東部のとある街にて
とある秋晴れの日、連日続いていた茹だるような暑さと纏わりつく湿気が徐々に和らぎ、吹く風に心地よい涼しさを感じるようになった。色を変え始めた木々の葉と同じように道行く人々の衣の袖の長さグラデーションがついている。
炎天下には日差しに焼かれたベンチが静かに佇んでいたいたこの公園も、今は行楽に向けにわかに活気づいている。週末には街の豊作や鎮魂を願って女神に感謝するお祭りが行われる予定になっており、まばらな木々とベンチしかないこの広場にも特設のステージが設置される。
そんな賑わいの中、佐伯万桜は一人頭を悩ませていた。考え事をするとき、決まって左足の爪先で一定のリズムを刻むのがこの男の癖だ。メトロノームのように正確なそのテンポは、彼の思考に合わせて早さが変わる。今日は靴の紐が踊るようにぴょんぴょんと飛び跳ねていた。
佐伯が羽織る襟付きローブの二の腕には精巧な刺繍にゴールドのあしらわれたエンブレムが施されていた。誰もが一度は目にしたことがあるであろうシンボルが、この男の身分を物語る。エンバンティア・日本共同学術研究所、通称『魔法・科学図書館』の研究職に従事する証だ。
突如太平洋に現れた異世界の国家エンバンティアと国交を結んだ日本とが、両世界の技術と学術の発展のために共同設立した研究機関である。そして世界初の国交樹立の象徴としても名を知られていた。
そして現在、佐伯が居るのは施設のある島から海を渡り、エンバンティア本国東部の穀倉地帯に位置する小さな交易都市であった。
海を渡るとはいっても、ここは魔法国家。大都市には魔法で移動するための転送装置があるため、近くの港湾都市までそれを使って移動し、そこからレンタル魔導キックボードで1時間も移動すれば事足りるので、それほど大した労力はかからない。日本でこの距離を移動しようとすると、それこそ移動だけで半日はかかっただろう。
佐伯はある目的のためにこの街に訪れ、かれこれ数日間滞在していた。祭りの準備が着々と進んでいく中、陰鬱な面持ちで何やらブツブツと呟いている佐伯に、行き交う人々は怪訝に思いながらも見て見ぬふりで通り過ぎていった。
「まじ有益な情報どころか、ちょっとした噂や都市伝説みたいなものも出てこねぇってどういうことだ。やっぱガセネタ押し付けたんじゃねーだろなあのマッドサイエンティスト」
マッドサイエンティストとは佐伯の上司である男のことだ。天才的な頭脳を持ち、魔法の力で不眠不休で研究をするこの男を形容するのにこれほど適した言葉もない。ある程度の口の悪さも同じ大学の先輩であり、直属の上司でもある男への敬愛あってのことだった。
今回佐伯に与えられたミッションは研究に必要な素材の調達であった。佐伯は改めて懐から携帯端末を取り出し、今回のターゲットの情報を確認する。端末に手を翳すと、小さな魔法陣が光り、目の前の空中にディスプレイが表示される。佐伯が幼いころはSFの世界の技術だったこの端末も、今や使い慣れたものである。
「ヒヒイロカネ(仮称)。炎が揺らめくように紅く輝く鉱石。暗所で見るとまるで松明を焚いてるかのように怪しく周囲を照らす。ツルハシなど鉄製の道具でも傷一つ付けることができない。現在確認されている鉱石やその他素材にそのような特徴があるものはなく、新素材の可能性あり……と」
未知の素材にも関わらずある程度具体的なのは、匿名の情報提供があったからである。洞窟を探索中見たこともない鉱石を発見した、と。情報の内容は具体的であるが、唯一その洞窟のあった座標が不明とのことだった。
そこで先遣隊として白羽の矢が立ったのが、佐伯であった。魔法の腕を買われてとのことだったが、何やら面倒な仕事を押し付けられた感を拭えない。
この街に来て数日、様々な情報ツウたちに聞き込みして回った。行き交う行商、宿屋の店主、ギルドの受付、噂話に興じている奥さん方、酒場のマスター、お酌してくれた猫耳のお姉さん、意気投合したおじさん、次の酒場のマスター……以下略。
だが皆口を揃えて見たことも聞いたこともないという。
「……ま、いっか。そこそこ楽しんだし、収穫祭見てから帰るか」
しばらく悩み、調査?の回想を経て投げやりな結論を出した。言い訳としての調査報告書を書くにも十分ではあった。
佐伯は端末を懐に仕舞う。と、周囲の人々がにわかに騒がしくなる。一方から悲鳴を上げて慌てた様子の人々が押し寄せてくるのを視認したのと同時に「ドン!」という爆発音が響いた。
佐伯はすぐさま音のした方角へ駆け出していた。その間も二度三度、同じような爆発音が届く。逃げてくる人々が出てくる路地の先には中央広場がある。そこでは祭りのイベント準備が行われているはずだった。
「んな!こんな街中になんで」
佐伯が現着したまさにその時、巨大な魔獣の爪が倒れて逃げ遅れた男に振り下ろされようとしているところであった。
「間に合え!」
佐伯が地に手を付くと、そこに魔法陣が浮かぶ。それと同じものが、猛威を振る魔獣の足元に現れた刹那、その前脚と首が宙に飛ぶ。
「うあぁ、俺の商品がぁ」
その光景を見ていた群衆の中にあがった声を佐伯は見逃さなかった。素早く横目で声の主を追う。その視線に気取ったのか、立ち去ろうとするその人物の足元が光る。
四方の地面から突き出した幾重の刃が行く手を阻み、まるで牢のように取り囲む。それは地面から生えたそれらは大小様々な形をした刀剣だった。捕らわれた人物は引き攣った顔でその場にへたり込んだ。