第二十七話
葛城ーー日本軍が水面下で本願寺と交渉に入る頃、久秀は日本軍から分離した織田信包の軍勢一万八千と興福寺の僧兵と共に大和攻略をしていた。
「残るは筒井順慶が立て籠る筒井城のみか……」
「葛城殿の援軍はとても助かりますぞ信包殿」
葛城は信包の軍に長四斤山砲六門、固定式曲射砲六門を与えて城攻めに役立たせていた。
(葛城……いや日本軍か、真に恐るべしじゃな。年甲斐もなくあれらを見て身体が震えたわい)
山砲と曲射砲の砲撃を見ていた久秀は思わず身体を震わせていた。
(葛城家……いや日本軍とやらか。これは本当の天下統一を見れるかもしれない。殿……貴方の後継者はいましたぞ……)
久秀は在りし日の三好長慶を思い出しつつそう思うのである。
(だが……葛城が何者かは聞きたいものだな)
そう思う久秀だった。それは兎も角、久秀と信包の軍は筒井城を攻めた。
筒井順慶は徹底抗戦したが数の暴力には逆らえず、筒井城は攻略され筒井順慶は自刃したのである。なお養子だった定次は信広の軍が捕縛したため血筋は一応ながら長らえる。
また、大手門で島清興が戦闘で負傷、後に捕縛されている。そして久秀達が京に戻る途中で河内、堺の報を聞いたのである。
「何と!? 我等より先に河内と堺を手に入れたと申すのか!!」
「は、更には三好三人衆の岩成友通も討ち取りました」
「何と……(やはり葛城殿は殿の後継者だった……)」
久秀は改めてそう思うのであった。そして葛城と本願寺の第十一世顕如が清水寺で会談を行った。
「……つまりあんさんらは寺内町の領有は認めてくれはるというわけやな?」
「その通りです。ですが加賀と伊勢長島は別です」
「……分かっとりますわ……儂らでも押さえきれんほどにまでなっとる。表向きは儂らが抑えるよう書状を送りますわ。ですけど……」
「それでも止まらない場合はやります」
「……分かりました」
「あぁそれと、もし我々を裏切れば本願寺はこの世から消えるでしょうな」
「……あんさん、それは脅しかいな?」
「我々だってそのような方法はしたくありません。それに貴方方を敵に回すのは少々厄介ですからね。いつまでも日ノ本の中で争いをしているのは良くありません」
「……面白いなあんた」
「それはどうもです」
「……分かった。あんたに……葛城に協力したろうやないか」
顕如は苦笑しながらそう確約するのであった。これにより本願寺は葛城側となるのであった。
「本願寺は此方側に付いた。摂津国攻略は楽になるかな」
「ですが油断はなりません。摂津には荒木村重や池田友正等もいます」
「うむ、確かにな。荒木等の調略はどうなっている?」
「荒木村重が信長に謀反した理由の説に本願寺寄りの説がありますので本願寺と協力して調略する予定です」
「分かった。正信らに任せよう」
葛城達は評定を開いて今後の方針を思案していた。
「それと水面下ですが、朝倉が領土安堵を条件に降伏をすると申し出ていますね」
『朝倉が?』
水姫之からの報告に和将達は目を見開く。
「はい。どうやら加賀の領有権ですな」
「朝倉か……確か義秋がいたはずだが……」
「関白様が裏でやっていたみたいです。義秋にも仏門に戻るよう進めてはいますが義秋は無視しているようです」
「……朝倉の降伏条件に義秋を追い出すのを条項に加えろ。義秋を追い出せば領土安堵の降伏とする。また、加賀は一向一揆の国だし、若狭の領土保有を認める事にしよう」
「宜しいのですか?」
「義秋は何の力も無い。征夷大将軍も十四代将軍の足利義栄が病を理由に征夷大将軍を返上しているからな。それに若狭は敦賀の湊があるし朝倉も貿易に手を出したいだろ」
そう認識している葛城だったが後に一つの誤算をしてしまう。それは兎も角、朝倉への書状は直ぐに越前に届けられた。
「義秋様を追い出せば領土安堵とする……か……。それに若狭の保有をも認めるか」
「それでは……」
「うむ、背に腹は変えんがやむを得ない。景鏡、義秋殿を追放せよ」
「御意」
義景は従弟にあたる朝倉景鏡に命じて滞在する義秋を追放するのであった。(但し路銀等大量に持たせて)
「おのれ葛城め!! 義景殿に儂を追放するなど命じおって……今に、今に見ておれ!!」
義秋は僅か十数名の供と共に越前から出て行き先を越後にしてそのまま越後に向かうのであった。
「義秋は越後に向かったか……」
「越後となると上杉謙信……今は輝虎ですな」
飯盛山城で葛城達はそのように話していた。
「義秋の要請を受けて輝虎は上洛してくると思うか?」
「可能性はあります。それに毛利と結んで包囲網を敷く可能性もあります」
「史実の信長包囲網か……」
「ですが信長包囲網には本願寺が含まれていたはずです。今の本願寺は我等の味方です」
正信がそう意見を出す。
「うむ、本願寺には万が一に備えて中国地方方面に備えてもらうか」
「それと四国の三好三人衆も気になります」
水姫之はそう注意を促す。阿波に逃げた三好三人衆の動向も確かに気になるところであった。
「ドライゼ銃の生産はどうなっている?」
「順調ではありますがそれが何か?」
「……何れはだが、今の三個警備中隊から増強しようと思う」
「それが妥当かもしれませんね。出来れば二個大隊までは編成したいですね」
「そうなると教練で人が大分取られるぞ」
「何とかするしかないですねぇ」
葛城や島津達の判断でドライゼ銃は更なる量産態勢に移行したのであった。
そして島津側では動きがあった。武田が保有する東駿河は交渉による線引きで庵原郡までを武田が阿部郡からは日本軍が保有という事になっていた。しかし、その国境で武田の小規模の部隊が威圧的行為を繰り返していた。流石に近藤達は難色を示したが島津は「向こうがやるまでは控えるように」と監視のみに留めていた。
だが、監視のみに留めていたのに気を良くしたのか武田側は更に挑発行為を繰り返すようになった。それが3日前までの話である。
そして次の日、武田側はイケると思ったのか越境してきたのである。武田軍はそのまま国境で監視していた日本軍の守備隊(足軽隊)を蹴散らして付近の田畑を焼いたりしてそのまま東駿河に帰った。
「よし、攻めるぞ」
報告を受けた島津少将は東駿河への侵攻を決断、旧今川軍、織田軍の13000名と(総大将 丹羽長秀)と新編された第334独立歩兵混成旅団に第334独立戦車混成大隊、第334独立混成砲兵大隊であり編成は以下の通りであった。
第334独立歩兵混成旅団(基幹七個中隊)
・第1中隊(改良型ドライゼ銃)
・第2中隊(同上)
・第3中隊(同上)
・第4中隊(同上)
・第5中隊(エンフィールド銃)
・第6中隊(同上)
・第7中隊(ミニエー銃)
・対戦車中隊(94式37ミリ速射砲×4)
・混成大隊砲中隊
(92式歩兵砲×2 97式曲射歩兵砲×2)
・第1大隊砲中隊
(青銅製固定式曲射歩兵砲×4)
・第2大隊砲中隊
(青銅製固定式曲射歩兵砲×4)
第334独立戦車混成大隊
・大隊本部(4式中戦車×2 95式軽戦車×2)
・第1中隊(3式中戦車×13 95式軽戦車×1)
・第3中隊(89式中戦車甲型×11 95式軽戦車1)
・第4中隊(97式及び94式軽装甲車、92式重装甲車×18両
第334独立混成砲兵大隊(基幹六個中隊)
・第1中隊(38式野砲)×4
・第2中隊(38式野砲)×4
・第3中隊(長四斤山砲)×8
・第4中隊(同上)×8
・第5中隊(同上)×8
・第6中隊(同上)×8
和将達の活躍に隠れてはいたものの陸軍部隊も増強は繰り返していたのである。特に小銃も改良されたドライゼ銃だった。これはシャスポー銃と同じく口径を11ミリに絞り、紙製薬莢の雷管もシャスポー銃の弾丸と同じく後ろに装置した事で長い撃針はいらなくなり撃針(シャスポー針)が高熱に曝される部分を短くする事で焼損を回避していた。
撃発時には、撃針(シャスポー針)が紙製薬莢の後端にある厚紙を突き破り、アンビル(発火金・はっかがね)の役割を果たす銅製キャップと撃針に挟まれた雷汞が着火し、周囲の褐色火薬を燃焼させる構成となっていたのだ。
この銃の生産には国友村から招致した鉄砲鍛冶衆や紀伊の雑賀衆と根来衆も加わり生産数も何とか増える事になる。(1ヶ月生産数35丁)
本当はもう2倍増やしたかったのだが、先込め式のエンフィールド銃や長四斤山砲の生産もあったのでこれが限界であった。
だがそれでも強力過ぎる程の旅団であったのである。それは兎も角、日本軍の東駿河侵攻に甲斐の虎こと武田信玄は
「お館様!! 日本軍が東駿河へ侵攻してきましたぞ!!」
「分かっておる。江尻城にいる三郎兵衛尉(山県昌景)と右衛門大夫(一条信龍)には粘るよう伝えよ」
「御意!!」
使い番が去ると信玄は笑みを浮かべた。
「……島津とやらは思っていたよりも堪えは無いと見えるな」
ククッと信玄は笑うとスクッと立ち上がる。
「陣触れじゃ!! 武田の兵を結集するのだ!!」
信玄は直ぐに25000の兵を集めて東駿河に向かう。しかし、その途中で急報が入ってきたのである。
「何!? 江尻城が落ちたと!?」
「はッ。それに昌景様と信龍様も討死されました!!」
「な、何と、二人が討死……」
「そんな馬鹿な事があるか!!」
「で、ですが……」
「やめよ勝頼。使い番を攻めては致し方ない」
「父上……はっ、申し訳ありませぬ」
そして時系列を少し戻す。江尻城を包囲した陸軍では総攻撃をするか軍議をしていた。
「戦車を先頭に進めば良いッ」
「待て、戦車と言ってもチトやチヌは虎の子だぞ。野砲からの砲撃をして被害を最小限にしよう」
「しかし……」
「……栗田君、君はどう思うかね?」
軍議をする中、島津少将は参謀となっていた栗田少尉に意見を乞う。乞われた栗田は島津らに頭を下げつつ口を開いた。
「先に野砲での砲撃を行いましょう。38式野砲の1中隊、2中隊で各砲一発のみの砲撃を行い、城兵の士気を低下させ残りの長四斤山砲で更に接近して各砲が砲撃、城門を破壊すれば後は戦車隊と共同で突撃しましょう」
「ウム……それが最良だろう。1中と2中の野砲は最大射程距離かね?」
「余裕を見積もって6町……6000mから砲撃しましょう。その後は長四斤山砲の3町(3000m)で砲撃しましょう」
「了解した。直ちに行おう」
そして砲兵大隊の1中隊と2中隊は城から6町まで前進しそのまま射撃準備をし準備出来次第砲撃を開始したのである。
「撃ェ!!」
2個中隊8門の三八式野砲は一発ずつの砲撃を行う。砲弾は榴弾であり8発の榴弾は全て江尻城に命中したのである。
「な、何事かァ!?」
「わ、分かりませぬ!! 雷がしたと思ったら……」
「兵達の動揺が大きすぎます!!」
「騒ぐなと伝えろ!!」
そうしているうちに長四斤山砲隊32門が前進し有効射程距離からの砲撃を開始したのである。江尻城の城門は僅か三射撃で破壊された。破壊された城門は味方部隊の足軽達が除去する。それを阻止しようと城兵達が弓や鉄砲で反撃して数人を倒すもそこへ戦車混成大隊の4中隊の94式軽装甲車2両が前進してきて機銃を放ち城兵を蹴散らすのである。
「あれが噂の鉄車か!!」
「如何なさいますか!?」
「知れた事を……。押し返せェ!!」
『オオォォォォォォォ!!』
山県昌景は騎馬隊を率いて94式軽装甲車に突撃し槍を突き刺すがカキンッと槍が弾かれてしまう。
「何と固い……」
そして砲塔がクルクルと回転し騎馬隊に機銃を照準し射撃する。
「グハッ!?」
「ギャッ!?」
「お、おのれェ!!」
倒れゆく騎馬隊に昌景は激昂し更に槍を装甲車に突き刺すもまたしても弾かれてしまう。そして砲塔は槍を突き刺していた昌景に照準を合わせる。
「ッ!?」
一瞬であった。昌景は6.5ミリの一連射を身体に大量に受けて馬から吹き飛び地面に倒れたのである。
「昌景様!?」
「……ゴブッ……」
小姓達が昌景を抱えるが昌景の口からは大量に血が噴き出しており何かを言う前に昌景は事切れたのである。
「昌景様、討死!!」
「何!?」
別門を指揮していた信龍は昌景討死の報に動揺する。昌景が討死した門からは大量に敵兵が雪崩れ込んできていた。
「イカン!? 引け、引くのだ!!」
信龍はそう叫び、江尻城から撤退する事を決断した。信龍は殿をし一人でも多くの味方を逃がしていたが足軽の槍に腹を貫かれ討死したのである。
「父上、このまま攻め上がりましょう!! 我等武田の騎馬隊は日本軍に遅れは取りませぬ!!」
「……………………」
勝頼はそう具申するが、信玄は何も言わなかった。本音を言えば勝頼に同調したかったが自身は武田の当主でありそう易々と判断しにくかった。
しかし、勝頼の他にも重臣達は進撃に賛同した。
「お館様、此処は進むべきかと」
「信春、お前もか?」
「ハッ。我等は25000、対して向こうは16000。兵力の差はあります。向こうに秘密があろうと押し切れるでしょう」
「フム……成る程の……よし、進もう。場所はーー富士川だ」
斯くして武田軍は富士川に集結、斥候を出していた島津少将の日本軍も武田軍が富士川に集結しているのを確認し富士川まで進軍するのである。
後にこの戦いは『富士川の戦い』と呼ばれる戦いであった。
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