〜あなたは綺麗なひと〜
その薄暗い闇の奥で、人らしき影がぼうっと浮かび上がってる。
あの人、こんなとこでなにしてるんだろう。
よーく目をこらしてみれば、その影の足下に、大きな塊が丸まっている…?
もしかして、けが人?
倒れてる人がいるのか!?
路地に足を踏み入れようとして、ハッと思い当たる。
護衛係の水響がいないまま、こんな危ない場所にのこのこ入っていっていいのだろうか。
けどー。
俺は足下に伸びる自分の影を見つめてから、足を踏み入れた。
困ってる人がいるのなら、見過ごしたくない。
そう思って奥に進んだ俺は、後に自分の身に何が起きるのか、よく理解することになるのだった。
「なっ……」
俺は目の前の光景に、声を失ってたちつくした。
薄暗い路地の横の壁に飛び散っている、血。
幽霊だと思っていた男は、うずくまってぴくりとも動かない塊から足をどけ、俺に視線を捉えた。
「あれえ~?」
不気味な雰囲気の中、男の間延びした声が響く。
「貴堂さんじゃーん。なんでこんなとこにいるの?」
そいつはぐいっと顔についた血をぬぐい、一歩一歩俺に近づいてくる。
逃げなきゃ。
戻らなきゃ。
なのに、足が動いてくれない。
気づけば、そいつは俺の目の前まできていた。
真っ黒なパーカー、真っ黒なスウェット。
そしてそいつのどこかで見たような顔に、え、とか細くつぶやく。
「水響の…元同じ剣道塾の…」
「あれっ。覚えててくれたんだ。嬉しいなあ。会うのは二回目ですね」
そいつは屈託のない無邪気な笑顔で話しているが、彼の背後には男性の死体が転がっている。
どういうことだ?
なんで、この人が…。
ぐるぐると頭が回って、手に汗がにじんできた。
警察呼んだ方がいいのか?
でもそうしたら、この人はどうなるんだろう。
「あの、なんで俺の名前…。教えた記憶ないんだけど…」
水響が俺のことを京真さまとは呼んでいたけど、名字は教えていない。
そいつはにやっと口角をあげ、血のついた手で、俺の胸をトン、とおした。
「この際だから教えるけど、俺実は殺しやなんだ」
「殺しやっ…!?」
こんな、俺よりも年下の子が、殺しや…?
「そ。殺し屋は主に罪人を始末するのが目的。でも、例外もある。たとえば、クソな社会を形成してるお偉い様どもの次期後継者…とか」
俺よりも背が低くて、物腰が柔らかそうなのに、その目は未成年だとは思えないほど、復讐に燃えてランランと光り輝いてる。
「ねえ、もしさ」
男は俺の胸にあてていた手を離した。
息がつまりそうな緊張から少しホッとしたとき、今度は力強い腕でぐいっとネクタイをつかまれる。
急につかまれたはずみで、手に持っていたレジ袋がどさっと落ちた。
「ちょっ…!」
「俺があんたをターゲットとして狙ってて、あんたに近づいたっていうんだったら、どう思う?」
冗談だとは思えない強いまなざしに、言葉を失う。
「そ、そんな…冗談は…」
なんとか声をしぼりだしてつぶやけば、ハッと鼻で笑われた。
「冗談だって?これだから金持ちは困るんだよ。俺ら社会的弱者が、どれだけ苦労してきたか、知らねえだろ。何度も何度も懇願したのに、おまえらは社会を変えてくれないじゃねえか!「俺ら」の存在を見て見ぬふりして、それでも国民の前では検討しているの一言で済ませて!だから俺らは、俺は、強くなるしかねえじゃん!殺し屋でも何でもやって、大切な人を支えるしかねえじゃんっ…!」
八重歯をむき出しにして、俺につかみかかってくる。
ネクタイをつかんでる、血のついた、成人よりもずっと小さい腕が、震えてる。
俺はきゅっと、その手を握った。
気づけば、俺の頬を涙が濡らしていた。
「は……?」
俺はそいつの手を引き寄せ、おでこに寄せる。
「ちょっ…!あんた、何泣いてんだよっ!つか、血ついてて汚ねえから離せって!」
動揺している彼を逃さないように、手に力を込める。
この子は、本当は殺し屋になってなりたくなかったんだ。
きっと家が貧乏で、大切な人が弱ってしまった。
だから、その人を支えるために、殺し屋なんて始めた。
父さん。これは俺らがおかした罪じゃないのか。
弱くかぼそい声を聞こえないふりして、大きな権力を使って国民を従えてる。
本来なら人を助けられるはずの権力で、国民を苦しめてる。
若者のメンタルケアをしてる暇はない?
甘いやつがもつ考え?
これからの社会を形成していくのは、俺たち若者だ。
国民を苦しめてるあんたらに言われたくねえよ。
「汚くなんてない」
俺は彼の両手を持ち上げ、力強く言いきって、笑って見せた。
「この手は、自分の大切な人を守ろうとする、強くて立派で、きれいな手だ」
そいつの目が見開くと同時、その瞳の奥が揺らいだ。
「な、何言って……俺はあんたを、殺そうとしてんのに…」
辛そうに目を伏せられ、変なことを言っただろうかとあせったとき。
「京真さまっ!」
突然、後ろから水響の声が路地に響いた。
彼女は息をきらしつつも、俺が手を握っている相手をみて、顔を青ざめる。
「フウゲツ…!京真さまから手を離してっ!」
「いや、これどうみても相手のほうが握って…」
水響は俺を後ろに下がらせ、フウゲツと呼ばれた男から距離をとる。
「あなた、やっぱり京真さまを狙ってたのね?」
瞳を鋭くさせる水響をみて、フウゲツは肩をすくめてみせる。
「いや、今日は別件。安心して、ナツネさん。なんも手だししてないから」
水響は奥で横たわっている死体に一瞬目をよこし、さらに顔をこわばらせる。
そして、俺を振り返る。
「こいつの言うことは本当ですか?京真さま」
ぶんぶんと首を縦に振ると、ほっと表情が緩んだ。
無表情なのには変わりないけど。
「そう。ならいいです。ああ、でも」
水響はフウゲツのほうに歩み寄り、いきなりだんっと壁ドンした。
手ではなく、足で。
「ちょっ、水響!?」
「いいかフウゲツ。今後もし京真さまに手をだしたのならーー。私は最悪、あんたを殺すでしょう」
フウゲツと俺の顔が、一瞬で引きつる。
「は、はは…。ナツネさんの殺すは冗談にきこえないですね」
「冗談だと思ってるの?」
水響はフウゲツに顔を近づけ、何か口にした。
俺からは聞こえなかったけれど、凍り付いたフウゲツの顔を見て、なんとなく察してしまった。
ていうか、水響の殺すは冗談にきこえないってーー。
もしかして、水響もこいつと同じ、殺しやなのか…?
「さあ、京真さま。車を待たせていますので、戻りましょう。フウゲツ、私のいうことはわかるよな?」
銀の瞳を鋭くさせ、水響はフウゲツをみやる。
何も言わないフウゲツを背に、俺たちは路地を後にしたーー。
「……水響は、殺しやなの?」
屋敷に帰ってすぐ、俺は着替える前に水響にたずねた。
帰ってきた直後から天候が悪化して、外ではさっきから雷がうなり声をあげてる。
水響は一瞬立ち止まった後で、いつもの無表情で俺を振り返る。
「なぜそう思うのですか?」
「さっきの男と水響のやりとりみてて、なんとなく思った。やっぱり、そうなんだ?」
うまくかわされるかと思いきや、水響はあっさりと教えてくれた。
「元です。一年前に足を洗いました。……私には、向いてませんでしたから」
目をふせる彼女の横顔が、間近でみたフウゲツの顔と重なった。
本当は殺しやなんてしたくなかった。
それでも、自分の大切なもののために、罪人とはいえ、人を殺めることへの恐怖とたたかっていた。
そのときの俺は、きっとどうにかしていたんだ。
きづいたら、水響の体を優しく抱きしめていた。
水響の息をのむ音が、すぐ近くできこえる。
「「きみたち」は、苦労してきたんだね。よしよし」
さらさらの髪を、ぽんとなでる。
さっき一生懸命走ってきてくれたから、いつもはきれいな形のだんごがくずれてる。
「っ、きょ…」
水響の小さな声が、雷の音でよくきこえない。
「え?なんて…」
そういって彼女の顔をのぞきこめば、初めてみた、水響の真っ赤な顔。
唇を震わせて、体温もあつくて。
穏やかなはずの銀色の瞳には、動揺が隠しきれていない。
「そ、んな、優しく触らないでください」
眉尻をさげた赤い顔の彼女が、ぽそりとつぶやいて俺の体を遠ざけようとする。
「私には、優しくされる権利なんてありませんから」
「水響」
水響の言葉に、思わず強い口調で返す。
彼女の頬にふれて、うつむこうとする顔を上げる。
「自分を卑下するようなことは言うなっていってるだろ」
「っ、すみませ…」
銀色の瞳の奥の奥。
殺しなんてしたくなかったけど、それしか道はなかった。
自分が優しくされることになんてなれてない。
どういう反応をすれば正解なのかわからない。
それらの思いがぐるぐると渦をまいてるよう。
「わ、私は、京真さまが苦手です」
いきなり口を開けたかと思うと、急にそんなことを言ってきた彼女。
「なんで?」
「どういうふうに反応すればいいのか、わからないんです。あなた様は、優しすぎる。こんな罪人にすら、そのような態度…。京真さまは、私が怖くないのですか?私はもうとっくに殺しをやめたけれど、もしやめてなかったら、あなたをーーターゲットとして殺していた運命だって、ありえたかもしれないんですよ?」
必死な顔で、距離をつめてくる。
まるで、自分に優しくするのはおかしいことだって言ってるかのよう。
「……俺は」
銀色の瞳をまっすぐみつめ、ふわりと微笑んだ。
「たとえ殺し屋としての水響にも、メイドとしての水響に出会っても、同じ事を思ったとおもうよ」
俺はすうっと息をすって、目を見開いている水響につけたした。
「心も見た目も、きれいな人だなって」
今までよりも一番明るい光で、雷が俺らを照らした。
続く