番外編〜愛を知らない頃の話〜
これは、私がメイド育成学校で、推薦を受けて初めてメイドとして仕えるようになったころの話。
京真さまに出会う、一年前のことだった。
ピッ、ピッ、ピッと規則的な電子音が、部屋に響いてる。
女性の部屋とは思えないほど簡素なこの部屋の奥には、大きな真っ白なベットが置かれており、そこに見目麗しい美女が横たわっている。
私はベッドの横にワゴンを運び、そっと彼女に話しかける。
「椿さま。昼食の用意ができました。いかがですか?」
ピクッと小さな腕が震え、長いまつげでふちどられた目が、ゆっくりと開く。
「……ごきげんよう、水響。もうそんな時間?」
彼女はふわりとほほえみ、よいしょっと腰をあげる。
なぜか椿さまが目をさますと、簡素なこの部屋が、宮殿のように感じるのは気のせいだろうか。
少し熱めのコーンスープを、一生懸命小さな口で冷まそうとしている猫舌なこの方は、私の主人。大美和椿さま。
ご両親が、海外で活躍している自動車会社の社長夫妻であり、基本この家には、お二方はいらっしゃらない。
椿さまは幼少期のころから体が弱く、ほとんど屋敷からでたことがないんだそうだ。
「もういらないわ。あまり食欲がないの」
「かしこまりました。お下げします」
カチャカチャとお皿を下げ、戻してからまた部屋に戻り、入口で待機。
いつ椿さまが、とっさの発作を起こしてもすぐに気づけるように、部屋の中で待機させてもらっている。
椿さまはスケッチブックに、鉛筆で絵をかいていた。
シャッ、シャッとあまりにも軽やかにかくものだから、つい聞いてみた。
「なにをかいていらっしゃるのですか?」
「あら。みてみる?いいわよ」
近づいてのぞいてみると、つぶらな目と影の明暗が特徴的な、ホトトギスがかかれていた。
「そろそろ暖かくなったなあと思って窓をみたら、この子がいたの。あわててかいたんだけど、飛んでいっちゃった」
眉を下げ、遠慮がちに笑う彼女は、誰がみても庇護欲を誘う雰囲気をしている。
と、その隣に人物もかきだした。
「…?男性、ですか?」
「ええ。そうよ」
ただの男性、にしてはすごく思いいれがある、優しい顔をしたから、迷ったけどきいてみた。
「どなたでしょうか?」
「……私の、大切な人。元婚約者だったの。たまたま、私の体調が一時的によくなったときがあってね?そのときに行ったパーティーで知り合ったの。だけど2ヶ月前ーー事故で亡くなった」
椿さまの伏せられた目をみたとたん、私はあわてて頭を下げた。
「も、申し訳ございませんっ!ご無礼を働きました!」
「いいのよ。気にしないで。……前川、少し外にいてくれないかしら?」
「えっ…」
前川さんは、私と同じ部屋の中での待機命令を承っているメイド。
25歳ぐらいの、少しそばかすがついている女性は、頭を下げ、私をひとにらみしてからでていった。
「なぜ前川さんをでていかせたのですか?」
「あなたにだけ話すことを話しておこうと思って。あの子はもう何年も私に仕えてくれているから、あまりそういう子達には聞かれたくないの」
形の良い唇の前で、しーっと人差し指をたて、内緒の合図をする。
その人差し指が離れたかと思うと、点滴がついている腕が、パタリと落ちた。
「私ね、もうこの先長くないと思うの。たぶん、2ヶ月ももたないわ。わかるのよ、自分の体だから」
「へっ…」
「でも私は、それでもいいと思ってる。むしろ、はやくあの世に行きたいぐらい」
「なっ…何を言ってるんですか!?」
思わず、細い肩をつかみ、椿さまに目線をあわせる。
「だって……いんだもの」
「え?」
「大切な人が生きていない世界なんて、いらないんだもの。意味なんてないわ」
辛そうに目をふせようとするけれど、意志のこもった強い瞳が、私の目を見つめ返す。
「大切な人……。それは、どういう感情なんでしょうか…」
「え…?」
今度は椿さまが聞き返した番だった。
私はゆっくりと、彼女から手をはずす。
肩をおらないように、ものすごく小さい握力でつかんだつもりだったけれど、しわができてしまった。
「私には、その感情がわかりません。なので、他の人なら、そう聞いたところであなたさまを説得するのでしょうけど。私は……どうすればいいのか、正解がわからない。むしろそう思えるのは……素敵なことだと、そう思います」
まっすぐな目で見つめ返すと、椿さまは小さな口を大きく開けて、しまいにはぷっとふきだしてしまった。
「な、何がおかしかったでしょうか?」
「ふふっ。なんかおかしくって。私の気持ちを素敵だって言ってくれた人は初めてよ。いつか水響にも、大切な人はできるわよ」
「そうですかね…」
自分にそんな人ができるなんて想像がつかなくて、首を傾ける。
「椿さまは、その婚約者さんのことを、愛していたのですか?」
なんだか自分の口からでた、『愛していた』の言葉が薄っぺらく感じて、質問したあとで後悔した。
私には、誰かを愛するという気持ちも、権利もないのだから。
『他人に余計な感情をもつな』
これが、殺し屋時代の鉄則だった。
「そうね…」
椿さまは少し考えたあとで、いきなり私の腕をつかんできた。
ふりほどこうと思えばできるほどの握力と速度だったけれど、私は大人しくベッドに手をついた。
今、椿さまの上にのり、潰さないように手でベッドを抑えている。
ギシッと、きしむ音が響いた。
「椿さ…」
「知ってる?水響。"大切"と"愛"って無関係なの。大切な人には、傷ついてほしくない。その人を幸せにできるなら、自分じゃなくてもいい。だけどね。愛は、真逆なの。その人を傷つけて傷つけて、私のことを一生忘れられなくしてやるの。幸せにするのも、私がいい。愛する人のためなら、なんでもできる」
スルリと、細く白い腕がまきついてくる。
首筋がゾクゾクしてたまらない。
ごくっとのどを鳴らすと、椿さまはふっと悲しく微笑んだ。
「たぶん私も、"愛"だったのね……」
やっぱり私には、椿さまのいっていることが分からなかった。
それから何日か後。
椿さまに食事を持っていくために調理室に入ると、前川さんが何やら瓶を片手に妙な動きをしているのに気づいた。
あれって、毒盛る時の入れ方じゃない?
ちらちらと料理人の方を確認しながら、手元を見ずに粉を食事にかけている。
どうみても怪しい。
とりあえず、前川さんがでていってから、お皿を手に取り、匂いをかぐ。
これで確信した。
殺し屋時代の習いたてのころに、匂いを覚えさせられたあるモノ。
わずかだけど、それが入っている。
私はそのお皿をもち、椿さまの部屋へと向かった。
部屋に入ると、珍しく椿さまが目をさましていた。
「ふふ、今日は水響が起こしに来る前に、自分で起きられたわ。びっくりした?あら、今日はスパゲッティなのね」
無邪気な、いたずらっ子な顔で笑う椿さまは、気づいていない。
これから自分が食べるものに、何が入っているのかを。
いや、今まで食べてきたものに、だ。
私は手にしたお皿を机には置かず、前川さんの前まで行き、足をとめた。
「…?天宮さん、はやく椿さまに食事をお渡しして」
眉をよせ、いぶかしげな顔をする彼女をみて、ハッと乾いた笑い声がでた。
「お渡しして?あなた、椿さまを殺すつもりですか?」
「「えっ?」」
聞き捨てならない言葉に、椿さまと前川さんが同時に反応する。
しかし、前川さんの腕は、カタカタと震えている。
スパゲッティに顔を寄せ、わずかに匂いをかぐ。
そして手袋をとり、スパゲッティの表面に、わずかに残っているモノをぺろりとなめた。
「なっ…あなた何してるの!?椿さまのお食事よ!?」
スパゲッティを食べるには、麺ではなくそれに混ぜているものをつまみ食いしたことに、違和感を抱いているはず。
「これ。抗不安薬ですよね?」
ビクッと、前川さんが反応した。
やっぱり、そうみたいだ。
「み、水響。抗不安薬ってなんなの…?いいモノじゃないの?」
「はい。その名のとおり、食べると不安や緊張を取り除ける薬です。医者から言われたとおりに接種した場合、良いように作用が働きます。しかし、問題はおそらく、前川さんが許可なく食事に混ぜていたこと。実はこの抗不安薬、依存性がある薬なんです。また、匂いにも不安を和らげる作用がある。前川さんは何年か前から、食事にこれを混ぜていた。椿さまはそれをほとんど毎日食べることで、薬に依存する。一時の安心感を感じた先で、最終的に死亡する可能性があるとも知らずーー」
「なっ……ど、どうしてそんな…ほんとなの、前川?」
カシャン、と手すりに手をつき、つたない笑顔で前川さんに笑いかける椿さま。
前川さんは……椿さまの必死の視線から、目をそらした。
「じゃあ、じゃあもしかして、私が前よりもよく眠るようになったり、体が動きにくくなったりするようになったのって…」
「それらは、抗不安薬の副作用です」
うそ……とベッドに倒れるように横になった椿さま。
その顔は真っ青を通り越して真っ白。
彼女に手を伸ばそうとしたとき、アハッと歪んだ笑い声が響いた。
声の主はーー前川さん。
「そうよ。よく気づいたわね。あなたたしかメイド育成学校から推薦で来たんでしたっけ?ほんとうに面倒なのがきたわ。おかげで一年もかけた計画が椿さまにバレちゃった」
今までの物静かな前川さんはいない。
目の前には、口角を上げ、主人への執着心でいっぱいな表情のメイドがいた。
「私は一年前から椿さまに心酔してた。けど、あなた様には婚約者がいた。私は憎くて憎くて…事故にみせかけて、あいつを殺したの」
「えっ…!?」
知らなかった新事実に驚いているひまもなく、前川さんはしゃべりだす。
「それでやっと婚約者のことを忘れると思ったのに、椿さまはまだあいつのことを想ってる。だから、ほんとはあいつと同じ世界にいかせてやりたくはなかったけど…椿さまを殺して、私も死のうとしたの」
なにを、言ってるんだこの人。
私はゆらりと椿さまから離れ、一歩一歩前川さんに近づく。
「私は椿さまのことを第一に、大事に想ってる!!あまり苦しくさせないように、殺す材料も抗不安薬にした!だって、私の大切な人には、ダメージを少なくさせてあげたいものっ……」
私は勢いのまま、前川さんを地面に押し付けた。
ミシミシッと、床か前川さんの体か、どちらのものかわからない音がなった。
「いっ、痛ッ…!!」
じたばたともがいている前川さんの目の前に、スパゲッティ用のフォークをつきだす。
そして、とんっと脳天をおす。
「知ってますか、前川さん。人間の急所は、脳天なんです。ここをつかれると、意識不明になり、平衡感覚を失います。あと、首かなぁ。喉頭隆起の部分を打たれると、呼吸困難になりますよ」
「なっ、なんでそんなこと知ってんのよ!?まさか、私を殺すつもり!?」
思わず、はあ?と低い声がでた。
「あんたが椿さまにしようとしたことと、なんら変わらねえよ。ほんとにあの方を大事に想ってんのか。あんたの、椿さまへの感情はーー!」
私は脳天の上にかざしていたフォークを床にガスッと突き立てた。
「私にはわからない…歪んだ、愛」
前川さんの頬に、ピッと赤い線が走った。
そして彼女の目も赤くなり、ぼろぼろと涙をこぼした。
「そう…私は、殺したいほど椿さまを愛していたのね…大事になんて、できなかった…」
その後もしばらく、部屋には前川さんの泣き声が響いていた。
あの事件から一年後。
前川さんは職務を剥奪され、私はメイドをやめた。
なぜかというと…椿さまがあの事件から一ヶ月後に、亡くなったからだ。
最後は私と他のメイドや執事たちが見守りながらだった。
こんな時でさえも、奥様と旦那様は帰ってこず、椿さまがいつもより寂しく、孤独にみえた。
『水響…愛も、誰かを大切に想う気持ちも、わからないと言っていたわよね。これから、知っていけばいいのよ。いつか自分の全てを受け入れてくれる人に、出会って恋をするから』
それが、椿さまの最後の言葉だった。
ずっと、椿さまに言えなかった本当のこと。
私は、罪深き元殺し屋だったんです。
こんな罪人が、誰かを大切に想うのも、大切にされるのも、あってはならないんです。
私はずっと、下を向いて拳を握りしめていた。
椿さまが亡くなって一年。
今日は二人目の主人との顔合わせの日だ。
『お初にお目にかかります。この度から、京真さまの護衛、兼メイドを務めることになりました。天宮水響ともうします』
なかなか目を合わせない私に、視線をあわすように促してきた彼。
初めてみた彼の目は…正義感にあふれた、優しいものだった。
椿さまと似ている。
まぶしいなあ、なんて思いながら、こんな方のメイドを私が務めるなんて、いいのだろうかと不安になった。
本当にこんな私が、愛も、誰かを大切に想う気持ちも、わかる日がくるのだろうか。
『君、瞳きれいだね』
これは、私にとって京真さまが、主人以外のかけがえのない存在になることを、まだ知らないときの話。
つづく