腹喰い事件30
二人と別れたイザベラはスラム下水道へ強制捜査するべきか否かで悩んでいた。先日事件の犯人として逮捕されたのは赤の他人であることは分かっていた。警察が冤罪を起こしてでもこの事件の幕を閉じようとさせていたのは、やはり上層部がフォニーチャイズと関わりがあって今回の事件との結びつきを恐れているからだろう。だが、上層部が関わっているフォニーチャイズの人間は、流石に今回の事件とは別の人物だろう。また、シャンツが行おうとしている強制捜査は正義に駆られたものでもなく、全うな警察官であれば行うべき捜査であり、イザベラもスラムに全く関わりが無ければ、二人にすぐ返事をしていただろう。しかし、自身の体験と仲間の話から、イザベラは一人で判断するだけではなく、NSSOの意見が聞きたいと思ったのだ。
「...というわけで、今皆に話が漏れたらただ事じゃすまなくなる話をした。」
館に戻ったイザベラは全員を集めて、シャンツからの依頼とスラムの地下で行われているオークションが実際にあることを話し、強制捜索の判断を仰いだ。スラム出身の中にはオークションの存在を知らないメンバーもいたし、実際に売り飛ばされそうになった苦い経験を持つメンバーもいた。
「イザベラってあまりおしゃべりじゃないと思っていたら、とんでもない議題を持ち込んでくるわよね...」
「私は聞き専だからね、この判断は全員の意見を聞いて決めたいと思う。どんな家庭環境であっただろうがね、シビアな決断だから反論したい意見も出てくるかもしれない。でも今は黙って聞いて欲しい。周りに合わせるも勿論無しだからね。」
そういうとイザベラは時計回りに順繰りに意見を聞いて行った。
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「...というわけでシャンツからの依頼は受け入れられないが、腹喰い事件の捜査が終わったと考えていない。上層部とフォニーチャイズの結びつきを明らかにすれば、事件解決に一歩踏み出せるのではないかと考えているため、別名でのスラム街対策部との共同捜査を依頼してほしい...がNSSOの意見だね。」
一時間かけて全員の意見を聞き終わったイザベラは最終案を出した。メンバーからの意見は様々であり、中には感極まる者もいた。反対にスラム以外の出身者からの意見には冷たい目を向ける者もいた。事件が一応幕を閉じたことをきっかけにNSSOに戻ることと、今後の事件参加を許されたイザベラは実際にオークションを見たとは言っていないものの、仲間に情報を共有出来たことで気持ちが軽くなっていた。
「スラム安全対策部との共同捜査って言っても色々制限かけられそうだけどね...」
自分たちの意見はまとまったが、皆の顔は不安げだ。
「刑事局長からすれば、今スラム街に一番近づけたくないのはNSSOじゃないかな。私たちがあの男が犯人ではないと考えていることにレオナルドも気づいているだろうし。」
「ユリエの言う通り。妨害が入る前に尻尾を掴めたら良いんだけどね...」
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「...というわけで私たちは下水道に対する強制捜査の協力は受け入れられないけど、腹喰い事件解決のために別名目でシャンツたちと捜査したいと考えている。」
「なるほどな。まあイザベラたちの意見も否定は出来ないな、スラムに落ちた金はそこに住む人の支えになっているという話は聞いたことがあるからな。」
翌日。イザベラはチェストラの中心から離れた公園でダニエルと落ち合った。
「実際にその恩恵を受けたメンバーもいるからより結論を出すのが難しかった。下水道で行われていることがスラムの人の救いになっているとはいえ、この事件のような故意の殺人は許されない。私たちは必ず真犯人を見つける。」
「...これを見せるのはかなり賭けだが...シャンツはお前なら大丈夫だろうと言っていた。下水道に来ていた人物のリストだ。素性が分からないよう参加者は顔を隠しているが、何年もかけてやっと何人か割り出せた。」
そういってダニエルは辺りを注意深く見渡し、胸ポケットから折りたたんだ紙をイザベラに渡した。
「この中に気になる人物はいるか?俺も見てみたが、どっかの経営者の部下や成金ばっかりだ。そりゃあ俺らのような一般市民の耳には入らないわけだ。」
イザベラが注意深くリストを眺める中、ダニエルは無言で煙草に火をつけ辺りを見張っていた。
「(直接的な関わりはないけど、チャーリーやタクトから聞いたことのある名前もいくつかある)」
そこには政府関係者や企業の役員の名前と実際に取引に来ていた側近の名前が書かれていた。
「メイジー・シンプソン…」
イザベラの言葉を聞いてダニエルがリストを覗き込んだ。
「誰だそれ?」
「ありきたりな名前だからハズレかもしれないけど、つい最近病院に世話になった時にこの名前を聞いた。」
「ベンジャミンがぶっ倒れたお前に遭遇したときか。お前、これはお手柄だな。すぐ調べてみるよ。」
「医療従事者が人身売買に興味を持っているなんて、呆れたものね...院内で犯罪が起きてもおかしく...」
「待て。お前が言っていた通り、今回の事件に医者が関わっているんじゃないか?お前の言っていたフォニーチャイズでの臓器移植実験とこのオークションが繋がっていたら、医者もどこかで繋がっているんじゃないか?医者が臓器移植実験をして失敗した遺体をオークションに出しているとか...」
「確かに医者なら人体構造に詳しいしね。でも既にステラとナルシッサさんが執刀の技量を持つ医者全員のアリバイがあったってことで、チェストラ病院から出禁を食らった。でも誰かが嘘をついているかもしれないし、もっと決定的な結びつきの証拠があれば良いんだけど...」
「とにかくこの女性についてはこっちで調べておくよ。お前はこのスキャンダルに興味がある一般人として、どうやって犯人が子供を連れ去るのか、スラムの母親になぜ政府関係者が興味を持ったのか調べてくれ。」
「分かった。吸い殻をそのまま捨てるのはやめてくれる?」
イザベラの指摘にダニエルはため息をつくと火を消した吸い殻を煙草箱に戻した。
「...お前、ルドヴィックさんのこと知ってるのか?」
ダニエルの突拍子もない質問にイザベラは不本意にも反応してしまった。
「あの店を出るときにルドヴィックさんがお前について聞いてきたんだ。あの人から女性に興味を持つなんてそうそうないからな。その時は当たり障りなく答えたけど、今考えたら初っ端からお前に好意を抱く奴なんていない。」
「だからあの時やたら戻ってくるのが遅かったのか。失礼な奴だな...確かにあんたの言う通り、ルドヴィックさんは昔世話になったことがある。それだけだよ。」
イザベラの言葉を聞いてダニエルは少し考えた素振りを見せ、合点がいった顔をした。
「なるほどな。まあ進展があればまた教えてくれ。もう冬になりかけだ、気を付けろよ。」
そういうとダニエルはコートの襟を立たせて去って行った。確かに北風が強くなり、いつのまにか葉っぱも落ちている。事件があってからもう二か月は経とうとしていた。
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「ただいま…」
「イザベラ!!やっと帰って来た!!」
扉を開けるなりジュディがイザベラを勢いよく迎え入れた。
「どうしたのそんな興奮して。」
「手紙が来たの!!トーマスって覚えている?スティリンジットのスラムで出会った診療所のお爺さん。」
ジュディの言葉にイザベラは数秒記憶を取り戻すために固まった。
「ああ、妙な家族の話をしたら興味を持ったそうだったから住所を伝えたお爺さんのことか。」
「そう!その家族についてトーマスさんはあれから色々調べていたみたいなの。その結果を手紙に書いてくれたんだけど...」
そういうとジュディは手紙を開いた。
『親愛なるジュディ様
いかがお過ごしでしょうか。あなた方が私の元に住所を置いて行ったあと、会ったばかりの見ず知らずの女性の冗談だと思い、すぐに燃やそうと思ったのですが、話がどうも気になり地道に調べていました。貴方が教えてくれた噂は本当です。彼らはどこからともなく大金を入れたようである朝、誰にも言わずスラムから消えたとのことです。私はスラムに住むおいぼれですが、ある程度の顔の広さはあります。そこで彼らの行方を追うために知り合いの不動産屋に頼んでその家族の絞り込みを行いました。彼らは工場で働く六人家族で、ある日大金を持って現れ小さなアパートを借りたとのことです。不動産屋の知人は不振に思い、犯罪歴を調べていましたが、特に何も出なかったため移住を許可しました。』
「この六人家族ってまさか...」
「そうよ、私たちが会った六人家族。私たちの勘はあっていたみたい。」
ジェシカはそういうと続きを読むようジュディを促した。
『彼らは周りには何も言っていませんでしたが、水道や礼儀など様々な面で欠けており、隣人たちからはスラム街出身だとすぐに勘づかれていたとのことです。数か月も経てば彼らも慣れたのか、特に問題は起きていなかったとのことでした。しかし二か月前、6人家族のうち、二人が立て続けに急死したとのことです。具体的な死因は不明ですが、"口から血が止まらない"という母親の叫び声を聞いたとのことです。一気に子供を二人失った家族は憔悴し切ってしまい、家賃を数か月滞納したまま夜逃げしたとのことです。あなた方が何を求めてあの話をしたのかは知りませんが、求める回答に近ければ幸いです。この手紙も本当に届くのか不明ですが、進展ありました際はお返事ください。 トーマス・D』
「子どもが口から血を吐いて...」
ユリエがつらそうな声で呟いた。
「もし彼らの遺体に臓器の一部が無かったら、今回の事件の犯人は生きた人間から臓器を取り出し、日常生活に戻すことが出来る凄腕ってことだし、大金と臓器の関係も明らかね。」
「今ならレオナルドがこの事件を有耶無耶にしようとしていることも分かる。被害者の少年に使われていた糸はフォニーチャイズで作られたもの。腹喰い事件の犯人はフォニーチャイズと関わりがあって臓器移植の実験に参加させる代わりに報酬として大金を渡していた。この凄惨な事件は実は政府とよく分からない国のよく分からない取引が原因でしたなんて市民が許すはずがないもんね。」
イザベラの大金と臓器の結びつきの指摘を聞いたステラが合点いった顔で言った。
「でもいくら何でもここまで倫理観のないことをするのかな?スラムの子供の臓器を政府が勝手に実験していいよとは言わない気がする。もう少し筋が通るようにするはず...例えば事前に許可を本人からとっていて別の要因で亡くなった人から臓器をいただくとかね。」
医師の娘らしいジェシカの言葉に皆は感心した表情を見せた。
「確かに...レオナルドはこの事件の真犯人が分かれば、調査に協力してくれるんじゃないかな。真犯人が分からないから、政府側から圧力をかけられているのかも。」
ブロッサムの新たな視点での意見を聞き、イザベラは頷きながら返事をした。
「今日見せてくれたリストの中にチェストラ国立病院で働いている看護師の名前があった。彼女の素性が分かれば、解決に繋がるかもしれない。私たちはどうやって子供を浚う人物と接触出来るか考えよう。」




