腹喰い事件18
イザベラはひっそりとスラム街に向かっていた。捜査に参加する資格を奪われて、署内に引きこもってそのまま黙っているつもりなど、イザベラにはさらさら無い。勿論、アラン刑事部長にはこの謹慎処分中に何かしらするのではないかと疑われたが、スラム街で鉢合わせしない限り、NSSOのメンバーが適当に誤魔化してくれる。彼女がスラム街に向かう理由はチャーリーが言っていたNSSOに参加する前に世話になった人物と接触することで、捜査の真相に近づくためだ。
「えーっと、ここら辺だったっけな…」
イザベラは過去の記憶を頼りに警察や仲間に姿を見られないように、路地を進んで行った。イザベラはチェストラのスラム街に住んでいたわけでは無いので、NSSOのメンバーのように普段はここに踏み入れないし、そんな時間も無い。夜になると薄明かりがついて、客で賑わう古びた看板を忘れないよう目に焼き付けながら、イザベラは奥に進んで行った。
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「…あぁ、ここらを嗅ぎまわっているスラムの人間がいるらしい。」
「本当にそれ、スラムの奴か?サツが紛れてるんじゃないのか?」
「そんな気もするんだが…それにしては妙にリアルなんだよ。本当に俺たちのような奴にも見えるんだ。ほら、南のエリアでは制服を着て聞き込みをしているサツもいるだろ?だから、そいつらの一味じゃないかって…」
立ち聞きしていた少年は2人の人間の会話を聞くと、そっとその場から立ち去った。
「(警察がここに何の用だ?ここはスラムでも割と奥まっている方だ。わざわざここまでやってくるだなんて、よっぽどの事件じゃないと…)」
「ケイト!」
ケイトと呼ばれた少年が歩く方向の壁から、少年が数名出てきた。
「お前の言っていた通り、ここらをうろついているスラムの人間のようなそうじゃない奴らは確かにいるぜ!」
「あぁ、トミー。何か聞いたのか?俺もちょうどそれについて噂している人たちを目撃した。」
「アンの母ちゃんに『最近ここらで人が数日いなくなったり、帰ってきていない人がいないか。ある少年を探している』って尋ねてきた奴らがいたらしいんだ!アンの母ちゃんはマジで知らなかったから、何も知らないって答えたらしいけど、俺たちのような環境で住んでいる割には言葉遣いや所作が綺麗だったって言ってたぜ!」
「本当に警察が…」
「どうかしたのか?」
トミーはケイトの呟きが聞こえなかったのか、首を傾げた。
「あ、いや。何でもない。俺もさっき警察っぽいがスラムの人間っぽい人たちがここらをうろついていると聞いた。俺たち少年調査団の仮説は本当みたいだな。」
「一体、何のためなんだろうな。今まではここで誰が野垂れ死のうと何も気にしていなかったくせに何で急に…」
「恐らく警察がここで調査をしなければならない程のヤバい事件が起こったんだろうな。」
「流石察しが良いね、少年調査団団長・ケイト。」
暗がりから、薄汚いコートについたフードを被っているが、コートの下から見えるパンツは小綺麗という妙な姿の女性が現れた。
「誰だお前、警察か!?」
「お前は…」
ケイトは眉間にしわを寄せて、自身の記憶を振り返った。
「久しぶりだね、ケイト。出会った時よりずいぶんと変わったから気付かないでしょ。背も姿も地位も何もかもあの時よりずっと良くなった。」
「フン、お前は確か…イザエルだったか?」
「今はイザベラよ。あの時は世話になったわね。」
ケイトは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに納得したかのようにまた口を開いた。
「随分とお偉くなったみたいだな。汚らわしい一般市民の爺d…」
「おい、それ以上は…言うなっていっただろ。」
イザベラの顔からは笑顔が消えて、ケイトを睨んでいた。
「悪いな。警察が急にここらを荒らしてきたから、こっちもピリピリしているんだ。で?お前は何故ここにいる?お前も警察なんだろ。」
「まぁ、確かにそうなんだけど…捜査から外されたのよね。」
「は?何したんだよ…」
「余計なことかな…ってか警察になったことに何も言わないんだ。」
「言わねえよ。警察は好きじゃないが、俺はここにいた人間が警察官として活躍していることに希望を感じる。」
「…そういう賢い所が私の記憶に残っているのかもね。とにかく、捜査を外された私は同僚が持ってくる情報以外何も知らないし、自分から同僚への指示出しは禁止されてるんだ。だから独自のラインで独自で今追っている事件を調べようと思って。」
「やっぱり何かあるんだな!」
さっきまで黙っていたトミーが声を発した。
「何かってことは何も知らないのか…でも聞きまわっていることの内容は知っているだろう。そこから何も思いつかなかったのか?」
イザベラは真顔でトミーを見つめた。
「何かケイトに似て腹立つ奴だな。」
「ははっ、思考回路が似てるんだろ。人から聞いた話を本当だと仮定するならば、俺らより若い男の子の死体が見つかったんだろ?でも餓死や盗みの末の殺害はここでは日常茶飯事。つまり、警察がやっと興味を持つ程の普通じゃない死に方、殺され方をしただろ。」
「まさにその通り。スラム街の入り口の方で惨殺された子供の遺体が見つかったのは聞いたかな。まぁ、かなりのヤバい死体だったから、次の被害者が出るまでに何とか防げる方法、犯人像を導き出したくて聞き込み回っているんだけど、未だに何も出てきていなくてね。わざわざ変装して何日も来ているのに結局怪しまれているようじゃ、意味も成していないけどね。」
「何日も来ているのか?俺たちにその話が入ったのは今日からだぞ?」
「私達はもう一週間ここにいるけど……いや、今日からだ。」
本当に今日から警察が入ってきているのだと、ここの人が信じているのならば、NSSOだけが潜入していた5日間は怪しまれていなかったということにイザベラは気付き、心の中でほくそ笑んだ。
「というか、そんな情報を俺たちに流しても良いのか。聞くところによると、尋ねてきた人間に何でそんなことを聞くんだって言ったら、言葉を濁されたって言っていた人がいたぞ。」
「あぁ、今の情報は何の問題も無いし、流しても大丈夫か駄目かは自分で判断できる。それに話したのは…」
「御免だ。いくら知り合いだからとはいえ、警察の手伝いは結構だ。今まで碌にここの生活を改善しようとしてこなかったくせに都合のいい奴だ。」
ケイトは語気を荒げて言った。
「まだ何も言ってないよ…確かに私は警察だけど、手伝って欲しいのは私個人からのお願いよ。それに私はケイトが思っているような警察官じゃない。特別なんだ。」
「特別?」
「私が今の地位にいるのは、たまたまスカウトされたから。スラムの人間が警察官になれる確率はほぼゼロ。署に行けば、上司や他の警察官からは嫌味を言われたり、差別的な扱いを受けたりすることもある。中身が良くてもスラム出身という肩書だけで選択肢は奪われる。私が所属しているのは良い成績を収めて、学校で訓練を受けたエリート警察のチームじゃなくて、同じ境遇で育った人がほとんどのチーム。ここよりマシかもしれないけど、本当に幸せかって言われても分からないし、チェストラを守ることを考えているメンバーは少ないと思うよ。」
「そういう意味での特別か…で、お前は俺たちに何をして欲しいんだ?」
「少年の身元は私にとってそれほど重要ではない。重要なのは何故、臓器の一部を取る必要があったのか。私独自の路線では人体実験が浮かび上がっているんだけど、そんな噂を聞いたことが無い?」
「ぞ、臓器の一部!?何だよそれ!気もち悪!」
ちゃんと新聞を読んでいないのであろうトミーが悲鳴を上げた。
「臓器を盗る…そんなことをして何の意味になるんだ?」
「悪い臓器を健康の人の臓器と交換することで、具合を良くする。でも人間での移植はまだ行われていない。もし本当に人体実験をしているなら、スラム街の子供の臓器は価値が低いと思われるから、今回の少年の遺体にもどこかに遺体があるんじゃないかって考えてる。」
「そんなことが出来る世の中なのか…」
ケイトは感心した声を挙げた。
「まだ実験段階だから、臓器を取っているだけだろう。」
「待て。今の話だと臓器を取り出せば、その人は死ぬのか?」
「いや、分からない。私が聞いた話では、若くて亡くなったばかりの遺体の臓器を使うことが多いらしい。」
「あぁ、だから大量の死体があると言ったのか。」
ケイトは顎に指をあてて、考え事を始めた。
「…残念ながら、今の俺たちがお前に提供できる情報はない。それに聞くところ、結構危険そうな事件だ。俺は仲間を危険な目に遭わせたくないから、人から聞き出すことはしない。だけど、今後のスラム街の子供の命を守るためにも協力したいと考えている。だから、少年調査団にはスラム街のあちこちの拠点でそんな噂が無いか盗み聞きするように頼もう。曖昧な情報になるかもしれないが、証拠が増えれば信ぴょう性は高まる。それでいいか?」
「助かる。警察より早く進みそうね。私も何かケイトに提供できる情報があれば、伝えるよ。」
「取引成立だな。」
そう言うとケイトはイザベラに手を差し出し、2人は握手を交わした。
「じゃあ、私は私に出来ることをするよ。また今度ね。」
そう言うとイザベラは少年調査団の2人に背を向け、スラム街のさらに奥の方へ向かって歩き始めた。
「何なんだあの女!地味にむかつくぜ!」
イザベラが消えた途端、トミーはキーッと言いながら、地団駄を踏んだ。
「ああ見えて、俺より一つ年上だぞあいつ。まさかまた会うことなるとはな…」
「ケイト、あいつと仲良かったのか?」
「いや、あいつがここで死にかけている時に助けただけだ。住む場所も家族もいないっていうから、しばらく一緒に過ごしていたんだ。年も近かったから、妙に懐かれていたんだけどな…」
「けどな?」
「まぁ…大喧嘩して追い出してしまったんだよ。冬だったから死んだと思っていたが、上手くやっていたみたいだな。」
そう言うと、ケイトはふっとため息をついた。
「さてと、癪には少し触るが、スラム街の子供を助けるためにも協力するか。」
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「(あの人たちはどこまで情報を掴んでいるんだ…?この地域で警察と名乗ると狙われる可能性だってあるのに何しているんだ…)」
ケイトと別れたイザベラは、スラム街の北エリアの端っこに来ていた。たまたまいた警察官二人が老婆に尋ねている内容をもっと聞こうとイザベラは死角に隠れながら、近づいていった。
「…何か見ていませんか?怪しい人とか、顔色の悪い人とか…」
「それは私のことを言っているのかい!?顔色が悪いも何もここらに住んでる人間は皆んな、飢えているんだ!顔色が悪いのは当たり前のことだろう!」
突然、老婆が叫び出した。どうやら、警察官は地雷を踏んだらしい。いや、あの、そのとタジタジし出す警察官に対して老婆は牙を剥き続けた。
「だいたいね、ここを変えようと何にも努力せず、殺人が起きたことでやっと動くお前たちに情報を与える奴だなんていないだろう!確信も無いくせにここを荒らすのは止めてくれ!ここはこんなにも酷いのに第一地区で優雅に暮らすお前たちにはうんざりしているんだよ!」
「(収穫なし…か…)」
イザベラは捜査から除外されているので、警察官を助ける筋合いは無いなと考え、その場を去ろうとしゃがんでいあ腰を上げようとした瞬間、何者かに肩を掴まれた。
「ヒッ…!」
「こっちです」
そういうとイザベラの肩を掴んだ者はイザベラを別方向に引っ張っていった。イザベラは即座に抵抗しようとしたが、下手に騒がれて警察官に気付かれるのはもっとマズいと考え、何か逃げられたり、武器になったりするものはないか辺りを見渡しながら、自分を引っ張る者の後をついて行った。
「ここならもう安全ですよ」




