2話 新しい入居者
大陸最西のバース国の中でも、更に西にある辺境の地、アバンドン。そもそも人が住めるかどうかさえ怪しまれているほど、荒廃した土地だ。そんな場所に、一人の青年が訪れていた。
「来たはいいが…住居どころか建物も見当たらないな……」
人気のない土地で、俺はため息をついた。手には『デザーテッドカンパニー入居者募集』と書かれたチラシを持っている。もう一度、そこに書かれた地図を見つめ直した。しかし、いくら眺め回しても、ここからどう進めばいいのか分からない。俺はここに来た事を後悔し始めていた。一定以上の仕事をすれば、誰であっても入居でき、さらには給料まで支払われる――そんなに都合のいい話など、そう転がっている訳でもないか。無駄足だったな、と来た道を戻ろうか考えた時。
「なんだ? 道にでも迷ったのか?」
背後から声を掛けられ、俺は勢いよく振り向いてしまった。そこにいたのは、黒髪の青年。年は自分と同じ18、9歳くらいだろうか。両腰にはそれぞれ1本ずつ刀がつけられ、背中に何かの魔導具を担いでいる。何と答えようか迷っていると、相手の方がめざとく俺の持つチラシを見つけた。
「…ひょっとして入居希望か?」
「…ああ」
俺はうつむき気味に返事をする。それを聞いた相手は、心なしか表情が明るくなったように見えた。
「なら、俺が案内してやるよ。何も知らないと、そう簡単にはあそこにたどり着けねえからなあ…。」
「いいのか?」
「気にすんなって! ついでだよ、ついで。」
とてつもなく明るい青年である。だが、今はその好意に甘えるとしよう。俺は意気揚々と歩く青年の後についていった。
俺は目の前を進む青年を恨めしく見る。“簡単にはたどり着けない”と言っていた理由がようやく分かった。とてつもなく急な上り坂、流れの激しい川に穿たれた絶壁、木々が覆い被さるように密生した森林、底なしのように深い沼――常人よりは体力に自信があるはずの俺でも、既に息が上がっていた。それに対し、先にいる青年は、慣れているのか息一つ切らしていない。それどころか、俺を気遣う余裕まで持ち合わせていた。
「くそっ、なんて所に建てたんだ…」
俺は悪態をついた。いや、それすらもようやっとできるほど、俺の息は上がっていたのだ。青年は足を止めて振り返る。
「仕方ねえよ。できるだけ所在は知られないようにしてるんだから…」
青年の言葉に、俺は眉をひそめた。
「“知られないように”? デザーテッドカンパニーは世界的にも有名な組織――何か隠さないといけないのか?」
「じゃあ聞くが、デザーテッドカンパニーは何が目的としている? 何をするところだ? どんな奴がいる?」
「それは…」
そう問われて、俺は実は何も知らなかったと思いしらされた。“報酬さえ払えばどんな仕事でも請け負う”、“依頼をこなせば誰でも入居できる”という事だけが有名で、何をしているのか、本質的な事は伝えられていないのだった。答えに窮した俺を見て、青年が笑う。
「分からないだろ? そういう事さ」
今更ながら、とんでもない組織だったらどうしようかと、不安が襲ってきた。しかし、もはや元来た道を戻る訳にもいかなくなっていた。俺は前で待つ青年を見据え、坂を登り切った。
「もう少しだ」
そう言われて顔を上げると、思わず見上げてしまうほど巨大な建物が見えた。漆黒の建造物のあまりの迫力に、俺は思わずつばを飲み込む。これが、あのデザーテッドカンパニーか…。俺たちは扉を開け、中へ入っていった。
「ただいまー!!」
扉を開けた途端、青年が発した言葉がそれだった。そう、俺はもっと早くこのことに気付くべきだったのだ。概要の知られていない組織の内情を知り、なおかつ“ついでに”俺をここまで連れて行ける人物。そんな人物は、ここの住人しかいないと。青年の声を聞き、俺たちを出迎えたのはエプロン姿の黒髪の男性。女性と見間違えそうな中性的な顔立ちと、宝石のように澄んだ濃紺の瞳が特徴的だ。広いホールのようなところで、その男性は笑顔を浮かべていた。
「お帰り、ジン。任務お疲れ様」
先ほど俺を連れてきた青年はジンというらしい。男性とジンのやりとりは、夫婦のような…というよりもむしろ、母親と息子か。そんな不思議な光景だった。ジンの世話を焼く男性の、濃紺の瞳が俺の方を向いた。
「君は…?」
「ああ、こいつは新しく入居を希望している――そういや、まだ名前を聞いてなかったな」
男性の怪訝な目線に俺が答えるよりも早く、ジンが事情を説明した。
「ニコ」
俺はほとんど小声で名乗った。それでも至近距離にいたため、相手にはきちんと伝わったようだ。
「へえ、ニコっていうんだ…。僕の名はサファイ。よろしくね」
サファイと名乗った男性は、優しく微笑んだ。しかしこのサファイという人物、背丈も高いし声も低いから男だと分かるのだが、中性的な顔立ちをしている上に体のラインが細く、本当は女なんじゃないかと思わず疑ってしまう。そのせいで、俺はまともに返事もできずにうつむいてしまった。恐らく相手には恥ずかしがり屋だと受け取られただろう。
「ところでジン、どうするんだい?」
「ああ、俺が報告がてらマスターの所へ連れて行くよ」
ジンはうつむいた俺に向き直り、軽く肩をたたいた。
「さ、こっちだ。マスターに挨拶しねえとな」
「マスター?」
「要するに、この組織の最高責任者だ」
明るく笑ってそれ以上何も言おうとしないジンに、俺はついていくしかなかった。
ジンに案内されて連れられた部屋で、俺は自分の目を疑っていた。黒を基調とした、落ち着いた雰囲気の部屋。そこに、“マスター”と呼ばれている人物が座っていた。
「おお、ジン、戻ったかの。どうじゃった?」
「任務、無事遂行致しました」
予想外の事が起こりすぎて、頭が今だついて行けてない。とりあえず情報を整理しよう。このマスターなる人物は、どう見ても15歳ほどの少年にしか見えない容姿をしている。しかし、それでいて全く幼さを感じさせない。何がそう思わせるのかは分からないが、直感的にそう思った。さらに、今まで俺に対しては砕けた口調で話していたジンが、急に改まった話し方になる。その雰囲気からも、充分に彼の偉大さを見せつけられるのだが…。
「さすがはジンじゃの~。任せて正解だったわい」
「…恐縮です」
ジンは報酬の袋をマスターに手渡す。彼らのやりとりも、マスターの話し方も、俺にとっては何から何まで不自然だらけだ。まるで至極真面目に社長ごっこでもやっているように思えて仕方がない。すると、呆然と突っ立っている俺と、マスターの目が合った。
「して、後ろにおるのは誰じゃ?」
鋭い眼差しに射止められ、俺はしばらく声も出なかった。落ち着いた声で、ジンが答える。
「彼は新たに入居を希望する者です」
ジンは俺の肩を軽く叩き、気持ち前に押し出すようにした。その瞬間、俺は息が詰まるような呪縛から解き放たれたような気がした。マスターの視線にも、真正面から返す。
「インテジェン国プロフェスから来ました、ニコと言います」
マスターは、しばらく品定めをするような目でこちらを見ていた。やがて何かを考えるように頬杖をつく。
「ところで、何故ここに来たのじゃ?プロフェスと言えば、不幸な者などいないとまで言われる世界最大の都市じゃというのに…」
マスターのこの発言は、ある意味もっともだった。世界を牛耳るくらいの大国インテジェンの中でも、もっとも栄えた都市、それがプロフェスだ。大都市に住んでいたはずの人間が、こんな寂れた地に訪れる事などまずない。傍目に見れば、自分から苦難を求めに行っているようなものだ。俺はそういう面倒な事はしないけどな。
「別に、あんたには関係ないだろう」
俺は冷たく突き放した。これ以上聞いたって、損にも得にもならないはずだ。俺の答えに、マスターは何か考えるようなそぶりをしていたが、ややあって口を開いた。
「まあ、お主が言いたくないというのであれば無理には聞かぬわ…。ジン、すまぬが、ちと外で待っていてくれんかの?手続きを終わらせ次第彼を案内して欲しいのじゃ」
「承知しました」
ジンは深々と頭を下げ、部屋の外へと退出した。
手続き、といっても、書類に名前やら出身地やら、あとは自分の得意とする事を書くだけであった。恐らく、仕事をするに当たって必要な情報を把握するためだろう。俺はそう時間もかからずジンのいる場所へ行く事ができた。
「じゃあ案内するが…まずは自分の部屋からがいいか? ニコ、部屋番号は?」
ジンに問われ、俺はマスターから渡された部屋の鍵を取り出した。鍵には「205」と書かれたプラスチックのタグが、チェーンで括り付けられていた。
「205号室か…。俺の部屋と近いな。この建物は、1階にはロビーと社長室が、2階と3階には男性、5階と6階には女性の個室がある。そして、4階は共同で使える施設があるんだ」
階段へ続く廊下を歩きながら、ジンは説明した。しかし実際に階段へ着いてみると、俺は下への階段もある事に気がついた。
「地下に部屋があるのか?」
「ああ。地下には研究や実験のための部屋があるんだ」
“実験”という単語に、俺は少しどきりとした。少しは態度にも出てしまったのかもしれないが、ジンはそれには気付いていないようだった。俺は少し平静を取り戻し、再びジンに問いかける。
「何でまたそんな部屋があるんだ…」
「ここには歴代にも何人か研究者達がいたらしいからな。…っと、噂をすれば影、だ」
ジンが向いた方に目をやると、上の階から白衣を着た茶髪の女性が下りてきていた。その白衣は着慣れてくたびれており、茶髪にはいくらか寝癖のようなものが残っている。ふと、女性の深紅の瞳がこちらを向いた。
「ジン、帰っていたのか」
低く、落ち着いた声だった。無表情でもあるせいか、あまり女性であるという認識を与えさせない。
「ああ。そういうお前は今起きたみたいだな…。ニコ、彼女がここに今いる研究者、ルビネスだ」
ジンは一度俺に振り返って紹介した。ルビネスと呼ばれた茶髪の女性は、ジンの発言を聞いて初めて、俺の存在に気付いたようだった。深紅の瞳が、俺の金目を不思議そうに眺めている。その視線に気付いたジンが笑う。
「ルビネス、彼は新しくここに入居した、ニコっていうんだ。よろしくやってくれ」
ルビネスはしばらく俺を見つめていたが、わずかに口の端をあげてなにやら得心げな顔をした。しかしそれを言及する前に、ジンが話し出す。
「そうだルビネス、悪いけど俺の蒼斬の修理を頼めないか?」
ジンは背中に担いでいた魔導機をルビネスに渡した。今まで気にしていなかったが、それはいびつに湾曲していたのだ。受け取ったルビネスは、眉をひそめてしかめっ面をする。
「これは…だいぶひどくやられたな……」
「悪い、任務の途中、女の子を守りたくてつい…」
ジンはばつが悪そうに頭をかいた。ルビネスはほとんど無表情のまま、ふん、と鼻を鳴らす。
「言い訳は聞きたくない。何かを犠牲にしてでしか、何かを守れない弱い自分を恨むんだな。…修理代はお前の給料から引いてもらうぞ」
ルビネスの口調は、有無を言わせない強い響きがあった。ジンは言い返す言葉が無いのか、黙ってうつむいている。ルビネスは彼の様子をさして気にした風もなく、さっさと下へ行ってしまった。俺は気持ち小さくなったジンをのぞき込んだ。
「言われっぱなしだな。何も言い返さないのかよ」
嫌味を込めて放った言葉。俺は相手が傷つくのを承知で言ったのだ。
「仕方ないさ。あいつの言う事ももっともなんだから…。それに俺、ルビネスってちょっと苦手なんだよな…」
ジンは力なく笑い、階段を上がっていった。
俺は「205」と書かれたドアの前に立っていた。少し緊張に包まれながら、鍵を差し込む。カチャリ、と小気味よい音を立てて、部屋への道が繋がった。
個室は充分に広く、落ち着けそうな部屋だった。4つほどの自由に使えそうな小部屋で構成されている部屋だ。
「一応キッチンやバスルームもこの部屋の中にあるが、4階に行けば大浴場や食堂がある。基本的にはそっちを使えばいいぞ」
それは暗に“共同で生活をしろ”と言っているのだろうか。俺は軽くため息をつき、持ってきた道具を部屋で整理し始める。ジンは俺の様子を観察しているように見えた。
「ところでどうする? まだ部屋を案内した方がいいか? それとも、部屋にいる?」
「…しばらく部屋にいる」
「そっか。まあ、夕飯の時間になったら誰か呼びに来ると思うけど…。何かあったら203号室に来いよ!」
俺の簡略な答えに、喜々としてジンは笑い、部屋を出て行った。
どれほど時間が経ったか、何気なしに本を読んでいた俺は、ドアをノックする音で現実に帰った。入り口の所に、サファイが立っていたのだ。
「ニコ、夕飯ができたよ。食堂に上がってこないかい?」
サファイはキラキラとした笑顔を向けてきた。彼自身が夕飯の準備をしていたようで、未だにエプロンを身につけている。
「俺は、いい」
食べたくない訳では無かったが、俺は皆で食べるという事にあまりいい気はしなかったのだ。俺の突っぱねたような答えで、サファイはあからさまに気落ちしてしまった。
「なあ、頼むよ…僕ら、君の入居を歓迎したいんだ」
何とか俺を連れて行こうと、サファイは必死に懇願する。彼の物腰は柔らかかった。しかし、腹の中にある思いは強く、揺るぎそうもない。俺は結局反抗するのを諦め、大人しく彼についていった。
歓迎すると言うだけあって、食堂には豪勢な料理が並べられていた。既にマスターとジンは席についている。俺はしばらくぼんやりとその光景を眺めていた。すると、十代の少女らしき人物が俺に近寄っていた。もの不思議そうに、俺の事を見ている。
「…彼はニコ。新しくここで暮らす住民だよ」
サファイが少女に説明する。少女は少し頷いた後、俺をまたもじっと見つめた。
「新たな住民、ニコ様、認識致しました」
少女は明るい茶髪とエメラルドグリーンの瞳をしていたが、物言いはどこか堅苦しい。俺は少し人間味を外れたこの少女を見て眉をひそめた。
「そういうあんたは何なんだ?」
「私ですか? 私はルビネス様によって作られた“完全独立思考型人型家事補助ロボット”です」
「名前長っ!」
思わずツッコミたくなるほど長い名前だ。というか、この少女はそうは見えないがロボットであるらしい。そのなんちゃらロボットである少女は可笑しそうに笑った。
「ええ、ですので皆さん私の事は“ユウカ”と呼んでいらっしゃいます」
少女――ユウカはにこにこと自己紹介した。どうやら自分でも名前が長いという意識はあるらしい。俺はユウカの頬を引っ張ってみた。人間と同じように弾力があり、到底ロボットだとは思えない。
「あんた、本当に人型ロボット(アンドロイド)なのか?」
「ほーへふほー(そうですよー)」
両頬を引っ張って発音が変わるところを見ると、スピーカーが内蔵されているのではなく、人間と同じようなしゃべり方をしているのかもしれない。ますますロボットに思えなくなってくる。俺が彼女を解放してやると、ユウカは俺を座るように促した。彼女が振り向いた時、俺はまた驚いた。なぜなら、くるりと振り向いたユウカにはしっぽが生えていたのだから。しかし俺が確認する間もなく、ユウカは準備に走っていってしまった。
「おおっ?! 何だ? 今日は何かのパーティーか?」
食堂に、嬉しそうな男の声が響いた。新たに部屋に入ってきたのは、短めの金髪をした男性。スカイブルーの瞳が、並べられた料理を眺め渡している。
「バングル、今日は新しい入居者が来たんだ。そのお祝いだよ」
サファイが楽しげにその男性に話しかける。バングルと呼ばれた金髪の男性はとても整った、悔しいほど男らしい顔立ちをしている。彼は俺に気付き、握手を交わした。
「へえ~、俺はバングル! よろしくな新入り!」
「ニコだ」
彼はなにやらニヤリと笑ったが、すぐに席につかされた。
「サファイくん、頼まれとった飲み物買ってきたに~!」
次に声と共に入ってきたのは、赤みがかった焦げ茶の髪をした、見た感じ20代くらいの女性だった。彼女は飲み物の瓶が入った袋を持っていた。サファイがそれを大事そうに受け取る。
「ああ、ありがとうサンティ」
サファイに飲み物を渡したサンティは、ふと俺と目が合った。そしてすぐに何か勘づいたような顔つきになる。
「あれ、見慣れない顔じゃん。もしかして新入りかのん?」
「ああ、彼はニコって言うんだ」
サファイの紹介を受けたサンティは、俺に微笑みかけた。何かとても嬉しそうにしている。
「わ~、やっぱり歓迎パーティーだったんだ! サファイも準備頑張ったら~」
笑顔で話す彼女の言い方は、どことは知らないが訛りが入っているようだ。イントネーションのつけ方が何となく違う。そしてこの女性、やたらとテンションが高い。俺がそれについていけそうもないほどに。
ルビネスもようやく食堂に入ってきて、俺の歓迎会が開かれた。
「みな揃ったようじゃな…。では、乾杯といくかの!」
「「乾杯!!」」
マスターの言葉を合図に、皆がグラスを掲げ、料理を食べ始める。その間、食堂にはたわいもない話し声が飛び交っていた。まったく、騒がしい組織だ。だが・・・・・・悪くないな。俺はそう独りごちた。
「よし、ここらでいっちょパーっとやろうぜ!」
騒ぎ足りないのか、バングルが喜々と提案する。それに真っ先に便乗したのは、サンティだった。
「そう来ると思った! バングルくん、シャンパンあるに!」
「おっ、さすがはサンティ!」
何故かノリノリの二人である。シャンパンの瓶を受け取ったバングルは・・・・・・それを勢いよく上下に振り始めた。シャンパンと言えば発泡ワイン。それを振るという事は――悪い予感しかしない。
「ニコ、入居おめでとーーーーッ!!」
案の定、バングルが栓を開けた途端に勢いよく中身が吹き出した。そして、瓶の口は俺の方を向いていた訳で。俺は瓶のほとんど全てのシャンパンをかぶってしまったのだ。慌ててサファイが立ち上がる。
「バングル! だめじゃないか、飲み物を粗末にしたら…」
「へいへい」
タオルを取ろうと立ち上がったサファイに、バングルは生返事を返す。そして、何を思ったか俺に近寄ってきたのだ。今だシャンパンを滴らせた俺は、その意図が理解できず見ていると、バングルは俺の肩を捕まえた。更に訳が分からなくなった俺の首筋に、生暖かいものがつう、となぞる。舐められたのだと意識するのに、数秒かかった。
「な!?」
「無駄にならなきゃ、問題ねえだろ?」
ニヤニヤといたずらっぽく笑うバングルの顔が、いやにはっきり見える。気がつけば、俺はバングルに半ば押し倒されたような格好になっていた。
「お前…最初からそのつもりでシャンパンかけやがったな!」
「当然だろ? 俺がこんなに“美味しそうな”男の子を放っておく訳ないぜ」
「やめろこの変態…!・・・・・・・・・・・・あっ…」
なおもバングルは俺の体に舌を滑らせてくる。俺はそれに耐えられなくなり、思わずらしくない声を上げ、身を捩らせてしまう。
突如、鈍い音が響き、バングルは吹っ飛ばされた。俺はようやく起き上がると、何か棒のようなものを持ったジンを見つけた。
「ッ~~! 何だよジン!」
「てめえ、さりげなくニコに手ェかけるんじゃねえ」
マスターに向かった時の丁寧な面持ちとも、俺と話す時のようなくだけた顔の時とも違う、ジンの怒りの形相はすさまじいものがあった。声も恐れおののきそうな凄みを帯びている。
「だからって、なにも刀の鞘で殴らなくても…」
「刀で一刀両断されなかっただけでもありがたいと思え」
バングルは頭を押さえて弁解するが、ジンは怒りを収める気配がない。どうやら、手に持っている棒のようなものは普段腰に帯びている刀を鞘ごと抜いたものらしかった。確かに、殴られればひとたまりもないかもしれない。
「ジンくん、バングルくんが他の男にちょっかいかけたもんで妬いとるだら~」
「誰が妬いている!」
サンティがのほほんと会話に参加する。顔がやや紅潮しているところを見ると、酔っているのかもしれない。彼女はへにゃりと笑っていた。
「あ、もしかして…ニコくんを取られるのが嫌だった? あははっ、ジンくんたら独占欲が強いなあもう♪」
「違う! 俺はただニコが俺と同じような思いをするのが嫌なだけで…!」
サンティとジンのやりとりをよそに、俺はバングルの元から逃げ出すのに成功していた。と、いつの間にか俺の目の前にタオルが差し出されていた。
「ニコ様、お体を拭かないと風邪を引いてしまいますよ?」
ユウカがばふっ、とタオルで俺を拭き始めた。
「あ、ありがとな…」
俺はそれを受け取って自分でシャンパンを拭き取ったのだった。
今回登場したニコは高倉悠久さんのキャラでした