後編
「貴女が言いたいのは、私が嘘つきの大悪党だと。そういうことですか? この辺りに民家が無いのも、私が皆殺しにしてしまったとか?」
「また、とぼけて。何をやったのかは貴女が、ご存じでしょうに」
私に視線を合わせないよう、ため息をついて彼女は首を横に振って見せます。いかにも名演技で、もう私は彼女が言うとおりの大悪党で構わない気さえしてきました。私より彼女の方が、よっぽど小説家としての才能があると思います。
「なるほど、此処には、私と貴女の二人しか居ません。私の言い分が正しいのか、貴女の言い分が正しいのかは証明できない訳ですね。客観的な証人が、いないのですから」
私が、この辺りの人間を皆殺しにしたのなら、もう警察に逮捕されてると思うんですけどね。さては警察も、私が買収してしまったとか? そんなに私は、お金持ちの小説家だったんでしょうか。ちょっとビックリです。
彼女に感心してばかりも居られません。仮にも、こちらはプロの小説家なのです。アマチュアの彼女に才能で圧倒されてしまっては沽券に関わります。何かしら反論するべく、私は言葉を続けました。
「私は私の言い分を通したいんですけど、でもアレでしょ? 私が何を言っても全部、嘘だという扱いになるんでしょう? 小説家は嘘つきだというのが、貴女の主張ですから」
「ええ、当然です。貴女が言うことは全て嘘。ですから貴女は、何も証明できません」
「そうですか。じゃあ、こうしましょう。『これから私は、嘘の話をします』。どうですか? 嘘つきが『嘘の話をします』と言えば、これは本当の話をするってことになりませんかね?」
「……分かりませんよ。嘘つきが、いつも嘘をつくとも限らないでしょう」
拗ねたように、彼女が言います。視線は下界の景色へ向けたままです。お城のテラスから眺める景色も良いですが、やはり私は、こうして彼女の姿を見ている時に最も幸福を感じます。彼女は私に、『嘘の話』をする許可を与えてくれたようなので、張り切って語ってみましょうかね。
「とにかく、話しますね。昔々、という程でもない最近の世界では、こういうことがありました……」
地球、暑いですね。最近の地球は温暖化が進んでいて、もはや手遅れの状況となっていました。決め手というか、悪い意味での決定打になったのが戦争でしたね。軍隊からの、大量の温暖化ガスは確実に気候変動を加速させていきました。
幸いというべきか、かねてから進められていた、火星などの惑星地球化計画に人類は成功しました。居住が困難となった地球を捨てて、人類の大多数は他の惑星へと移住していったのです。今後も人類は存続していくのでしょう、良いことです。しかし『大多数が移住した』とは、言い換えれば、少数の人類は地球に残ったということでした。
地球に残った者たちの理由は、様々でしょう。これまで住んでいた土地を離れたくない、という人も居たと思います。これは私には当てはまりませんね。売りに出されていたヨーロッパの古城を喜んで買ったのが私ですから。
健康上の理由で、宇宙への移住を諦めるしかなかった人もいます。お年を召した方々や、身体に障害がある方々には負担が大きすぎるのです。たとえば今、私の隣にいる、車椅子の彼女などには。
そして。地球から他の惑星へ移住する人々に付いて話しますと、それらの人々には一種の義務がありました。すなわち、人類の数を増やすことです。『産めよ、増やせよ』という訳ですね。
他の惑星への移住は、それぞれの国の政府が、国民へ優先順位を与えて進めていきます。それから移住先の惑星で、男性は精子を提供して、女性は出産することを奨励されるのです。
こんな状況ですから、同性のカップルなどは歓迎されません。求められている人類とは、『産ませる機械』であり『産む機械』なのです。地球から他の惑星へ移住したければ、私たちは出産に可能な限り協力するという書面にサインをして、宣誓する必要があります。そんなことは、とてもじゃありませんが、私には出来ませんでした……
「と、まぁ以上が、私の嘘話です。どうですか、ご感想は」
「つまらない話ですね。まるで現実そのものです」
私から視線を外したまま、そう彼女が言いました。そうですねぇ、もっと明るい嘘を言えたら良かったと私も思います。小説家としての才能は、やはり彼女が私よりも上なのでしょう。
『この社会に障害者は、いないことになっている』と批判した小説家の方が、いましたっけ。同性愛者の扱いも、似たようなものです。いつまでも同性婚は認められず、『人並みの権利が欲しければ異性と結婚しろ』と言わんばかりの応対が続きます。ええ、これは私の嘘話ですとも。きっと現実には、もっと世の中は良くなるのでしょう。期待していますよ。
「……車椅子に乗った私なんかより、もっと素敵な人は、いくらでも居るでしょう。貴女なんか、何処へでも行ってしまえばいいのです……か、顔も……見たく、ありません」
声を震わせながら、彼女が言います。まったく、どちらが嘘つきなのやら。私は彼女の泣き顔には気が付かない、という振りをして、正面の景色を見ながら会話を続けました。
「そんなことを言わないでください。貴女の素晴らしさは、私が一番、知っています。いずれ地球が、この世界が滅びるとしても、私の居場所は貴女の隣です。いつか死が私たちを分かつとも、お互いの思い出を胸に、残された方は生きていきましょう。それが私の願いです」
「貴女なんか、大嫌いです……だから絶対、私より長く生きてください。貴女の遺体を処理することなど、私は絶対に嫌です。私は身体が弱いので、貴女よりは先に世を去るでしょう。面倒な作業を押し付けられずに済みそうで、清々します」
城のテラスで、それから私たちは、ただ緑の森を見て。鳥の鳴き声に耳を傾けながら、幸せに時を過ごしました。少なくとも私は幸せでしたし、彼女も幸せだったと信じていますよ。
気が付けば古城のテラスで、椅子に座ったまま私は眠っていました。目を覚ますと、もう夜です。既に彼女は寝室で休んでいて、私は冬の星空をロッキングチェアの上で眺めていたのだと思い出します。夜だというのに、まったく寒くないのですから、地球の温暖化も悪いことばかりではありません。
この星空の何処かで、人類が生きているのだと考えると、不思議な気がします。きっと今の地球よりも、ずっと住みやすい環境ではあるのでしょう。それでも私は、移住するつもりはありません。愛する人がいる場所、そこが私の住処です。
私は彼女の話を思い出します。彼女いわく、私は大悪党で嘘つきの小説家なのだとか。まあ、私はロクデナシではあると思ってます。人類や世界の大多数よりは、彼女の方を愛しているのですから。人類も世界も、滅びるなら滅びれば良いのです。マイノリティーを切り捨てることでしか存続できないようなシステムは、どのみち人間を幸せにできません。
滅びの文学というものは昔からありました。どんなテーマでも商売にできるのが、小説家という稼業の良いところです。そういう意味では差別される側、区別される側に回るのも、悪い体験ではありませんね。表現者は差別する側に回っては、いけません。これからも気をつけていきたいと思います。
人や景色といった、愛するものの多くを失ったとしても、きっと私は小説を書き続けることでしょう。美しい思い出こそが、創造の源泉です。お伽話は『いつまでも、幸せに暮らしました』と終わりますが、あれは夢物語ではありません。人に必要なものは、愛や幸福についての記憶なのです。私の小説で、そういった記憶を掘り起こす手助けができたら良いですね。
ロッキングチェアに寝そべりながら、私は頭上の星空へと手を伸ばします。夜の古城で独り、魔術を振るうかのように手を動かす私は、物の怪の姫であるかのようです。やがて空からは、魑魅魍魎の大群が押し寄せてきました。目指すは私の命でしょうか。
天へ伸ばしていた指先を、一気に下へと振り下ろします。冬の稲妻が鳴り響き、一瞬で悪鬼どもは霧散していました。満足して、私は椅子から立ち上がります。明日の午前中に原稿を執筆するべく、そろそろ寝室で休むとしましょう。
空っぽの世界で、女王のように佇む私は無限の力を振るいます。誰も居ない世界を掌握できたような感覚があって、悪い気分ではありません。私は自分の小説さえ売れれば満足なのです。今や電子書籍は、他の惑星にいる人々へも販売ができます。向こうでは娯楽が意外と少ないようで、地球にいた頃の思い出を、私の小説を読むことで振り返りたがる読者が増えているのでした。こんな需要があるとは驚きでしたねぇ。
無名の小説家である私は、せっせと嘘を書いていきます。全ては私の嘘話。皆さま、お休みなさいませ。
 




