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アオハルカゼ -君と駆けた、奇跡の末脚-  作者: トンヌラ
第1部:序章 ~運命の足音~
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第1章:灰色の日常

自身の2作目です、1作目はやはり粗だらけで読んでいただいた方には申し訳なかったです。

今回はもっと時間かけつつもじっくりと確認しながら投稿してまいります。

月曜の朝は、いつも同じ音で始まる。


スマートフォンのアラームが、無機質な朝を切り裂く。

その音はまるで、自分にとっては世界の終わりを告げるラッパのようだ。


瞼の裏に残る暗闇が、名残惜しそうに意識を引きずり戻す。

あと五分、いや三分でいい――そう念じながらも、俺の指は習慣的に画面をスライドさせる。

世界で一番聞きたくない音が止まり、静寂が戻った。


重い体を起こす。

カーテンの隙間から射し込む朝の光が、舞い上がる埃を金色に染めていた。

ワンルームの狭い空間。ベッド、椅子、ローテーブル。

まるでサンプルルームのように、そこには俺の個性というものは存在しない。


高木健太(たかぎけんた)、二十九歳。システムエンジニア。

社会のデータベースに登録された俺の“属性”は、それだけだ。

可もなく不可もなく、けれど常に「可」を維持し続けなければならない職業。


シャワーを浴び、コンビニのパンを牛乳で無理やり流し込む。

味なんてどうでもいい。ただの燃料補給だ。

鏡に映る自分の顔は、どこか眠たげで、月曜の朝だというのに少し疲れきっていた。


満員電車は、人間の尊厳を試すための巨大な実験装置だと思っている。

俺は今日もその被験者になる。


ドアの近くに陣取り、ガラス越しに映る無数の顔を眺める。

誰もが同じように無表情で、スマートフォンの小さな画面に視線を落としている。

この箱の中の全員が、自分の人生の主人公のはずなのに――ここでは、ただの群衆の一部。


汗の匂い、柔軟剤や香水の匂い、湿った空気。

それらが混じり合い、東京という街の呼吸を形づくっている。

息を吸うたびに、胸の奥が少しずつすり減っていく気がした。


会社は、西新宿の高層ビル群の一角にある。

エレベーターで二十三階へ。

昨日とまったく同じオフィスが、まるで時間を止めたようにそこにあった。


白すぎる蛍光灯が均一に光を撒き、サーバーの低い唸りがBGMのように響く。

俺は自分の席に着き、パソコンの電源を入れる。

ディスプレイに浮かぶのは、先週の金曜にやり残したプロジェクトのフォルダ。

その瞬間、週末に感じたささやかな解放感が、音を立てて崩れ落ちた。


「高木くん、おはよう。例のECサイトの件、クライアントから追加要件。今日中に対応お願いできる?」


背後から声をかけたのは、リーダーの佐藤さん。

一つ年上で、常に感情の起伏がない。悪気がないこともわかっている。


「……おはようございます。確認します」


メールを開く。

赤い文字で「最優先」「本日15時まで」とある。

まるで血のような警告。

添付された仕様変更リストは、素人の思いつきにしか見えなかった。


理不尽だ、とは思う。

だがそれを口にすれば、“空気を読めない奴”として処理されるだけだ。

俺たちはクライアントの「無理」を「できます」に変換する魔法使い。

そういう生き物なのだ。


キーボードを叩く音が、やけに大きく響いた。


隣の同期はヘッドフォンで外界を遮断し、向かいの先輩は深いため息をつきながらディスプレイを睨む。

誰もが自分のモニターの中だけを見つめている。

ここは孤独な兵士の戦場だ。


昼休み。俺はデスクで栄養補助食品を噛み砕きながら、コードを書き換えていた。

食事の為に休憩室へ行く時間すら惜しい。


モニターに並ぶ文字列は、俺の人生のようだった。

決められたルールの中で、決められた動きを繰り返す。

一つ間違えれば、赤いエラーが表示される。


――俺の人生は、きっとバグだらけのプログラムだ。


十五時。なんとか仕様変更を実装し終え、テスト環境にアップする。

報告すると、佐藤さんは軽く頷き、「よし、じゃあ次、来週リリースのアプリのデバッグ、お願い」と言った。

感謝の言葉も、労いもない。

ここでは、できて当たり前。できなければ、価値がない。


窓の外を見やる。

ビルのガラスに反射した西日が、刃のように目を刺した。

その光の下には、きっと俺とは違う生き方をしている人たちがいる。

公園で笑う恋人たち。カフェで語り合う友人たち。

ありふれた風景が、手の届かない世界のように思えた。


俺は何のために、この無機質な箱の中で、人生の時間を切り売りしているのだろう。


ふと、デスクの隅に置いた卓上カレンダーが目に入った。

指先で、なぞってみた・・・。


月、火、水、木、金……そして、土曜日。


その文字を見た瞬間、胸の奥の何かが、ほんの少しだけ色を取り戻した。


あと四日だ。

あと四日耐えれば、あの場所へ行ける。


灰色の世界に、唯一残された、鮮やかな色彩の場所。


青い空。

果てしない緑の芝。

人々の熱気と歓声。

そして――この世で最も美しい生き物たちが、風のように駆け抜ける。


俺は引き出しの奥から、くしゃくしゃになった競馬新聞を取り出した。

先週のあの日に買ったものだ。

インクの匂いとともに、あの日の歓声が蘇る気がした。


そうだ。あそこに行けば、俺はただの「高木健太」でいられる。

会社の歯車でも、群衆の一部でもない。

声を張り上げ、一瞬の夢に賭けることを許された、一人の人間になれる。


新聞をそっと閉じ、モニターに向き直る。

キーボードを叩く音が、さっきより少しだけ軽く響いた。


あと四日。

この灰色の一週間をもう一度歩き出そう。

その先に、風の匂いを感じながら――。

最近、競馬界隈が熱くなっていると思いあやかってみました!

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