第一話 『魔力濾過』という名の献身
肺が焼け付くような熱さを感じて、俺、レインは荒い息を吐いた。
視界がぐにゃりと歪む。まるで真夏の陽炎の中にいるかのような不快な浮遊感。けれど、これは暑さのせいじゃない。
この空間に充満している、致死性の『毒』のせいだ。
「おいレイン! 何もたもたしてんだ! 次の『補給』はまだかよ!」
怒声が飛ぶ。声の主は、煌びやかな白銀の鎧に身を包んだ金髪の青年、勇者グランだ。彼は大剣を振りかぶりながら、目の前に立ち塞がる巨大なキメラ・ビーストを睨みつけている。
Sランクパーティ『銀の翼』。
若くして数々の難関ダンジョンを攻略し、王都でも飛ぶ鳥を落とす勢いの英雄たち。そのリーダーであるグランは、焦りと苛立ちを隠そうともせずに俺を怒鳴りつけた。
「ちっ、使えねぇな。俺のMPが切れかけてんだよ! さっさと魔力をよこせ!」
「……っ、すまない、今……!」
俺は脂汗を拭う余裕もなく、意識を集中させた。
この世界の空気中には『魔素』と呼ばれるエネルギーが漂っている。魔法使いや戦士たちは、この魔素を体内に取り込み、魔法や身体強化の燃料として戦う。
だが、そこには大きな罠がある。
現代の魔素は、かつての大戦による汚染で、極めて強い『毒性』を含んでいるのだ。
そのまま吸い込めば、肺は焼け爛れ、血管は沸騰し、脳神経はズタズタに引き裂かれる。だからこそ、人々は微量ずつ時間をかけて慎重に魔素を取り込むか、高価なポーションに頼るしかない。
例外は、俺だ。
俺は大きく息を吸い込んだ。
鼻腔から喉、そして肺へと、猛毒を含んだ空気が流れ込んでくる。
その瞬間、俺の体内にある特殊な器官――心臓の横に位置する『濾過核』が激しく脈打った。
(――ぐ、ううぅっ……!!)
体の中を金属たわしで擦られるような激痛。
俺の体は、空気中の毒性魔素を一度すべて受け入れ、毒素だけを『濾過核』に吸着させる。そして、綺麗に浄化された『純粋魔力』だけを抽出する。
俺の体は、人間サイズの空気清浄機であり、生きたフィルターだ。
「……転送、開始……!」
俺は震える手をグランの背中に向けた。
濾過されたばかりの、透き通るような純粋魔力が俺の手のひらから放出され、グランの体へと流れ込んでいく。
毒を含まない、最高純度の魔力。それはグランにとって、極上のガソリンだ。
「おっしゃあ! 来た来た、力が漲るぜ!」
グランの表情が歓喜に歪む。
彼は俺から供給された魔力を惜しげもなく使い、大剣に炎を纏わせた。
「吹き飛べ! 『爆炎斬』!!」
轟音と共に、キメラ・ビーストが炎に包まれる。
Sランク冒険者の必殺技だ。その威力は凄まじく、ダンジョンの壁さえも震わせる。
魔物は断末魔を上げて崩れ落ち、黒い炭へと変わっていった。
「ふん、他愛ないな」
グランは剣を鞘に納め、鼻を鳴らした。
後ろに控えていた聖女のエリナと、魔導士のヴォルフが駆け寄ってくる。
「さすがですグラン様! あのキメラを一撃なんて!」
「ああ、俺の実力ならこんなもんだろ。……おい、レイン」
賞賛を浴びて得意げだったグランが、冷たい目で俺を振り返った。
俺はその場に膝をつき、激しい吐き気に耐えていた。
毒を濾過した代償だ。フィルターである俺の体内には、分離された『毒のカス』が残留している。これが肝臓で分解され、体外へ排出されるまでは、内臓を雑巾絞りにされるような苦痛が続く。
「は、はい……」
「お前さぁ、魔力を渡すたびにそうやって死にそうな顔すんの、やめてくんない? 縁起悪いし、パーティの士気が下がるんだよ」
「そ、そうですわよレインさん」
聖女エリナが、白いローブの埃を払いながら呆れたように言った。彼女の美しい顔には、あからさまな侮蔑の色が浮かんでいる。
「私たちは命がけで戦っているんです。貴方はただ後ろで突っ立って、私たちに魔力を分けているだけでしょう? なのに、一番疲れたような顔をして……。自己管理ができていない証拠ですわ」
違う。
俺は反論したかった。
君たちが無造作に使っているその魔法、一発撃つだけで本来なら内臓が破裂するほどの毒を含んでいるんだ。俺が全部、身代わりになって毒を受けているから、君たちは平気な顔でいられるんだぞ、と。
だが、喉まで出かかった言葉を飲み込む。
言っても無駄だ。これまで何度も説明してきたが、彼らは聞く耳を持たなかった。
「……申し訳、ない……」
「謝る暇があったら、さっさと荷物をまとめろ。次の階層に行くぞ」
魔導士のヴォルフが冷淡に言い放ち、俺の足元に重たいリュックを蹴り飛ばした。
中には魔物の素材や、彼らの予備装備がぎっしりと詰まっている。
俺は痛む体を引きずり、よろめきながらリュックを背負った。
視界の端で、グランたちが談笑しながら歩き出すのが見える。
「いやー、今回の報酬が入ったら新しい装備を買うか」
「いいですわね。私も新しい杖が欲しいです」
彼らの背中は輝いて見えた。
対して俺は、泥にまみれ、毒に蝕まれ、彼らの影を踏みながら歩くことしかできない。
それでも、幼い頃からの付き合いだ。俺の特異体質を「気持ち悪い」と言わずにパーティに入れてくれた恩がある。
だから俺は、この痛みに耐えてきた。
いつか、彼らが俺の本当の価値を理解してくれる日を信じて。
――だが、そんな日は永遠に来ないことを、俺は数時間後に知ることになる。
◇
ダンジョン探索を終え、俺たちは王都の酒場『黄金の杯』にいた。
店内は冒険者たちの熱気と酒の匂いで満ちている。
『銀の翼』の定位置である奥の丸テーブル。そこで、グランはジョッキを飲み干し、ドンとテーブルに叩きつけた。
「さて、本題だ」
グランの声色が変わり、場の空気が凍りついた。
エリナとヴォルフは薄ら笑いを浮かべ、何も言わずに俺を見ている。
嫌な予感がした。背筋を冷たいものが駆け上がる。
「レイン。お前、今日でクビな」
あまりにあっさりとした宣告だった。
思考が追いつかない。俺は瞬きを繰り返し、乾いた唇を開いた。
「……え?」
「だから、クビだっつってんだよ。パーティ追放。明日から来なくていい」
「ま、待ってくれグラン。急にどうして……俺、何かミスをしたか? 今日の魔力供給だって遅れはしなかったはずだ」
「ミス? はっ、違う違う」
グランは懐から、紫色の光を放つ宝石のようなものを取り出した。
テーブルの上に転がったそれは、妖しく脈動している。
「これ、なんだかわかるか? 古代遺跡から発掘された『賢者の石』のレプリカだそうだ。魔力を無尽蔵に蓄えておける超レアアイテムだ」
「賢者の石……?」
「ああ。こいつがあれば、お前みたいに顔色の悪い人間に頼らなくても、いつでも魔力を補充できる。しかも自動でな」
グランは勝ち誇ったように言った。
「わかるかレイン? お前はもう『旧型』なんだよ。これからは魔導具の時代だ。魔力を渡すことしか能がない、戦闘力皆無のお荷物は必要ねぇんだよ」
俺は愕然とした。
確かに、魔力を貯蔵するアーティファクトは存在する。だが、それらはあくまで「電池」だ。
そこにある魔力は、どこから来たものなのか?
自然界の魔素をそのまま詰め込んだものなら、それは高濃度の毒ガス爆弾と同じだ。
「グラン、その石……ちゃんと鑑定したのか? 安全性は?」
「あ? 王都の道具屋で大金はたいて買ったんだ。間違いねぇよ」
「待ってくれ。俺がやっていたのは、ただの魔力供給じゃない。『濾過』だ。毒を取り除いて君たちに渡していたんだ。その石に、毒を除去する機能はあるのか?」
俺は必死に訴えた。
自分の立場を守るためじゃない。このままでは、彼らが死ぬからだ。
だが、俺の言葉を聞いたエリナは、くすくすと上品に笑った。
「またそれですの? レインさんの虚言癖には困ったものですわ」
「虚言なんかじゃない! 現に俺は、毎日こんなに苦しんでいる……!」
「それは貴方の体力がなくて、才能がないからですわ」
エリナは冷ややかな瞳で俺を射抜く。
「私は聖女です。回復魔法のエキスパートです。貴方の体はずっと診てきましたけれど、どこにも外傷はありませんでした。貴方が『痛い、苦しい』と言うのは、ただ私たちの気を引いて、特別扱いされたいだけの甘えでしょう?」
「な……」
言葉を失った。
外傷がないのは当たり前だ。俺のダメージは内臓と魔力回路に蓄積されるもので、表面には出ない。
それに、エリナが俺の体を「診ていた」なんて嘘だ。彼女は俺が倒れても、「ポーションでも飲んでおきなさい」と言うだけで、まともに回復魔法をかけてくれたことなど一度もない。
「それにね、レイン」
魔導士のヴォルフが、嘲るように口を挟む。
彼は指先でテーブルを叩きながら、俺をゴミを見るような目で見下ろした。
「お前、『毒を濾過してる』とか言ってるけどさ。もし本当にこの世界の魔力がそんな猛毒なら、一般人はとっくに死んでるだろ? 俺たちはSランクだぞ? 体の作りが違うんだよ。お前みたいな落ちこぼれと一緒にすんな」
「そうだそうだ! 俺たちが強いから平気なだけだろ。それを『俺のおかげ』スカしてんじゃねぇよ!」
グランが追従し、三人は声を上げて笑った。
その笑い声が、俺の中で何かが切れる音と重なった。
ああ、そうか。
こいつらには、何を言っても無駄なんだ。
俺がどれだけ身を削って、血反吐を吐く思いで彼らの魔法を支えてきたか。夜中に激痛で眠れず、のたうち回っていたか。
彼らにとって、それは「見えないこと」であり「存在しないこと」なのだ。
俺はただの便利な道具で、電池で、今やそれ以下のお払い箱。
「……わかった」
俺は静かに立ち上がった。
怒りよりも、深い諦めと、奇妙な冷たさが胸を満たしていく。
「出ていくよ。今まで世話になったな」
「おう、わかればいいんだよ。あ、退職金代わりの銅貨だ。とっとけ」
グランは小銭を数枚、テーブルに放り投げた。
俺の数年間の献身の対価が、これだ。
俺は小銭には目もくれず、背を向けた。
「一つだけ、最後に忠告しておく」
「ああん? まだ何かあんのかよ」
「その『賢者の石』を使う時は気をつけろ。もし俺の言っていたことが本当だったら、君たちは魔法を使った瞬間に――」
言いかけて、やめた。
どうせ信じない。それに、もう俺の知ったことではない。
「……いや、なんでもない。元気でな」
「はっ、負け惜しみかよ。惨めだねぇ!」
「さようならレインさん。あ、次のパーティを探すなら、下水道の掃除係あたりがお似合いですわよ?」
背後から浴びせられる嘲笑と罵倒。
俺は二度と振り返らず、酒場の扉を押し開けた。
夜の空気は冷たかった。
王都の喧騒が遠くに聞こえる。
一人になった俺は、あてどなく石畳の路地を歩き始めた。
Sランクパーティからの追放。無一文。行くあてなし。
客観的に見れば、人生のどん底だ。
けれど――。
「……あれ?」
俺は自分の体を見下ろした。
いつもなら、この時間はダンジョンでの『濾過』の反動で、立っているのも辛いくらいの倦怠感に襲われているはずだ。
なのに、どうだ。
体が軽い。
羽が生えたように、いや、重りを取り外したように軽い。
「そうか……供給しなくていいんだ」
俺の体内で、常にフル稼働していた『濾過核』が、今は静かに脈打っている。
周囲の空気から取り込んだ魔素が、濾過され、純粋な魔力となって俺の体内に蓄積されていく。
これまでは、そのすべてをグランたちに横流ししていた。
一滴残らず搾取されていたエネルギーが、今はすべて、俺のものになっている。
ドクン、と心臓が強く跳ねた。
力が溢れてくる。
指先から爪の先まで、かつてないほどの濃密な魔力が充満していく感覚。
(これなら……いけるかもしれない)
俺は路地裏の壁に手を当てた。
意識を集中する。これまでは「毒」として体内器官に押し込め、必死に分解処理していた「不純物」。
それを、あえて「武器」として使うイメージを浮かべる。
「……『腐食』」
小さく呟いた瞬間、俺の手のひらから紫色の靄が噴き出した。
ジュッ、と嫌な音が響く。
石造りの頑丈な壁が、まるで砂糖菓子のように溶け落ち、ドロドロの液体となって地面に垂れた。
ほんの一瞬で、大人が通り抜けられるほどの大穴が開いている。
「はは……なんだこれ」
俺は自分の手を見つめ、乾いた笑いを漏らした。
これが、俺の中に溜め込まれていた毒の正体か。
これまで俺を苦しめ続けてきたこの力が、今は俺の意志に従っている。
そして何より――痛くない。
他人に供給するという負荷がなくなった今、俺の体は毒さえも制御下に置いていた。
「すごいな……」
自然と口角が吊り上がる。
俺はもう、誰かのためのフィルターじゃない。
誰かのために痛みに耐える必要もない。
この力は、すべて俺のために使う。
「好きにしろよ、グラン、エリナ、ヴォルフ」
夜空を見上げると、皮肉なほど綺麗な満月が浮かんでいた。
俺の脳裏に、元仲間たちの得意げな顔が浮かぶ。
彼らはまだ知らない。
明日、彼らが意気揚々とダンジョンに潜り、最初の魔法を放った瞬間、何が起きるのかを。
「俺は警告したからな」
俺は路地の闇に消えるように歩き出した。
足取りは軽く、心は晴れやかだった。
ここからが、俺の本当の人生の始まりだ。




