~幕間~ 夜中の給湯室
同居人達に歓迎された日の夜、ニコはふと目を覚ましてしまった。窓の外には月はなく、ただ星ばかりが空に張り付いている。布団に潜り込んでも眠りに落ちる事ができず、ニコは廊下へ出て行った。
向かった給湯室には既に明かりが灯っており、先客のいる事を知らせていた。部屋に入ると、深紅の瞳とニコの金目がかち合った。そこでは、ルビネスが相変わらずの無表情で紅茶を飲んでいた。ほのかな清々しい香りからすると、ハーブティーかもしれない。ニコはお湯が沸いている事を確認し、カップとインスタントコーヒーを取り出す。
「“改造人間”か…。なるほど、世に見捨てられそうな存在だ」
不意にルビネスが口を開いた。話しかけられるとは思ってもみなかったニコにとって、不意打ち以外の何者でもない。慌てて両足を隠すような動作をする。
「どうしてそれを?」
「ふん、おれも科学者…そのくらいは見抜ける」
ルビネスはいつの間にか嗤っていた。ニコにはそれがこの上なく気に入らない。
「…あんた、世界を震撼させた天才科学者、あのルビネス・クリューテムなんだろ? 5年前に消息不明になったって聞いたが、まさかこんなところで会えるなんて思わなかったぜ」
この言葉は意外にも効果的だったらしく、一瞬でルビネスの表情が消えた。ニコはずっと気にかかっていたのだ。人間と見紛うほどのアンドロイドを生み出せるこの人物が、ひょっとしたらあの天才科学者ではなかろうかと。ルビネスはややニコを睨む。
「…おれをクリューテムの名で呼ぶな。もう、あそことは何の関係もない」
ルビネスの語調は強い。表情ではよく分からないが、怒っているらしかった。ニコはコーヒーを入れて口に含んだ。ほどよい苦みが口の中に広がる。
「そうかよ。じゃあ、15年前に魔導機を開発したのは本当にあんたなんだな? …それにしたら若すぎると思ってたんだ」
「15年…そんな時期だったのか、魔導機は」
ルビネスは感慨にふけっていた。興味がなさそうにも見えた。
「自分の、しかも世界的な名誉じゃないか。まるで覚えてないような言いぶりだな」
ニコは呆れ混じりに言う。対して、ルビネスは肩をすくませただけだった。
「“世界的な名誉”か…。悪いが、興味がないな。第一あれは、学校の課題研究として作った物だ。当時11歳のおれには、周りの連中が騒ぎ立てる理由が分からなかったな」
あっさりとした口調で、ルビネスは言い切った。天才だとは聞いていたが、レベルが違いすぎる――ニコはそう感じた。
「そんな奴が、どうしてここにいる?」
5年前、ルビネスは勤めていた会社を突然やめ、その後自身の痕跡を跡形も無く消してしまったという。そして、この人の世離れた建物で暮らしている事が不可解だったのだ。ルビネスはすぐには答えなかった。しばらくは無表情でニコを見つめていた。が、急に口の端をニヤリとあげ、不敵な笑みを浮かべた。
「デザーテッドカンパニー、すなわち“A Company by the Deserted”」
「は?」
唐突すぎて、ニコには何故そんな言葉を持ち出したのか理解できなかった。だが、ルビネスはなおも続ける。
「直訳すれば、“見捨てられた者達による会社”だ」
ルビネスは一層口の端をつり上げて嗤う。ニコは唖然として、開いた口がすぐには塞がらなかった。ようやく自分を取り戻し、眉をひそめる。
「どういう…事だ?」
「考えてもみろ。一定のノルマさえこなせば誰でも入居は断らない! それどころか報酬までもらえる……まさに夢のような条件じゃないか?」
初期の無表情とはうって変わって、ルビネスは声高らかに熱弁する。そして、一旦言葉を止めると、意味ありげに深紅の双眸をニコに向けた。
「そう、理不尽にも世間に見捨てられ、行き場を失った者達にとっては…な」
ニコの表情が一瞬で強張る。この言葉に衝撃を受けたために他ならない。思考をめぐらせ、必死で反論しようと試みるが、なかなかいい言葉が出てこない。
「どうして、そうだと言える?」
結局ニコは、震える声でそう尋ねる事しかできなかった。ルビネスは愚問だ、と嗤う。
「世間にちやほやされて幸せに暮らしている連中が、わざわざ不可解な組織に入ってまで生き甲斐を見つけると、本気で思っているのか?」
見下すようにつり上がったルビネスの口元に、ニコはただ、黙り込むしかなかった。そうしているのは認めているようなものだと分かってはいたが、返す言葉もないのにうっかり口も開けない。ルビネスは飲み終えた紅茶のカップを軽くすすぎ、流しへ置いた。
「ここに集まるのは、そういった者達だ。ここで暮らしたいと思うのなら、過去について詮索するのは無意味だと覚えておけ」
ルビネスはニコをおいて給湯室の扉に手を掛ける。ノブを回す前に、彼女は後ろを振り向いた。
「もっともおれは、他人の過去なんぞに興味はないがな」
ルビネスが出て行ってしまった後、ニコはコーヒーの湯気をじっと見つめるだけだった。