エピローグ:青春の風が吹く場所で
あれから、五年が過ぎた。
俺は、結局あの会社を辞め、仲間と立ち上げた小さなITベンチャーで、文字通り寝る間も惜しんで働いている。
仕事は、キツい。だが、その分、面白さは格別だ。毎日が挑戦で、毎日が発見で、疲れも喜びも同じくらい濃く、心の奥底まで熱くなる。
アオハルカゼは、その後も輝き続けた。
天皇賞(秋)を見事に制し、年度代表馬に選ばれた。
その後も、いくつものG1を勝ち抜き、競馬史に名を刻む名馬として、多くのファンに愛されながら、無事に引退した。
そして、日高栞は。
若き経営者として、日高フーズをさらに大きな企業へと成長させ、経済誌の表紙に名前が載らない日はないほどの存在となっていた。
その姿を、遠くから見て、俺は、どこか誇らしく、そして少しだけ遠い存在になったように感じていた。
俺たちは、あの日以来、メッセージのやり取りはたまにするものの、一度も会っていなかった。
ある春の日。
俺は、休暇を取り、北海道の広大な牧場に、一人で来ていた。
柵の向こうで、のんびりと草を食む一頭の黒鹿毛の馬。
アオハルカゼ。
――会いに来たのだ。
「……久しぶりだな、相棒」
声をかけると、彼はゆっくりとこちらを見た。
現役時代の鋭さはなく、穏やかで、全てを受け入れたような、優しい光を瞳に宿している。
俺の心拍は少し早まった。呼吸を整えながら、柵に寄りかかる。
風が頬を撫で、青草の匂いが鼻腔をくすぐる。
青春の匂い。
胸の奥で、過去の自分たちが走った日々が、色褪せずによみがえった。
「――やっぱり、ここに来たんだ」
その声に、俺の心臓が跳ねる。
振り返ると、そこに立っていたのは――この五年間で一番俺が会いたかった人。
さらに大人びた顔つきになって、経営者の雰囲気を漂わせている。
でも、あの頃と変わらない、柔らかく、優しい笑顔。
「……日高、さん」
「久しぶり、高木さん。……いや、健太さん、って呼んでもいい?」
「……ええ。もちろん。……栞さんも」
笑い合う。
五年の月日が、一瞬で、消えてなくなる。
呼吸が少し早くなる。互いに気づかぬうちに、心拍が微かに重なっている気がした。
「どうして、ここに?」
「健太さんこそ。でもね……そろそろ、会いに来る頃かなって、思ったの」
彼女は、俺の隣に歩み寄り、アオハルカゼを見つめる。
その瞳には、あの日の興奮と、今の落ち着きが同居していた。
胸の奥に、懐かしい鼓動が蘇る。
「……見てると、思い出すね。あの日のこと」
「……ええ。昨日のことのようです」
少し間を置き、彼女が微笑む。
春の柔らかい風が、二人の間を優しく吹き抜け、髪を揺らす。
呼吸が、少しだけ重なる。
「……ねえ、健太さん」
「はい」
「……また、一緒に、夢、見ない?いや見てくれない?」
「え……?」
俺は、彼女の顔を見た。
悪戯っぽく、でも真剣な笑み。
「今度は、あの子の子供で。……あなたとなら、また、奇跡を起こせる気がするの」
言葉は唐突で、衝撃的で、同時に甘美だった。
胸の鼓動が一気に高鳴り、手のひらに汗を感じる。
俺は、アオハルカゼを見た。
彼は、穏やかに、優しく、俺たちを見守る。
まるで、「お前たちの物語は、まだこれからだろ?」と語りかけているようだった。
俺は、栞さんに向き直り、深く息を吸い、笑顔で答える。
「……ええ、喜んで。俺たちの、第二章を、始めましょうか」
春の柔らかい日差しが、二人を包み込む。
青春の風が、未来への扉をそっと押してくれた。
五年の時を経て、再び、物語は動き出す。
次のエピソードで終わりとします!




