〜メイドと主人のテスト勉強〜
昔から、人と目をあわせることを避けてきた。
「ねえ、なんで目会わせないの?」
だから新しい主人にそう言われたとき、ため息がでそうになった。
また気味悪がられるんだ。
まあ、慣れてるけど。
恐る恐る顔を上げると、意志の強そうな瞳と視線が交わる。
「君、瞳きれいだね」
驚きすぎて、声がでてこなかった。
私の主人は、大手企業会社の息子、貴堂京真さま。
ここ一週間彼の護衛をしていて気づいたこと。
成績優秀、運動神経抜群。
友人も多く、コミュニケーション能力も高い。
その割には、いつも一部の人としか接しない。
おそらく京真さまは、自分で信用できる人を見定めているのだと思う。
こういうと悪いようにきこえるが、次期跡継ぎとして、大事な能力なのだ。
パーティーが終わって京真さまに就寝の準備をしてもらった後で、私は床に頭をつけた。
いきなりの私の行動に、京真さまはぎょっとした顔になる。
「水響!?なにしてんだよっ!」
「今日の私の主人を見失うという不貞は、メイドとして罰されるべき行動です。このことを奥様と旦那様にご報告ください。どのような罰も甘んじて受け入れます」
「はあっ!?ちょっ、おまえまず土下座すんな!顔を上げろ!」
京真さまはひざまずいて私の顔を持ち上げた。
目を合わせないようにしていたのに、ばちっと目線があう。
そこには、今まで向けられてきた蔑みや畏怖が含まれている瞳ではなく、ただ、優しいものがあった。
「そんなの気にしてないし、悪いのは俺だ。水響は俺を助けてくれただろ?ありがとう」
「…それは、メイドだから当然のことで…」
お礼を言われる意味がわからなくて、ぼうぜんと返事をする。
「そんなことない。かっこよかったよ、水響。母さんたちがおまえを推してきた理由がよくわかった」
そういって京真さまは嬉しそうに笑った。
私の主人は、どこまでも優しい。
こんな出来損ないのメイドにも、優しく接してくれる。
京真さまの瞳は、私が今まで出会ってきた人たちとはまったく違って、すべてを包み込んでくれるかのように、あたたかい。
だから、京真さまにみつめられると、慣れない感情で支配されそうになる。
「京真さま。来週は期末テストがありますね」
「ん?ああ、そういやそうだったな」
京真さまのメイドになって二週間。
梅雨に入り始めたある日、校門で待たせている車まで行く途中で彼にきいてみた。
「今日範囲が発表されたことだし、うちに帰ってから一緒に勉強するか?」
「えっ…よろしいのですか?」
「おう!いや~、メイドが同級生だと、友達と勉強するみたいで楽しみだな~」
「……」
私と一緒にいて楽しみだといってくれるなんて。
勘違いしそうになって、思わず両手でぱんっと頬をたたいた。
「京真さまの苦手な教科はなんですか?」
帰宅して、京真さまと私は、さっそく共有テーブルに教科書を広げた。
「んー、理系は大丈夫。副教科も基本は。公民も、政治は理解しとかないとと思って勉強した。苦手といったら、国語の古文と英語かな~」
「なるほど。国語と英語なら教えられます」
「まじか!よろしくおねがいします!」
それから、京真さまとともにテスト勉強する日々が始まった。
テストまで残り三日。
京真さまは、重点的に国語と英語を勉強している。
「京真さま。こんなこというのもなんですが、英語なら社交の場でも私がそばにいたら通訳ぐらいはできるので、京真さまがそこまで本気で勉強する必要はないのですよ?」
彼の顔は、電機スタンドの明かりに照らされているけれど、私の位置からは見えない。
「いや。水響に頼るわけにはいかないんだ。俺は次期社長だから、テストでもいい成績をとっとかないと」
「そう、ですか」
なんだろう。
この、急に突き放されたようなかんじ。
私は、いらない?
気づいたら、無意識に京真さまのそでをつかんでいた。
シャーペンのカリカリする音が止まったと思ったら、私を振り返った京真さまの驚き眼。
恥ずかしくて、申し訳なくて、素早く手をひっこめる。
「も、もうしわけありません」
「どうした水響?水響が袖つかんでくるとか、よっぽどだろ」
うっと息がつまって、視線をさまよわせる。
「いってよ。無理しないで。俺、メイドにはなんでもいってほしい」
わざわざいすをこちらの向きに変えてくれた京真さま。
なさけないと思いつつも、勝手に口がひらいた。
「京真さまは、私のことはいらないですか?私は、役立たずですか?」
「は?なんでそんなことーー」
「だって、だって。私は主人に頼られないと。完璧じゃないと、私がいる意味はないんです。いつか、捨てられてしまう……」
口からもれでた言葉は、いつもよりも弱々しくて、なさけなく感じた。
「水響」
芯の強い、はっきりとした口調で名を呼ばれ、思わず背筋がのびる。
京真さまの目には、珍しく怒気が含まれていて、こくっとつばをのみこんだ。
「俺がいつ水響のことをいらないといった?役立たずだといった?俺はそんなこといっさい思ってないし、水響は十分役にたってくれてる。おまえがそう思っているのは、前までおまえの主人だったやつらが、そう水響に教えたんだろ?でもな。そばにいるだけで俺は嬉しいんだ。胸をはれ、水響。おまえは自慢のメイドだ」
ぎゅうっと手を握られ、言葉がでてこなくなる。
京真さまの手はすごく大きくて、あつくて、目には自信いっぱいの色が宿ってる。
パーティーで私が京真さまにかけた、「胸をはってください。あなたは自慢の主人です」という言葉を思い出した。
ああそうか。
私、京真さまに頼られなくて、悲しかったんだ。
「…はい」
赤い顔で、たぶん泣きそうな顔で、返事をした。
私、あなたのメイドになってよかったです。
テスト前日。
京真さまの部屋にホットココアをもっていくと、彼は机につっぷして寝ていた。
ココアを横に置いてから、そっともうふをかける。
小さい呼吸音をききながら、下に開いているノートに目をうつす。
そこにはびっしりとかかれた英単語。
他人からみれば完璧なこの人は、努力もできるんだ。
「明日の期末テスト、頑張りましょうね」
私は彼のノートにアドバイスをかきつけてから、部屋をあとにした。
そしてテスト当日。
私が京真さまのノートにかいたアドバイスを活用する問題が、英語のテストにでてきたから、今回は自信あると息巻いていた京真さま。
それから一週間後。
三日にわたって行われた期末テストの順位が、掲示板にはられる日。
京真さまと私は、その順位をみて、しばしかたまった。
「京真さま!順位1位ですよ!」
「そういう水響も2位じゃん!」
私は興奮して、こぶしをぐっとにぎる。
「やったな水響!俺ら頑張ったもんな」
そういってがしっと肩をつかんできた京真さま。
近すぎる距離にかあっと顔があつくなる。
俺"ら”…。
「あっ、悪いおれ…」
あわててぱっと手を離した京真さまをみつめて、口角がゆるんだ。
「ですね。さあ、教室へまいりましょうか」
私が歩き出しても、そこから動かないままの京真さまを振り返る。
「京真さま?」
「あ、ああっ!いまいく!」
そういって彼は小走りでかけよってきてくれた。
京真さまの少しななめ後ろ。
彼の大きな背中を後ろから見つめながら歩く。
私の大好きな、安心する位置。
梅雨の湿気なんて気にならないぐらいに、すがすがしい思いで教室への道を歩み出した。
続く