便所くせぇ町
…この時期になると、外出がいやになる。
町中いたるところで、便所の匂いがするのだ。
キンモクセイの匂いが、鼻について仕方がないのだ。
このニオイを嗅ぐと…、子供の頃を思い出す。
まだ便所がくさくて汚くて近付きたくない場所だった時代の記憶が甦る。
ハエがブンブン飛んでいるぼっとん便所。四角い便所紙の横に置いてあった背の高いプリンみたいな形をした芳香剤。便所でクソをするたびに体に染みついた、気持ちの悪いニオイ。
便所の臭さを打ち消すために作られた強力なニオイは、なかなか消えなかった。臭いニオイを良いニオイでなんとかしようとした結果、ありえないレベルでニオイを撒き散らす物体が生み出されてしまったに違いない。
芳香のふりをして、身体に…記憶に…魂に染み込んだ、わざとらしいニオイ。
貧しかった時代のイヤな思い出まで顔を出す…忌々しいニオイ。
全身くまなくねっとりと絡みつく、不愉快極まりない臭い。
呼吸をするたびに、ムカムカと吐き気がこみ上げてくる。
……一刻も早く、臭いのない場所に向かいたい。
「あら、高田さんじゃない!こんにちは!!お出かけ?」
「こんにちは!今ねぇ、金山さんと近所をお散歩してたのよ、今年も金木犀がよく薫っているから!」
なるべくニオイを嗅がないよう、下を向いて黙々と歩いていたら…ご近所さんに出くわしてしまった。
「ホントいい香りよね!私今の時期が一番好きなのよぅ!このあたりは植えてるお宅が多いからありがたいわ〜」
「高田さんも一緒に香り巡り、どう?ついでに再来週の懇親会の打ち合わせも兼ねて!そういえばこないだの敬老会でね…」
こんな悪臭の中でよくもまあ…こんなにギャアギャア騒げるものだ。
「あはは、今日はちょっと…スミマセン」
「あらぁ、残念。じゃあ月末の区会でね!」
「そういえば、南住吉の花田さんが連絡してほしいって言ってたわよ〜」
すれ違ったとき、風に乗って…ご婦人方の香水のニオイが漂ってきた。いつもは閉口するニオイだが、今日は少しだけありがたいような気もする。
…気の所為だな、多分。
キンモクセイだらけの住宅街を早足で駆け抜けた俺は、車が行き交う騒がしい交差点で…深呼吸を、ひとつ、ふたつ。