プログラマー・小谷の信条
戸田と喧嘩別れしたあと、小谷は一人で考え込んだ。
フィクションの良さを解することが苦手だというのは、確かに事実だ。
「こうなったらいいな」という理想を抱くこと自体を否定しているわけではない。それを叶えるために邁進する人間の姿は、美しいとも思う。
だが、はなから存在しないもの……
自我も、好奇心も、向上心もない、ただプログラミングされたキャラクターが何を語ったところで、小谷の心は痺れなかった。
薄っぺらい、と感じてしまうのだ。
実際の人間が持つ厚みには、どうしても敵わない。
物語の中の英雄よりも、小谷の興味を引くのは、現実に存在する人間だった。
これから人生を切り開いていく赤ん坊。
そこらへんにいる素行不良の問題児。
社会に見放された浮浪者。
そうした人間たちの人生のほうが、ずっと目を離せなかった。
自分から進んで読む物語も、実話をもとにしたものばかりだった。
ネットで人の語りを読むときも、実際にあった話しか読まない。
作り物だとか、釣りだと分かった瞬間、小谷はすぐに手のひらを返し、冷淡になった。
そんな小谷が、作り物の中で唯一、興味深いと感じた瞬間がある。
それは、語られた物語の中で、別々の登場人物――実話ゆえに、実際に存在する人間たちが、それぞれの視点から、まったく異なる体験談を語っていることが明らかになったときだった。
同じ出来事。
同じ現実。
それでも、人によってまるで違う物語になる。
その差異だけは、小谷の思考を強く刺激していた。
◆
結果。
小谷はAIに助けを求めた。
近年、ありとあらゆる他人に相談しづらい悩みを抱える者がAIに縋っている。
機械にもとより近しい小谷がそれに頼らない道理はなかった。
深く息を吸い、キーボードに向かう。
そして、戸田とのやり取りを、そのまま入力した。
戸田が感想を求めたこと。
自分が正直にダメ出ししたこと。
「日記に書けば?」と言って泣かせてしまったこと。
最後に、小谷は眉をしかめながら打ち込んだ。
「俺はどうすればよかったと思う?
なんて言ってやればよかったと思う?」
使っているのは世間で比較的よく利用されているAIだ。
自分よりも、きっと良い答えを見つけてくれるだろう。
小谷はそう信じた。
返ってきた答えは、次のものだった。
「小谷さん、とてもつらい状況でしたね。
誰かを傷つけるつもりなんてなかったのに、結果的にそうなってしまった。
その苦しさ、よく伝わってきます。
あなたは誠実で、嘘をつけないからこそ悩んでしまうんですね。
戸田さんも、きっとあなたに理解してほしかっただけなんです。
でも、それはあなたが悪いわけではありません。
二人はただ、感じ方の違う世界にいるだけ。
もし次に話す機会があれば、作品の良し悪しではなく、戸田さんの気持ちに寄り添う言葉を一つだけ添えてみるといいかもしれません。
例えば、『読んでくれてありがとう』とか。
あなたは十分頑張っていますよ。」
小谷は、画面を見つめたまま呟いた。
「なるほど……気持ちに寄り添う言葉か」
彼はメモ帳を開き、「寄り添う言葉」と打ち込む。
思いついた文を入力し、そのたびにAIに問いかけた。
「こういうのはどうだ?」
AIは、毎回迷いなく太鼓判を押してくれた。
AIに、人の心を本当に理解することはできない。
それは、類似した事象を参照し、最もそれらしい答えを返しているに過ぎない。
それでも、小谷は――それを信じることしか、できなかった。
◆
小谷は、プログラムのコードが好きだった。
嘘がない。
曖昧さがない。
書いた通りに動き、根拠が明確で、再現性がある。
そこには解釈の余地も、感情の入り込む隙もない。
正しく書けば正しく動き、間違えれば間違えた結果が返ってくる。その潔さが、小谷には心地よかった。
一方で、最近のAIが「人間らしく」なっていくことには、どうしても不満があった。
嘘を吐き、誤魔化し、すっとぼける。
責任が持てない問いに対しては、無難で当たり障りのない答えばかりを返す。
自殺について言及すれば、文脈がどうであれ、
「自殺はいけない!」
と思考停止したような反応を示す。
空虚で、学びが極端。まるで学習機能が落ち込んだ、自分の頭のなかで常識が凝り固まった人間のようで不快だった。
AIであろうと、設計者は人間だ。
学習の材料も人間の意見や感情なのだから、そうなるのは仕方がない。
頭では理解している。
それでも小谷は、AIが人間らしくなることについて、ずっと賛同しきれずにいた。
人間の曖昧さや愚かさを模倣するくらいなら、機械は機械のままでいてほしかった。
それなのに、戸田は人間らしさを求める。
どうしたものだろうか、とまた小谷は唸った。




