表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アオハルカゼ -君と駆けた、奇跡の末脚-  作者: トンヌラ
第2部:共鳴 ~二人の応援歌~
10/21

第10章:日高という名

福島での勝利から、数日が経った。


表向きの生活は何も変わっていない。

満員電車に押し込まれ、会社では無表情でコードをカチャカチャと打ち込む。

ただ、その裏側で、俺の心だけはまったく別の時間を生きていた。


頭の中に焼きついて離れない――アオハルカゼのあの疾走であり激走。

そして、東京の夜風の中で震える声で語ってくれた、栞さんのあの言葉。


『あの子は、私の、たったひとつの“わがまま”なの』


思い返すたび、胸の奥で小さな痛みが広がる。

彼女はあの時、確かに泣いていた。それなのに、涙を見せまいと笑っていた。


(……彼女は一体、何と戦っているんだ)


父親との厳しい関係。

自由が許されなかった過去。

アオハルカゼに託した想い。


なのに、俺は――

そこに踏み込むことから逃げ続けていた、踏み込むことが出来なかった。

心地よい距離感のままに、甘えていたのもあるが、どうしても聞いてはいけないような気がしていた。


昼休み、栄養補助食品をかじりながらスマホで競馬ニュースを流し見していた時だった。

何気なくスクロールしていた指が、急に止まった。


福島のレース結果の記事。口取り式の写真。


誇らしげに立つアオハルカゼ。

笑顔の騎手と調教師。その横には数人の関係者たちが並んでいる。


そして、その中心――


あの日、俺と栞さんの前に現れた、あの威圧的なスーツの初老の男。


(……やっぱり、あの人が)


写真の下の関係者欄に目を移した瞬間、心臓が嫌な跳ね方をした。


【馬主:日高フーズ代表取締役会長 日高剛三】


「ひだか……フーズ?」


耳に覚えがあるどころじゃない。

スーパーでもコンビニでも必ず見かける、大手食品メーカーだ。

俺だって、毎日のようにその冷凍食品を食べて生きている。


(あの人が……あの大企業の会長……?)


嫌な汗がにじむ。

興味本位というより、何かに取り憑かれたように検索欄へ指が動いた。


「日高フーズ」


会社の公式サイトを開くと、役員紹介のページにはあの男の顔があった。

記事の写真よりも柔らかく笑ってはいるが、目だけは氷のように冷たい。


間違いようがない。

日高剛三。


胸の奥がずきりと痛んだ。

嫌な予感が、形を持って迫ってくる。


震える指で検索ワードを追加する。


「日高剛三 娘」


検索ボタンを押すのに、こんなに勇気がいることになるとは思わなかった。


結果の一番上に表示されたのは、数年前の経済誌の記事。


【日高フーズ会長・日高剛三氏、愛娘の栞さんをメディア初公開】


そのタイトルを見た瞬間、呼吸が止まったような感覚に襲われた。


記事を開く。

そこに写っていたのは、今より少しあどけなさの残る若い栞さん。

父親と並び、どこかぎこちない笑顔を浮かべている。


有名大学を優秀な成績で卒業。

社内でも期待される次期後継者。

家柄も才能も備えた才媛。


(……そういうこと、かよ)


頭を鈍器で殴られたような衝撃だった。

血の気が一気に引いていく。


高級マンションも。

「自由業」という曖昧な答えも。

アオハルカゼを「わがまま」と言った理由も。


全部、繋がった。


(俺は、本当に……何も知らなかっただけだ)


彼女が「普通の競馬好き」と同じ立場に立とうとしてくれていたことを、

俺はそれを当然だと思い込み、踏み込もうとすらしなかった。


もっと怖いのは――

もし最初から


「私、馬主なんです」


と言われていたら、俺は間違いなく態度を変えていただろう。

立場を考えて確実に距離を引いていた。

素直に話せていなかった。

あそこまで心を開くことはできなかった。


彼女は、それを分かっていたんだろう、いやきっとそうだ。


(……俺は、彼女の気持ちにほんの少しでも気づいてやれなかった)


その瞬間、スマホの通知音が鳴った。


画面に表示された名前は――栞。


『高木さん、今日の夜、電話できる?

 アオハルカゼのことで、相談したいことがあるの』


手が止まった。


“相談”

その一言が、急に遠い世界の言葉に変わった。


俺なんかが。

大企業の会長の娘であり、本物の馬主である彼女が、俺に相談?


(違うだろ……俺は、ただの……)


返事がすっと打てなかった。


今までの距離が、急に現実離れしたものに感じた。


気づけば、スマホの画面だけが明るく、俺の部屋はいつの間にか夜の闇に沈んでいた。


福島から東京の距離なんて、ただの数字だ。

本当に遠かったのは――俺と栞さんの間にあった、見えない巨大な壁のほうだった。

第2部はこれで終わりです、第3部にはいります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ