腹喰い事件20
「チャン。また悪い癖が出ています。流派としてもう一方の腕を使う行為はズルと判定されます。」
「はい…すみません。」
NSSOに入った時からイザベラに剣術を教えているノーマンは、相手に止めを刺すために利き手では無い右手を使ったイザベラを注意した。
(流派にとっては美しくないかもしれないけど…本当の戦闘時にはあるもの全てを使って挑まなければならないのに…)
と心の中で何年も募った不満を呟くと、イザベラは再び模造剣を握った。何年もの修業を経て、剣術のプロと闘えるくらいの実力を備えたイザベラは、師匠であるノーマン以外と勝負してもあっさりと勝ってしまう。しかし、イザベラは自分が強いと自覚するようになった頃から、ここだけで満足してはいけないと考え始めていた。もっと自由で優雅さを求めない戦い方、どんな敵に対しても臨機応変に対応出来る剣術を学びたいと考えていた。しかし、剣術の世界には7つの流派があり、それぞれが独自の闘い方に誇りを持っているため、誰を師匠につけても一つの流派を極めるしか方法は無いのだ。
「チャン。考え事ですか?先ほどより剣の速さが鈍いぞ!」
ノーマンはそう言うと、すっかりと守りの体制に入ってしまったイザベラを攻めていった。右が利き手である者が多いため、左利きであるイザベラは少々厄介な相手になるが、ノーマンにとってそれは何てことも無い問題である。イザベラは隙があればそこにめがけて突いてくるノーマンの攻撃を模造剣で跳ね返した。チェストラ国の大半の剣術士の戦い方は、正々堂々と優雅さを基調としているため、行動が読みやすい。しかし、チェストラの剣術士にとってはそれが罠であり、相手が読み間違える瞬間を狙っているのだ。ノーマンの膝が少し曲がったとイザベラが感じた瞬間、ノーマンは身体を一回転させ、イザベラの守りのリズムを崩してきた。次の行動を読んでいたイザベラは直ぐにノーマンのリズムに合わせると攻めの姿勢に入った。
カンカンカンッ!
しなやかにイザベラの攻撃をかわしていくノーマンに対して、先ほどのノーマンと同じようにイザベラは身体を左回転させる動きに入った。勿論、ノーマンはこの動きを読める。イザベラはふっと力を緩めると、半回転させながら左手にある剣を右手に素早く持ち替えた。そして、左側から攻撃が飛んでくると考えて左方向に剣を振ったノーマンの動きを、イザベラは右側から攻撃を出すことで封じ込め、そのまま勢いよくノーマンの剣の根元まで自身の剣を滑らせることでノーマンとの距離を縮め、剣先をノーマンの喉笛に向けた。
「はっ、なかなかやりますね。優雅にチャンにしか出来ない技を繰り出す。流石はNSSO一の剣術士です。」
ノーマンはそう言うと、力を緩めてイザベラから離れた。
「今日の訓練はここら辺で終わりましょう。貴方が捜査から外されて憤りを覚えているのは分かりますが、私の体力が削られてしまいます。」
「すみません…また明日お願いします。ありがとうございました。」
イザベラはノーマンにレイを言うと、模造剣をしまい、訓練場を出て行った。刑事局長がNSSOの良さを最大限に活かしていないことを知ってから、イザベラはずっと苛々としていた。昨日に始まった警察の強制捜査は全く関係のない酒場を巻き込んだことによって、そこの利用客からも恨まれるようになってしまった。また、ローリー・アローという謎の男のスラム街の最深部への誘いに乗りたい気持ちと初対面の謎だらけの男に頼るのが癪に障るという葛藤が常にイザベラを蝕んでいた。苛々しながら廊下を曲がった時に、ちょうどレオナルド刑事局長が白髪が少し混じったここらでは見られない服を着た男と歩いてくるのが見え、イザベラは小さく舌打ちをした。顔を合わせたくないからと言って、来た道を引き返すには遅すぎたのでイザベラは立ち止まって軽く会釈をすることで、2人がイザベラの横を通り過ぎるのを待った。変わった服装をした男は横を通り過ぎる時に興味深そうにイザベラに目をやったが、下を向いていたイザベラは気が付かないふりをした。
元々、剣術の訓練が入っていたイザベラは、今日が最後の自宅謹慎処分の日だったが、警察署に入ることが許されていた。そうは言っても、刑事局に立ち入ることは明日まで許されていないので、大人しく帰るしか道は無かった。
「チャンさんじゃないですか。」
涼やかな声が掛けられ、イザベラが声の主に驚いて振り向くと、凶悪事件対策部長秘書のティモシー・ブルームが立っていた。
「腹喰い事件捜査班が設けられて直ぐにスティリンジットに行ってしまわれたので、何だか久しぶりな感じがしますね。」
「腹喰い事件の捜査が終わるまで、第一線で活動することも無いから、今後もあまり顔を合わせないと思います。」
「処分のこと、聞きました。NSSOの招集がかかる事件が起きた時はいつも活躍していたので、今回はチャンさんの活躍が見れなくて残念です。」
「私がいなくてもNSSOは上手くやっていけますよ。ティモシーも私以外のメンバーとも会話出来るように頑張ってくださいね。」
イザベラがそう言うと、親しい人以外の人にはひどく人見知りをするティモシーは顔を赤らめた。
「ええ…こればかりは…努力するしかありませんね。それはそうと、他の方から月曜日に警察がしたことを存じていますよね?」
「ええ、勿論よ。馬鹿なことをしたわね。」
「一応、僕もその班の一員なのですが…まあ良い。警察は市民との勃発が起きたことを弁明するために、明日新聞社向けに会見を行うそうです。」
「イーグル社が書き立てたことの回収ね。」
「そうです。メディアに公表する前に事件についてバラされてしまったのですから、警察の面目は丸つぶれです。今日も躍起になっていますよ…でも収穫はありました。」
「どんな?」
「…NSSOの皆さんが言っていた被害者の母親に聴取を行うために、署に連れて来て貰いました。」
ティモシーがそう言った瞬間、イザベラは事件が前進するのを感じた。
「誰が聴取を?」
「ドッグウェルさんとブリードさんだと聞きましたが…」
「それならまだ安心ね。貴重な情報をありがとう。」
「いいえ。どちらにせよ、NSSOの館に戻った時に話を聞くでしょう。」
イザベラはティモシーの指摘にまあねと返事をすると、彼に別れを告げた。
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「私!何もしていないのに!ここはどこ!帰して!!」
「落ち着いてください。我々は貴方のお子さんについて聞きたいんです。」
ナルシッサが取調室でヒステリックに喚く被害者の少年の母親を宥めながら言った。
「話すことなんてない!解放して頂戴!!」
「本当に何も話すことは無いのですか?それなら何故、我々が同行を求めた時に逃げたんです?」
母親の前に座っていたステラは彼女をジーッと見た。相手を落ち着かせるためにはこちら側がまず始めに落ち着かなければならないという教えを試すかのように。
「に、逃げてなど…!」
「私達から見れば、あれはどう見ても“逃げていた”ですよ。そもそもお子さんがいなくなってから、2週間後に気付くとはどういうことでしょう?」
「そ、そんなことは言っていない!ただあの子はいつもふらふらとどこかに行くから気付かなくて…!」
「まだ10歳ですが、いつも放っているということですか?北エリアに住む子供はいつも保護者が近くにいると聞いているのですが。」
ナルシッサが目を細めて、訝しげに母親を見た。母親はまだ29ぐらいでナルシッサと年が近いはずだが、痩せた身体やケアのされていない傷んだ髪のせいで、一回り程老けて見えた。
「じゅ、10歳は一人でも行動できる!私はあの時仕事であまりあの子を見れなくて…ねぇ、もう話すことなど無いから!!」
「失礼します。何やら騒がしいですが、何か問題でも?」
突然、取調室の扉が開き、スーツをかっちりと着こなした警察官では無い者が入ってきた。ナルシッサがノックをしていないことを咎めるかのように、その男を睨んだ。
「いえ、特に何も。参考人の方が少々取り乱していまして…」
「そうでしたか…これは失礼しました。ここからは私がお話を伺いましょう。二人は下がってください。」
「え!?いや、この担当は私達が…」
「私がやると言っているのです。文句があるのならば、刑事局長にお話しください。既に私の話は通っていますので。」
ステラの抗議の声を男は無視すると、そこをどけと言わんばかりにステラの椅子を見つめ続けた。
「…畏まりました。ブリード、行くぞ。」
何かを感じたのか、ナルシッサはサッと立つと取調室の扉を開け、ステラがこちらに来るのを待った。
「「失礼します。」」
2人が渋々といったように扉を閉めた先では、男が満足げに口元を歪めて笑った。扉を閉め、大きなため息をついたナルシッサはポツリと呟いた。
「…あの男は警察官じゃなくて、政府関係者だ。黙って出て行かなければ、こっちの立場が危うい。」
「政府関係者!?お偉いさんが被害者の母親に話を聞くって、おかしくないですか?」
「うん。あれは間違いなく、何か隠しているな。」
「ええ、彼女に不都合な事情があるのか、被害者にとって不都合なのか…」
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次回の投稿は、2月10日予定です。




