腹喰い事件28
あのオークションで遺体を切り分けている人物こそが腹喰い事件の犯人に近いと確信したイザベラはここ数日、オークションの存在を明かすべきか否かを四六時中考えていた。チェストラの街の階層が生み出した悪循環が告発を邪魔するのだ。前回の最深部を避けたアヘン捜査・今回無理くり行った無駄なアヘン捜査のこれらが上層部が内情を知っていてわざと行ったのならば、告発したところで効果的では無い。仮に告発して最深部の内情が暴かれてしまえば、この街の闇が暴露され闇を知らなかった民衆が蜂起し、スラムの治安が更に悪化し、最悪の場合今の政治が崩壊する恐れがある。オークションを切り札にして事件解決に導くのはリスクが高すぎると考えているイザベラは、最大の駒を手にして何も前進できずに現状を観察するしか出来ない状態にあるのだ。
そんなことを考えているおかげで夜はなかなか寝付くことが出来ず、オークションでの出来事が夢に出てくるため浅い睡眠しか摂れず、昼間に睡魔が襲ってきてふとした瞬間に眠りに落ちて倒れることが多くなっていた。
「おい、イザベラ。イザベラ!」
激しく肩を揺さぶられたことでイザベラは重い瞼を持ち上げた。イザベラは自分がどこにいるのか分からなったが、目の前にいる男と天井窓から降り注ぐ日差しで図書館にいると認識した。
「何であんたがここに…」
「別に普通だろ。というか大丈夫か?まだ勤務中なのにそんな爆睡して…おい、隈酷すぎだろ。それに前よりやつれて見えるぞ。」
「全然よくない。話しかけてくるだなんて久しぶりじゃん、アヘン事件ぶりだね」
眼鏡に少し日焼けした肌と黒髪を持つ男にイザベラは向き直った。彼はベンジャミン・クラム。生活安全局スラム街対策部に所属している。アヘン事件で同い年だと判明し、同じ部署に所属しているもう一人の男・ダニエルと三人で何度かご飯に行ったことがある。NSSOにやっかみを持つ者が多い中で、容赦なくイザベラのスペースに入って来たので始めは戸惑ったが今では署内でまだ居心地が良いと思える同期になっている。
「局が違う上に普段は関わりないからな。相変わらず大変そうだな。腹喰い事件の担当から外されたんだろ?イザベラのことだから一人で色々調べてそうだけどな」
「はは、否定は出来ないね」
イザベラは軽く笑い、広げたスラム街に対する行政に対する資料を片付けて立ち上がったが、激しいめまいでバランスを崩した。
「おい、大丈夫か?なぁおい、イザベラ…」
睡眠不足と栄養不足で全身に血が回らなくなっていたイザベラは動かない口で返事をしながら、意識を失っていた。
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次に目を覚ました時、イザベラは見慣れない天井を見上げていた。
「目が覚めました?チャンさん、ここは病院です。」
「病院…」
「ご家族を呼んできますね。そのまま安静にしていてください。」
そう言って看護師はカーテンを閉めて歩いて行った。どうやら自分は倒れてしまったようだ。最後の記憶も曖昧で久しぶりにベンジャミンと話したような話していないような感覚だ。
「イザベラ!!あんた何してんの!?最近食べる量減っているなって思っていたら案の定倒れて!心配したんだからね!」
看護師のけん制を無視してレイが勢いよくカーテンを開いた。
「ごめんって…」
「もう!あんたは色々抱え込みすぎ!寝不足と過労でぶっ倒れたの記憶ある?たまたまあんたの知り合いがいたからよかったけども!とにかく1週間は休むようチャーリーに伝えといたから!」
レイは一気にまくし立てると次はイザベラに抱き着いた。同い年の女子とは到底思えない母のようなレイにイザベラは小声で謝りながら、彼女の背中を摩った。
その日のうちに退院したイザベラは、NSSOと他諸々の誰かによるタレコミでイザベラは半強制的にチャーリーの家に帰らされていた。夜、イザベラの最近の挙動がおかしいことを聞いたチャーリーは心配そうに眠るハリーにおやすみのキスをして自室に向かうイザベラを見つめていた。
案の定、ベッドに潜ってもイザベラはなかなか寝付けずにいた。眠るとまた悪夢を見てしまうかもしれないという恐怖が生まれていたのだ。イザベラは頭を空っぽにして、深呼吸を何度か繰り返して何とか眠りにつくように努力したが、脳裏に映るのはオークションでの出来事だった。イザベラは何故か会場の最前列にいた。あの日は後ろの方で見ていたのに…そう思いながらイザベラは仮面をつけた男が話している様子を見ていた。何を言っているのかはっきりとは聞き取れなかったが、周りがどよめいているのをイザベラは感じた。
仮面をつけた男がマジシャンのように檻にかかった幕を取ると、そこから現れたのは腹を裂かれ、いくつかの内臓が腹の前に並べられている虚ろな目をしたハリーだった。
「うぁぁっっ!!」
イザベラは叫び声とともに目を覚ました。本当に叫んだかは分からないが、口が半開きになっていたので、恐らく叫んでいたのだろうと察した。イザベラは勢いよく身体を起こし、荒い息を整えようとしているとバタバタという音がして、ノックもなしに扉が開いてチャーリーとリザが駆け寄ってきた。
「イザベラ!大丈夫か?叫び声が聞こえて…何があったんだい?」
イザベラは夢と現実の境にパニックになりながらもオークションのことはまだ話せないと自分に知らずのうちに言い聞かせていた。
「大丈夫。ただ疲れて悪夢を見ただけよ」
「いいえ、大丈夫ではないわ。他のメンバーから聞いているもの。ここ最近、急に貴方の隈が酷くなって食事の量も減ったってね。署で何があったの?」
「ただ皆が心配で…自分だけ何もできないし、事件の幸先は一方に良くならないし…」
頑なに何も話そうとしないイザベラに若い夫婦は訝しげな表情を見せた。
「(そういえばあの人…意図的な殺人が行われているのは知らなかったって言っていたけど、臓器のオークションについて何も驚いていなかった…存在は知っていた?)」
イザベラはふとローリーとの会話を思い出し、慌ててベッド横の机の上に会った手帳を開いた。彼から最深部の案内をしようと言われたのは、新聞社が腹喰い事件を告発した後。既に彼の耳にも事件の詳細は入っているはずなのに、あの時ローリーは臓器売買が行われているとは言わなかった。もし、彼が前々から存在を知ったのならば、あの時に言うはずだ。臓器売買の存在を知っていたのにも関わらず、わざわざ隠して、後々に自分だけを呼び出す必要はあったのだろうか?回りくどいことをしたのは、理由があったからか?
「何か僕が知らないことをしてるね?全て話せとは言わないが、自身が壊れるほど誰にも頼らないのは良くない。君の行動を見ているのは僕と局内の者だけじゃない。」
チャーリーの含みを持たせた言葉にイザベラは、今日のベンジャミンとの再会も彼の差金ということに気づいた。イザベラが肯定の頷きをしてベッドに再び潜り込むと、二人は静かに部屋から出て行った。
イザベラは暗闇で目を開け、初めて会った時のローリーの不安定さを思い出した。彼女はあの男を信用してはならないと心に刻み、次こそは夢を見ないで済むようにと願いながら眠りについた。




