、グランが前衛で受け止め、ヴォルフが魔法で焼き、俺は後ろで震えながら魔力補給に専念していただろう相手。


「……ふぅ」


不思議と恐怖はなかった。

以前なら腰を抜かしていたかもしれないその巨体が、今の俺にはスローモーションのように鈍重に見える。

それに、俺の中には確かな「武器」がある。

昨日、路地裏で覚醒した新たな力。

俺はずっと「魔力濾過」しかできない非戦闘員だと思い込まされてきた。だが、濾過の過程で分離された「毒」は消えてなくなるわけじゃない。俺の体内に蓄積され、圧縮され、今か今かと解放の時を待っているのだ。


「ブモオオオオオッ!!」


アイアン・ボアが地面を蹴った。

轟音と共に突進してくる。鋼鉄の戦車が迫ってくるような威圧感。

俺は一歩も動かず、右手を前に突き出した。

イメージするのは、体内の毒タンクのバルブを開く感覚。

溜め込んだドロドロの汚泥を、解き放つイメージ。


「――『紫毒のヴェノム・ミスト』」


俺の手のひらから、鮮やかな紫色の霧が噴射された。

それは煙のように広がり、突進してくるボアの顔面を包み込む。

その瞬間だった。


「ギャ……ギ、ギギギギィィィッ!!?」


ボアの咆哮が、この世のものとは思えない悲鳴に変わった。

紫の霧に触れた鋼鉄の剛毛が、瞬く間にジュウジュウと音を立てて溶解していく。

皮膚が爛れ、肉が溶け落ち、白い骨が露出し、それさえも液状化して崩れ落ちる。

ボアは突進の勢いのまま前のめりに倒れ込み、俺の足元まで滑ってきて……止まった。

そこにあったのは、もはや原型を留めていない赤黒い液体の水溜まりと、溶け残ったわずかな牙だけだった。


「……えぐいな」


俺は自分の手を見つめた。

想像以上の威力だ。

Bランクモンスターを一撃で、しかも触れることなく消滅させてしまった。

この毒霧は、有機物だろうが無機物だろうが、触れたものを分子レベルで崩壊させる「腐食」の性質を持っているらしい。

俺の体内で濃縮された毒は、自然界のそれとは桁が違う猛毒になっているのだ。


「これなら、もう誰に守ってもらう必要もない」


胸の奥で、燻っていた最後の劣等感が消えていくのを感じた。

俺は強くなれる。いや、もう強いのかもしれない。

グランたちは俺を「お荷物」と呼んだが、彼らが必死に倒していた魔物を、俺は指先一つで処理できる。

あいつら、今頃どうしているだろうか。

俺がいなくなって、せいぜい新しい魔道具とやらで上手くやっているといいが。

……まあ、無理だろうな。あの魔道具がただの「電池」なら、いずれ彼らは自身の体で毒を受け止めることになる。その時の痛みを知った時、少しは俺の気持ちがわかるだろうか。


「さて、素材も回収できないほど溶かしちゃったのは失敗だったな。次は手加減しないと」


俺は苦笑して、再び歩き出そうとした。

その時だった。

ズシン、と地面が大きく揺れた。

先ほどのボアの突進とは比べ物にならない、地鳴りのような振動。

空気がビリビリと震え、周囲の木々が恐怖に怯えるようにざわめく。


「なんだ……?」


俺が見上げた空。

そこに、影があった。

雲を切り裂き、太陽を覆い隠すほどの巨大な翼。

陽光を反射して煌めく、ルビーのように紅い鱗。

長くしなやかな首と、王冠のように尖った角。

それは、伝説の中にしか存在しないはずの最強の種族。


「……ドラゴン?」


いや、ただのドラゴンじゃない。

その体から放たれる魔力のプレッシャーは、先ほどのボアの何百倍、何千倍も強大だ。Sランク、いや、SSランク指定の『古竜エンシェント・ドラゴン』クラスかもしれない。

それが今、一直線に俺めがけて降下してくる。


「っ……!!」


俺は反射的に身構えた。

逃げ場はない。あの速度なら一瞬で追いつかれる。やるしかない。

俺は体内の純粋魔力を全開にし、身体強化魔法『剛体フォートレス』を発動。同時に、毒タンクのバルブを全開にする準備を整える。

ドラゴンは凄まじい風圧と共に俺の目の前に着地した。

ドォォォンッ!!

衝撃波で周囲の大木が薙ぎ倒され、土煙が舞い上がる。

その中心で、紅き竜は金色の瞳孔を細め、じっと俺を見下ろしている。

殺されるか。

そう覚悟した、次の瞬間。


『――見つけた』


頭の中に直接響くような、鈴を転がしたような美しい声。

竜の体が眩い光に包まれた。

光が収縮し、巨大な竜のシルエットが、人の形へと変わっていく。

光が晴れた後に立っていたのは、一人の少女だった。


燃えるような紅蓮の長髪。宝石のような金色の瞳。

頭の両側から伸びた小さな角と、背中にある翼、そして尻尾が、彼女が人ならざる者であることを主張しているが、その容姿は人間で言うところの絶世の美女だった。

きわどいドレスのような鱗の装甲が、豊満な肢体を包んでいる。

年齢は俺と同じくらいか、少し下に見える。

彼女――竜人の少女は、つかつかと俺に歩み寄ってきた。


「……えっと、君は?」


俺が戸惑いながら尋ねると、彼女はいきなり俺の目の前まで顔を近づけ、スンスンと鼻を鳴らして匂いを嗅ぎ始めた。


「んんっ……ああ、なんて芳醇な……。たまらないわ、この香り」

「は、はい?」

「貴方ね? この辺りに漂っている、信じられないほど純粋な魔力の出処は」


少女は恍惚とした表情で俺を見上げる。

その瞳は獲物を狙う捕食者のようでもあり、同時に熱烈な恋する乙女のようでもあった。


「私はシルヴィア。この腐海を統べる『紅蓮の竜姫』よ。……ねえ、貴方、名前は?」

「あ、ああ。俺はレイン……」

「レイン様! 素敵な名前!」


シルヴィアは俺の両手をガシッと掴んだ。

その力は凄まじく、身体強化していなければ骨が砕かれていたかもしれない。


「レイン様、単刀直入に言うわ。私の『夫』になりなさい!」

「……はい?」


あまりの急展開に、俺の思考は完全に停止した。

夫? 誰が? 俺が? ドラゴンの?


「きょ、拒否権は?」

「ないわ! だってこんな極上の魔力、生まれて初めて嗅いだもの! 私たち竜族はね、強い魔力を持つ個体に惹かれる本能があるの。でも、この世界の魔力は汚れているでしょう? 強い男ほど毒を溜め込んでいて、味も匂いも最悪なのよ」


シルヴィアは顔をしかめ、そして再び俺を見てうっとりと微笑んだ。


「でも貴方は違う。貴方の魔力は、まるで湧き水のように透き通っていて、甘くて、それでいて濃厚……。ああ、これこそ私が探し求めていた『至高の伴侶』の魔力だわ!」

「いや、それは俺の体質のせいで……」

「体質? 素晴らしい才能じゃない! 貴方が放出した魔力の余り香だけで、私の細胞が歓喜の声を上げているの。ねえ、試しに少しだけ魔力を分けてくれない?」


彼女は期待に満ちた目で、口を小さく開けて待っている。

俺は戸惑いながらも、敵意がないことだけは理解できたので、指先から少量の純粋魔力を放出してみた。

かつてグランたちに渡していたのと同じ、濾過済みの魔力だ。

それを浴びた瞬間、シルヴィアの体がビクリと跳ねた。


「ふぁぁ……っ♡」


艶っぽい声を上げて、彼女はその場にへたり込んだ。

頬は朱に染まり、瞳は潤んでいる。


「す、すごい……! なにこれ、濃厚すぎる……! 全身が熱くなって、力が溢れてくる……! こんな極上の魔力を毎日味わえるなら、私、もう他の何もいらない……!」

「そ、そんなにか?」

「そんなに、よ! ああレイン様、貴方は私にとっての宝物、いいえ、神様だわ! お願い、私を貴方の側において。貴方の敵は私が全て焼き尽くすし、貴方が望むならこの体だって好きにしていいから!」


シルヴィアは俺の足に縋り付き、上目遣いで懇願してくる。

その姿に、俺は呆気にとられつつも、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。


グランたちは、俺の魔力を「当たり前」のものとして搾取した。

俺が苦痛に耐えて精製したそれを、ただの燃料として消費し、感謝の言葉ひとつ寄越さなかった。

だが、この竜姫は違う。

俺の魔力の価値を、誰よりも理解し、全身全霊で求めてくれている。

「必要とされる」ことが、これほど心地よいものだとは。


「……好きにしていいって言われてもな」

「じゃあ、まずは契約のキスから始めましょう! さあ!」

「ちょ、待て、近い近い!」


迫りくる美少女の唇をなんとか手で制しながら、俺は苦笑した。

でも、悪い気分じゃない。

ずっと一人で耐えてきた。誰も俺を見てくれなかった。

それが今、最強の種族である彼女が、俺だけを見ている。


「わかった、わかったから落ち着けシルヴィア。夫になるかどうかは置いておいて……とりあえず、一緒に行くか?」

「本当!? やったぁ! 一生離さないからね、ダーリン!」


シルヴィアは歓声を上げ、俺の首に抱きついた。

その温もりと重みは、俺が孤独ではなくなったことの証明だった。

毒に満ちたこの世界で、俺だけが生み出せる「純粋」な力。

それを求めてくれる最強のパートナー。

これ以上の逆転劇があるだろうか。


「……さて」


俺はシルヴィアの頭を撫でながら、王都の方角を振り返った。

そこにはまだ、俺を捨てたかつての仲間たちがいるはずだ。

彼らは今頃、どうしているだろう。

俺がいなくなった穴の大きさに気づき、焦り始めているだろうか。

それともまだ、偽物の魔道具に頼って、破滅へのカウントダウンを進めているだろうか。


「行くわよ、ダーリン! 貴方におすすめの狩場があるの!」

「ああ、頼むよシルヴィア」


俺は彼女の手を取り、歩き出した。

背中には頼もしい竜姫。体内には無尽蔵のエネルギー。

今の俺に怖いものなど何もない。

この先、どんな敵が現れようとも、俺たちの敵ではないだろう。

そして、遠くない未来に訪れるであろう元仲間たちとの再会――その時、彼らがどんな顔をするのか。

俺は少しだけ、意地悪な期待を抱きながら、荒野の風を切って進んでいった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ