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ノイズの彼方に / 現実を編む天才スタイリストの、美と真実への旅

作者: 星空モチ

私——リコ・シノザキは、現実を編み直す仕事をしている。


正確に言えば、私は「概念スタイリスト」。人々が纏う「現実レイヤー」を調合し、彼らの見る世界そのものをデザインする。


「あと少しだけ明度を落として...そう、完璧」


私はホログラフィックな調合パネルの上で指先を舞わせた。ジェスチャーひとつで色彩が変化し、質感が変わる。クライアントの瞳に映る世界を、私は文字通り塗り替えていく。


今日のクライアントは若い女優。デビュー作の試写会に向けて、彼女だけの特別なレイヤーを求めていた。


「どうですか、綾瀬さん。この『オーロラ・デュスク』は貴女のために特別に調合したものです」


彼女は目の前に広がる変化に息を呑んだ。サロンの白い壁が夕暮れの紫紺へと溶け、星々が瞬き始める。光の粒子が彼女の周りで舞い、肌に触れるたびに淡い光の痕跡を残していく。


「リコさん...これ、素晴らしい!」


彼女の目に涙が滲んだ。感動のあまり言葉を失っている。


こういう瞬間が、私が天才と呼ばれる理由なのだろう。たかが30歳にして業界の頂点に立ち、「現実の魔術師」なんて馬鹿げた二つ名まで付けられている。でも、それは才能というより、単に私が他の誰よりも「美しさ」に取り憑かれているからだ。


私が初めて現実レイヤーに触れたのは、10歳の時だった。両親が離婚し、母と二人、薄汚いアパートで暮らしていた頃。


母は「アンティーク・ノスタルジア」というレイヤーを愛用していた。安っぽい部屋が古びた洋館に変わり、プラスチック製の家具が年代物の木製調度品に見える。母はそれを纏い、現実から逃避していた。


「リコ、こっちの世界は素敵でしょう?」


母の笑顔には何か狂気じみたものがあった。


私は違った。現実を逃れるためではなく、それを徹底的に作り変えるために、この技術を学びたいと思った。醜いものを美しく変えるのではなく、新しい美を創造するために。


東京デザイン学院を首席で卒業し、コンセプト・クチュールの名門アトリエで修行を積んだ。25歳で独立し、今では予約が1年待ちの人気スタイリストになった。


私のサロン「リアリティ・アトリエ」は銀座の一等地にある。外観は極めてシンプル——白い箱のような建物だが、これはキャンバスのようなもの。来店する人それぞれのレイヤーによって、まったく違う姿に見える。


私のクライアントは、セレブリティから政治家、実業家まで。彼らは単なるファッションではなく、世界の見え方そのものを求めてやってくる。


「リコさんのレイヤーを纏うことで、人生が変わったんです」


よくそう言われる。それは誇張ではない。例えば「サクセス・オーラ」のレイヤーを着ければ、周囲の人々の反応が変わり、自信が生まれ、実際にキャリアが好転する。それが「現実レイヤー」の力だ。


でも、表面的な仕事じゃない。私は常に、その人の本質を見抜き、その人だけの「究極の現実」を創り出す。それは時に、クライアント自身も気づいていない内面の真実を映し出すことになる。


「完璧は、存在する」


それが私のモットー。完璧な調和、完璧なバランス、完璧な表現——それらを追求することで、この混沌とした世界に秩序をもたらすことができると信じていた。


少なくとも、あの日までは。


「リコさん、緊急事態です!」


アシスタントの真琴が青ざめた顔で駆け込んできたのは、綾瀬さんが帰った直後だった。


「何かしら?」


「SNSで話題になっています。『ノイズ』と呼ばれる何かが、レイヤーを破壊しているみたいなんです」


私は眉をひそめた。ノイズ?おそらくシステムの一時的な不具合だろう。


「ちょっと見せて」


真琴がスクリーンを差し出した瞬間、私は息を飲んだ。


画面に映し出されたのは、高級ブランド「エテルナ」のファッションショーの映像だった。モデルたちが纏う洗練されたレイヤーが、突如として崩れ始める。


美しかった色彩が歪み、不協和音のような視覚的ノイズが混じり始めた。観客からは悲鳴が上がり、モデルたちはパニックに陥っている。


それは単なるグリッチではなかった。


まるで意思を持つように、計算された破壊性を持つノイズが、完璧な美の世界を蝕んでいた。


「これは...」


言葉が出なかった。私の世界の根幹を揺るがす何かが、そこにあった。


そして翌日、最悪の事態が起きた。


私の最も大切なクライアント、財閥令嬢の江戸川さんから、悲痛な声で電話があった。


「リコさん、助けて...私の『セレスティアル・ブルー』が、おかしくなってるの」


江戸川さんのために作った特別レイヤー——星空のような深い青に、水晶のような透明感を持たせた私の傑作が、侵食されている。


「すぐに伺います」


急いで彼女の邸宅に向かう道すがら、街の風景が目に入った。


人々が混乱している。各々が纏うレイヤーにノイズが混じり始め、世界の見え方が歪んでいるのだ。高層ビルが溶けているように見える人、道路が波打って見える人、色彩が反転して見える人...。


現実という概念そのものが、崩壊し始めていた。


私はこの「ノイズファッション」の正体を突き止めなければならない。それは私の作品、私の美学、そして私が信じてきた現実を守るためだ。


だが、心の奥底では既に予感していた。


このノイズは、私たちが「現実」と呼んできた虚飾の向こう側から、何かを告げようとしているのではないかと。


挿絵(By みてみん)


江戸川邸に到着すると、事態は想像以上に深刻だった。


「リコさん!」


江戸川響子が駆け寄ってきた。彼女の周りにはかつて美しかった「セレスティアル・ブルー」が、今では不気味な脈動を放っている。星々が歪み、青の海が血のような赤へと変容しつつあった。


「いつからこうなったの?」


「昨夜、パーティの最中に突然…みんなの前で、私のレイヤーが崩れ始めたの」


彼女の瞳には恐怖と屈辱が混ざっていた。社交界の頂点に立つ彼女にとって、レイヤーは単なる装飾ではなく、アイデンティティそのものだった。


私は調整器を取り出し、彼女のレイヤーをスキャンした。データが信じられなかった。


「これは…侵食されているんじゃない。変容しているのよ」


ノイズは破壊ではなく、新たな秩序を作り出そうとしていた。規則性のある、意図を持ったパターンが見える。


「直せるの?」


「試してみる」


私は指先に力を込め、調合パネルを操作した。しかし、いつもの手法は通用しない。むしろ抵抗するほどにノイズは強まった。あたかも生命体のように…。


「もう少し時間をください」


帰り道、不意に頭痛が襲ってきた。視界が歪み、一瞬だけ世界が別の姿で見えた気がした。ビルがなくなり、空が広がり、見知らぬ文様が浮かび上がる…。


「私まで影響を受け始めているのかしら?」


サロンに戻ると、真琴が待ち構えていた。


「リコさん、重大なことが分かりました。ノイズの発生源、それは『イド』です」


「イド?あの廃工場地帯?」


東京郊外の忘れられた産業地帯。現実レイヤー技術の黎明期に秘密研究が行われていたという噂の場所。今では技術の恩恵から取り残された「生の地域」だった。


「はい。そこからノイズが拡散しているようです。そして…」


真琴は躊躇した後、続けた。


「リコさん、あなたの名前が暗号化されたメッセージで検出されました。『シノザキ・リコへ。真実を見たいなら、イドへ来い』」


私の体を冷たいものが走った。記憶の奥底で、何かが蠢いている気がした。


「行くつもりですか?危険すぎます!」


真琴の声は遠く聞こえた。私の意識はすでに、忘却の彼方にある何かに向かっていた。


「行くしかないわ。これは…私への挑戦状だから」


そう言いながら、なぜかこの混沌に懐かしさを覚える自分に、恐怖を感じていた。


挿絵(By みてみん)


イドへ向かう地下鉄の中で、私は肩身を狭くしていた。


周囲の乗客たちは皆、思い思いのレイヤーを纏っている。でも今や、それらはすべて不安定だ。会社員の「エフィシエント・グレー」に緑色の斑点が浮かび、女子高生の「カワイイ・パステル」が時折粗い質感に変わる。


混乱は確実に広がっていた。ニュースは「現実レイヤー・ウイルス」と呼び始めていた。パニックを避けるための隠蔽工作だろう。


最寄り駅で降りた瞬間、私は息を呑んだ。


ここにはレイヤーがない。


人々が様々な現実を重ね合わせて生きる都心と違い、イドは「素」のままだった。錆びた鉄骨、剥がれた塗装、放棄された工場群…醜く、荒廃しているのに、どこか生々しい。


「本当の世界」


そう呟いた私の声が、不思議なほど透明に響いた。


暗号化されたメッセージにあった座標を頼りに、かつての研究施設跡へと足を進める。廃墟に近づくにつれ、奇妙な感覚が強まった。まるで何かを思い出そうとしているような…。


「来たな、リコ」


振り返ると、そこには痩せた老人が立っていた。白髪を後ろで束ね、ボロボロの白衣のような服を着ている。その目は、若々しく鋭い光を放っていた。


「私を知っているの?」


「おまえこそ、私を覚えていないのか?」


老人は苦笑した。「カイト・ミヤザワだ。現実レイヤーの発明者…そしておまえの師匠だった男だ」


衝撃で私は言葉を失った。カイト・ミヤザワは伝説の天才科学者。15年前に失踪し、死亡したと報じられていた。


「嘘…あなたは死んだはずよ」


「そうだな。世間からすれば私は死んだ。だが実際は、ここで真の研究を続けてきた」


彼は私を奥へと導いた。廃墟の内部には最先端の装置が隠されていた。壁一面にノイズのパターンが踊っている。


「これがノイズファッションの発信源…」


「『ノイズ』ではない。これは『真実の波動』だ」


カイトは厳しい眼差しで私を見た。


「リコ、おまえは覚えていないだろうが、おまえはここで育った。私の最初の被験者として」


頭に激痛が走った。断片的な記憶が蘇る。白い部屋。実験台。そして様々なレイヤーを注入される少女…私?


「嘘よ!私は…」


「現実レイヤーの本当の目的を知るときだ。それは決して美を創るためではない」


カイトがスイッチを入れると、部屋中にノイズが満ちた。


そして私の世界が、音を立てて崩壊し始めた。


挿絵(By みてみん)


ノイズに包まれ、私の意識が揺らぐ。記憶の堤防が決壊し、忘却の彼方から真実が押し寄せてきた。


「思い出せ、リコ。お前はここで生まれたも同然だ」


カイトの声が遠くから聞こえる。


幼い日々の記憶。研究所での実験。様々なレイヤーを試され、現実認識を書き換えられていく少女。


「母との生活」も「デザイン学院での栄光」も、全て植え付けられた偽りの記憶だったのか?


「現実レイヤーは人間の知覚を変えるだけじゃない。記憶さえも書き換える」


カイトが説明を続ける。「私が開発したのは、世界を美しく見せるための技術ではなく、人類の集合意識を操作するための道具だった」


そう言って彼はスクリーンを指さした。そこには巨大企業「レイヤーズ・インク」の内部資料が映し出されていた。


「彼らは私の技術を悪用している。人々に偽りの現実を見せることで、真の問題から目を逸らせている。環境破壊、貧困、格差…全てレイヤーの下に隠されている」


私は震える手で頭を抱えた。「でも、私はただ美を創りたかっただけ…」


「それが彼らの洗脳だ。お前は私の最高傑作だった。感性と技術を兼ね備えた完璧なデザイナー。だからこそ彼らはお前を利用した」


「では…このノイズは?」


「私が開発した対抗プログラムだ。レイヤーを破壊するのではない。真実を見せるんだ」


カイトは老いた手で私の肩に触れた。「だが予想外だった。ノイズがお前の内面に共鳴し、自己増殖し始めるとは」


「私の…内面?」


「そう。お前の心の奥にある、完璧な美への疑念。制御された世界への違和感。それらが増幅され、ノイズとなって拡散した」


思い返せば、私は完璧を追求しながらも、どこか空虚さを感じていた。作り上げた美しさの向こう側に、何か大切なものを見失っている気がしていた。


「選べ、リコ。このまま偽りの美を守るか、それとも真実と向き合うか」


カイトは小さな装置を差し出した。「これを使えば、ノイズを止めることもできる。だが、それは再び嘘の世界に戻ることを意味する」


私は深く息を吸い、決断した。


「第三の道を選ぶわ」


私は調合パネルを取り出し、ノイズのパターンを分析し始めた。カイトは混乱した表情を浮かべる。


「何をしている?」


「ノイズを否定するのでも、受け入れるのでもない。統合するの」


私の指先が踊る。天才的な直感が働いた。ノイズが持つ混沌のパターンと、私が追求してきた調和を、新たな次元で融合させる。


「完璧は存在する——でも、それは固定された形ではなく、常に変化し、成長し続けるものなのね」


光が部屋中に溢れ、世界が変容し始めた。ノイズは消えず、むしろ新たな秩序の一部となっていく。


「これは…驚異的だ」カイトが呟いた。


私たちの周りで、現実が再構築されていった。醜いと思われていた荒廃も、美しい都会の景観も、どちらも真実の一部として共存している。


「現実は一つじゃない。多層的で、矛盾に満ちている。でもそれこそが本当の世界の姿」


私はサロンに戻り、クライアントたちに新しい「ハーモニック・ノイズ」レイヤーを提案した。それは現実を美化するのではなく、多様な視点から見る力を与えるものだった。


江戸川響子は最初の着用者となった。彼女の目に映る世界は、もはや単一の美しさではなく、複雑で豊かな万華鏡のようだった。


「これまで見えていなかったものが、こんなにもあったなんて…」


彼女の言葉に、私は微笑んだ。


真の美とは、現実を覆い隠すものではなく、それを深く理解し、受け入れる視点なのだから。


人間性と技術が融合した新しい世界で、私は再び現実をデザインし始めた——今度は、真実の上に立って。

あとがき:「ノイズの彼方に」を書き上げて


皆さん、こんにちは!いつも"小説家になろう"様で私の作品を読んでいただき、ありがとうございます。今回投稿した小説「ノイズの彼方に」はいかがでしたか?


実はこの物語、深夜のショッピングモールで一人ウィンドウショッピングをしていたときに閃いたんです。各ブランドの世界観が違いすぎて「もしこれが本当に別の現実だったら?」と考えたのがきっかけでした。ファッションって単なる服じゃなくて、身にまとう「世界観」や「フィルター」なんですよね。


主人公のリコには、私自身の完璧主義的な側面を注ぎ込みました。「完璧な美」を追求するあまり、時に大切なものを見失ってしまう…そんな経験、みなさんにもありませんか?完璧な自撮りを求めて100枚も撮り直したり、完璧なコーディネートを求めて部屋中に服を散らかしたり…。


書いていて一番苦労したのは、「ノイズ」の描写です。美しさの対極にあるものを表現したかったのですが、単なる「醜さ」ではなく、新たな秩序や真実を内包した混沌を描きたくて。何度も書き直しました。私のデスクには色とりどりのポストイットが貼られ、ノイズのパターンについてのアイデアで溢れていました。


また、現実レイヤーのコンセプトを考えるのも楽しかったです!「ネオンパンク」「セレスティアル・ブルー」「エレガンス」など、実際にあったら着てみたいレイヤーをたくさん想像しました。皆さんはどんなレイヤーを着てみたいですか?


執筆中、自分でも気づかなかった伏線が自然と回収されていくのは、物語が自分の手を離れて生きはじめたような不思議な感覚でした。カイトという謎の科学者のキャラクターは最初から計画していたわけではなく、物語が彼を必要としたんです。小説って本当に生き物みたいですね。


この作品のテーマである「真実と幻想の境界」「美の本質」は、現代のSNS社会やフィルター文化にも通じるものがあると思います。私たちは日々、どれだけの「現実レイヤー」を重ねて生きているでしょうか?そして、その下にある素の自分や世界と、どう向き合っているでしょうか?


次回作も構想中です!ファッションと哲学が交差する世界観をさらに深掘りしていきたいと思っています。皆さんからのコメントや感想もぜひ聞かせてください。読者の皆さんとの対話が、いつも新しいインスピレーションをくれるんです。


それでは、次回の更新までお楽しみに!あなたの現実が、美しいレイヤーで彩られますように。

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