来訪者
パチパチパチ……。
「さすが、お見事です。そのエンブレムは飾りじゃなかったんですねぇ」
沈黙を破ったのは店内に響く拍手の音と、穏やかな口調だが、どこか感情のこもらない冷ややかな声。
店内の奥の壁に黒い影のようなものが渦を巻いて壁一面に広がると、それを抜けて声の主と思われる人物が姿を現した。右後方に付き人らしき女を一人従えている。
「もういいですよ、ゴーシュ」
男は柔らかな物言いでそう口にし、パチンと指を鳴らした。すると、襲撃者の男が泥のように形を崩し地の影に溶けっていった。そして自身の主人の左後方に姿を現した。三人とも金の刺繍があしらわれた中華風の衣装を身に纏っている。
佐伯は手にした刀を構えなおし、目の前に突如現れた3人の一挙手一投足を観察し警戒する。
左の女は尖った耳に褐色の肌。ダークパープルの髪をサイドで一つに束ね、背中には折り畳まれた羽が覗いていた。
ゴーシュと呼ばれた右の男は屈強な体躯、スキンヘッドに剃り上げ額にはエメラルドグリーンの鉱石が埋め込まれ怪しく光を放っている。
そして特筆すべきは、この場で一番異質なオーラを放つ中央の男。身長は一番小柄であるが、佐伯の警戒はその大半がその男に向けられていた。その口元には薄っすらと笑みが浮かべられ後ろで手を組んでいる。透き通るように白い肌に、吸い込まれそうな程の深い紅の瞳が不気味さ強調する。黒い長髪を後ろで三つ編みに束ね、肩越しに前に垂らしている。
「あなた、純血吸血鬼族……?」
「さすが博識ですね。でも残念、私は吸血鬼族ですよ。アウロラさん」
呟いたアウロラに対して穏やか口調で回答する。開いた口に尖った犬歯がわずかに覗いた。
「なんで……名前を」
名指しされたアウロラの背中を冷たい汗が伝う。
「情報通なんですよ私。それに仕事柄一度見た人の顔と名前は忘れないもので。だからそんなに怯えないで下さい。あ、バーテンさん私にもトマトジュースを頂けますか?」
そこで佐伯とアウロラは違和感に気づく。あれだけの大立ち回りがあったにも関わらず、獣人の男は変わらず酒を煽っているし、鳥人の女も気にすることなく読書を続けている。バーテンに至っては男の注文を受け「畏まりました」とトマトジュースを作り出した。
「皆さんには幻を見て貰ってます。私たちのことはだだの待ち合わせに、ね」
カウンターに出されたトマトジュースが先ほどの襲撃者と同様に影に溶け、男の手元に。自らの目の色と同じ紅い液体をひと啜りすると「これは素晴らしい」と零した。その所作の一つ一つに男からの余裕が感じとれた。佐伯は先刻の質問を繰り返す。
「何者だ?」
アウロラも固唾を呑んで状況を見守っている。
「これは失礼、申し遅れました。私はカレン・リエ・オルキデ。彼女はドロワ、彼はゴーシュ。この街で錬金業を営んでおります。以後お見知りおきを」
丁寧に頭を垂れるカレンと名乗る男。これまでに見せた幻術や移動術だけとっても只者でないことは解る。しかし、数多の経験を積んできた佐伯にも男の底を量ることはできなかった。佐伯は警戒を最大限に、いつでも動ける体勢を崩さなかった。
「これ以上の危害を加える気はありません、ですから刀を納めて下さい」
「!?」
カレンは佐伯の構える刀の刃を優しく指で挟み、そしてペロッと舌を這わせて見せた。完全に佐伯の間合いの内側。いつ懐に入られたのかも解らなかった。そして次の瞬間には後ろを取られていた。佐伯の刀はカレンの手中にあった。
「これは銘刀ですね。良く切れそうだ」
白刃が佐伯の首元で鈍く光る。佐伯の顎先から冷や汗が滴り、刃を伝い滑り床に落ちた。
「万桜!」
アウロラの叫び声に名前を呼ばれてハッと我に返る佐伯。手に刀を構え、目の前に三人の来訪者が対峙している。カレンは変わらず不敵な笑みを浮かべている。
「幻術……?」
「さすが、アウロラさんには効きませんか」
そこで自分が見ていたモノが幻だったと気がついた佐伯。力量差は歴然だった。アウロラがいなければ未だに幻影に囚われていただろうことを悟り、無駄な抵抗を諦め刀を降ろした。
「もういいだろう?悪ふざけが過ぎる」
意外な声がカレンに苦言を呈す。それは一部始終を沈黙していた堀井から発せられた。カレンはニヤリと初めて両の牙を露わにする笑みを浮かべた。