第十一話
「本多正行正信でございまする」
「掛川城駐屯の葛城和将だ。それで本多正信、俺に用とは何だ?」
掛川城にて葛城達と正信が面会をしていた。
「降伏致します」
「……それは三河の総意か? それとも御主個人か?」
「某個人でございます。手土産としましては吉田城を差し上げます」
「吉田城? まさか前回の戦の時の……」
「左様でございまする。先日の戦で吉田城を攻略しました」
吉田城は酒井忠次が城主だったが何者かに暗殺され、その後は本多正信が五百の手勢で攻め落としていた。
「……何が望みだ?」
「いやいや某に望みは有りませぬ。強いて言うなれば葛城様の家臣にさせて頂きたく存じまする」
「……三河を捨てるのか?」
「無暗な攻撃を止めるべきと具申したのに血気盛んな者達の元にいたくはありませんな」
「クックック、素直で宜しい」
正信の言葉に葛城は苦笑する。
「だがな本多正信。御主、浄土真宗だろう?」
「は、確かにそうでありますが……まさか」
「我々は何れ一向一揆もある程度駆逐する予定だ。その時に出奔されては困る」
「………」
「まぁ信仰するのは別だ。だが一揆を起こしたからと言って本当に極楽の世になると思うか?」
「……思いませぬな」
「それで聞いている。御主に浄土真宗を裏切ってまで俺に仕えるか? 無理なら直ぐに立ち去れ。今ならまだいけるぞ」
「………」
葛城の言葉に口をつぐんだ正信だったがやがて葛城に頭を下げた。
「お仕えしまする。例え一向一揆が起きようとも誓詞を書きますので出奔致しません」
「そうか、よく決断してくれた本多正信」
決断した正信に葛城は嬉しそうに声をかける。その後、正信は誓詞を書き正式に日本軍の家臣となる。なお、後に勃発する一向一揆の戦いで本願寺は香具師等に変装して日本軍の領地にて一揆を促すが逆に農民達は「今の生活が極楽みたいなものだ」として拒否、香具師達をボコボコにして取り締まりに来た武士に渡す程であった。
「それで吉田城とその一帯を手に入れたけど……誰か吉田城の城主になる奴はいるか?」
『………』
苦笑しながら話す葛城の言葉に誰も言わなかった。国人達も今の状況には満足していた(というよりも以前の日本軍との戦いで兵員を喪失しているから無暗な喪失は避けたいのが国人達である)ので何も発言はしなかった。
「……うちらの軍で出すしかないですね」
「だな。島津司令官にも聞いてみよう。それまでは青羽大尉、君の中隊で行けるか?」
「分かりました。吉田城臨時城主の任、承りましょう」
こうして青羽大尉以下の第3警備中隊は吉田城に入城するのが決定された。なお、相良油田に戻った島津らは葛城の意見に会議をした結果、吉田城には葛城らの陸戦隊警備大隊が後に入城する事になる。
「それで三河から難民が来ています。その数凡そ三百」
「追い返しますか?」
「追い返すわけにはいかん。例え三河の民であろうとも、元は日ノ本の民である」
列席にい国人の言葉に葛城はそう告げる。
「難民はうちで預かろう。国人衆に迷惑かけたくないからな」
「はは」
葛城は三河からの難民を受け入れ、早速難民の適性検査をする事にした。
「三河にいた時に職していた事を述べよ。田畑を耕していた事でも構わぬ」
難民達を前に水姫之はそう告げる。大工や鍛冶だった者はその手方面に行き、農家に戻りたい者は遠江や吉田城一帯の空いてる土地を開墾させる。それでも余る者は足軽になっていた。
ただこの足軽と言ってもただの足軽ではなく、歩兵として中隊入りをしていた。
「何れは銃が主力となる時も来るが今はまだ中隊の数も少ないし中隊入りさせよう」
流石に衣服は全て揃える事は出来なかった(ボタン等)が後にそれらしい服を揃えるのであった。
「四斤山砲の生産はどうだ?」
「先の生産分も含めまして十五門生産し配備しています」
「吉田城には何門だ?」
「西の要ですので六門を配備させています」
「うむ分かった。四斤山砲は引き続き生産してくれ」
「分かりました。また、南場大尉を中心に砲身を伸ばした長砲身型も検討しています」
「あ~……確か弥助砲というやつだな」
「はい。それに固定式の迫撃砲の開発検討もしています」
「うむ、今は四斤山砲の生産を頼む」
「御意。それと軍旗を製作したいと思います」
「軍旗を?」
「はい」
「出来るのか?」
「染料は上代の頃からアカネが用いられていました。多少色が違います。それに紅花の紅色は日章旗の日章として使われています」
「……よし、水姫之の裁量で頼む」
「分かりました」
こうして軍旗も製作されるのであった。さて、時は少し過ぎた七月、吉田城に入城していた第3警備中隊から早馬が掛川城に到着した。
「三河の国人が吉田城に攻撃をしてきたと? それでどうなった?」
「青羽大尉は果敢に防戦して追い返しました。隊長に配備させてもらった四斤山砲にて砲撃戦を展開、崩れたところを天野氏の騎馬隊が突入して撃退しました」
「そうか、追い返したなら良い」
この時、吉田城に攻めてきたのは西郷氏の西郷清員と牧野氏の約千名足らずだったが死傷者七百名程を出して撤退し西郷清員も討死をしたのである。
これに対して正信は渥美半島の攻略を申し出た。
「ふむ、理由は?」
「渥美半島はほぼ手薄でございます。以前は戸田氏が田原城にて治めておりましたが、松平元康を尾張の織田に売り払い、それに怒った今川義元が田原城を攻めて戸田康光は嫡男尭光と共に討死をし田原戸田氏は滅亡しました」
「ふむ、久野氏で攻略してもらうか」
葛城は国人久野宗能に渥美半島攻略を要請、久野宗能も快く承諾して兵千にて渥美半島攻略を開始するのだがほぼ手薄な状態もあり僅か八日で渥美半島を攻略するのであった。
「これで渥美半島は攻略したか。宗能、褒美として渥美半島をやろう」
「はは、恐悦至極に存じます!!」
「ただし、暫くの加増は無いぞ宗能。御主は渥美半島を得た。それを妬む者も出てくるだろう。加増は平等にせねばならぬからな」
「はは!!(まぁ当然だろうな。慢心はせぬようにせねばな)」
宗能は内心そう思いつつ加増に感謝するのであった。渥美半島が日本軍に攻略された事により兵員の損害が大きかった西郷氏と牧野氏も日本軍に降伏を申し出るのであった。
「所領は没収とする。ただし、三河攻略の際に先導役を務め、見事な働きをすれば所領は返還させる」
「「はは!!」」
所領没収は当然だった。何せ吉田城を攻めて刃向かったのだ。
「宜しいのですか?」
「見事な働きをすればちゃんと返還させる。正信、松平広忠と松平清康は誰に殺された?」
「……何れも家臣でございまする」
「そうだな。家臣は大切にせねばならん。まぁし過ぎは良くないがそこら辺のさじ加減は正信や加藤達に任せる」
「……はは(やはり侮れないお人だ)」
正信は改めてそう思うのであった。そして相良油田でも島津達は一つの決断をしようとしていた。
「むぅ……やはりそうせざるを得ない……か」
「恐らくは……」
「……分かった。至急、葛城少佐を呼ぼう」
「分かりました」
島津の言葉に牛山は頭を下げるのである。そのため急遽葛城は相良油田に戻る事になったのであった。
御意見や御感想等お待ちしていますm(__)m




