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アオハルカゼ -君と駆けた、奇跡の末脚-  作者: トンヌラ
第3部:断絶 ~真実の痛み~
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第12章:空白の終末

あの日以来、栞さんから連絡が来ることは、一度たりともなかった。

俺のスマホのトーク画面には、返信しなかったメッセージと、彼女からの最後の言葉が並んだまま、時間だけが積み重なっていく。

まるで、俺たちの関係が終わってしまったことを示すかのようだ。


次の週末も、気づけば俺は競馬場にいた。

何かを期待しているわけじゃない。むしろ、会わないために、いつもと違う場所、違う時間を選び、こそこそと歩き回っていた。


(……俺は、何をしてるんだんだろうか)


避けているのか?それとも探しているのか?

自分の心がどちらを向いているのか、何が何やら自分でもよくわからなかった。


いつもの席に戻ってきて座り、競馬新聞を広げる。

赤ペンを握り、馬柱に印をつける。

いつも通りのルーティンのはずなのに、どの文字もどうも頭に入ってこない。


(この馬、前走の勝ち方が良かったな。……栞さんなら、どう言うだろう)

(この騎手、最近調子いいよな。……好きだったっけか)


どんな思考も、最後は必ず彼女へ辿り着いてしまう。


「……だめだっ。ぜんっぜん集中できない」


そう声に出すと新聞を閉じ、ぼんやりとターフを眺めた。

目の前には鮮やかな緑、白いラチ、吸い込まれそうな青空。

かつては、この場所に来るだけで、心が軽くなった。

平日の疲れも、将来の不安も、全部洗い流してくれる——そんな俺にとっての聖域だった。


でも今は違う。

目の前の風景は、まるで色褪せた古いポスターのように平坦で、どこにも奥行きがない。


「……ああ、そうか。最近鮮やかに色をつけてくれてたのは、あなただったんだなぁ」


独り言が風にさらわれて消える。


栞さんと出会ってから、俺の世界は確かに鮮やかになっていた。

一人の時の競馬も十二分に楽しかった。けれど、けれどあの時二人で見ていた競馬は、

その何倍も何十倍も色鮮やかに見えたし楽しかった。


勝てば笑い、負ければ肩を落とし、レースの度に小さなドラマを共有して。

そんな当たり前の時間こどが、どれほど幸せだったのか。

失って初めて痛感するなんて、俺は本当に愚かだ。

いや本当は失う前から気づてはいたんだろう、手を伸ばす勇気を出せなかっただけだ。


その日は、一度も馬券を買わなかった。

買う気がどうしても起きなかった。


レースが始まっても、歓声はどこか遠く聞こえてくる。

どの馬が勝ったのかも、よくわからない。

俺の空いてしまった心の穴には、寂しい風だけが吹いていた。


かつての俺の聖域は、「空白」へと変貌していた。


家に帰っても、虚しさだけはついてくる。


テレビをつけると、最終レースの中継が始まるところだった。


『直線コース! 外から人気の~~の産駒が——!』


興奮した実況が、空虚な部屋に響く。


(……~~の産駒か。アオハルカゼも、父は結構良い血統の馬なんだよな)


俺はリモコンに手を伸ばし、テレビを消した。

静寂が戻る。

何もする気になれず、ベッドにバタリと倒れ込む。


目を閉じると、浮かんできたのはあの日の栞さん。


俺の言葉に揺れた、悲しい瞳。

無理に作られた、力のない笑顔。


「……なんで、あんなこと言っちまったんだ」


後悔が胸の奥で暴れ出す。


“ただのファン?”

“口を出せる話じゃない?”


違う、そんな話ではなかった。


彼女は、俺を「ただのファン」ではなく、

競馬という同じ夢を共有する「仲間」として見てくれていたんじゃないのか。


肩書きじゃない、立場でもない、

“高木健太”という一人の人間を信じてくれた。

だからこそ、責任とか関係なく俺の意見を聞きたかったんじゃないのか。


俺は、その想いを、自分の劣等感とちっぽけなプライドで踏みにじった。


「……すみません、わかりません」


あの一言は、彼女を拒絶するには十分すぎる刃だった。


(……謝りたい。今すぐにでも、謝りたい)


勢いよく起き上がり、スマホを掴む。

震える指でメッセージを打ち込んだ。


『先日は、本当にすみませんでした』


だが、送信前に指が止まった。


(……これを送って、何が変わるんだ?)

(許してくれるのか? いや、それ以前に……俺に許される資格なんてあるのか?)

(今さら連絡して、どういう顔をすればいいんだ)


俺は打った文字をすべて消去した。

送る勇気は、どこにもなかった。


その夜、夢を見た。


アオハルカゼがG1レースを走っている。

俺は必死に叫んでいた。


「いけぇぇッ! アオハルカゼ!!」


隣には栞さんがいて、俺のほうを見て笑っている。


『私たちの夢、叶うといいわね』


その瞬間、アオハルカゼが突然コースから外れて走り去る。

どんどん小さくなり、やがて見えなくなる。


気づけば栞さんの姿も消えていた。


広い競馬場に、俺だけがぽつんと立っていた。


「……っ!」


汗びっしょりになって目を覚ます。

心臓が警告のようにドクドクと鳴っていた。


窓の外はまだ闇。


「……もう、終わりなのか。何もかも……」


その呟きは、静まり返った部屋に吸い込まれるように消えていった。


空白の週末は、悪夢という形で幕を閉じた。

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