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始まり

 保険の営業マンをやっている者にとって売り上げが第一だ。

それは認める。

 売り上げによって世界は変わる。給与アップ、昇給、社内での待遇もろもろ全て。

 売り上げは絶大な力だ。まるで全てを支配できるかのような。

 それが悪い事だ、と否定はしない。

 でも、

 それが正しいとは思わない。

       〇

「おい村上! 聞いてんのかぁ~?」

 ペシッと頭を軽くはたかれた。俺は上司である千堂部長に目を合わせる。このくそ上司が。

「んん? 村上、何か言いたそうな目をしているなあ? 言いたい事があるなら聞いてやるぞ。何せ今日は無礼講だ。広い心で聞いてやる」

 千堂はからかう様な調子で俺にほざいてきやがった。酒に酔った千堂にちゃちゃを入れるのは、ハチの巣をつつくみたいなもんだ。

「いや、何もないですよ全然。酒の酔い冷ましに丁度良かったです、はは!」

 そう言って俺は120%の超笑顔で千堂部長に応えた。千堂は、「お前は笑顔だけが取り柄だからな、がはは!」と無邪気に笑う。

 ちっ、むかつく耳障りな音。あとそれにつられて一緒に笑っている秦野はたのもむかつく。

 仕事終わりの華の金曜日、千堂部長の一声で、会社から近くの海鮮系居酒屋で3人で飲んでいた。

 今日は秦野の係長昇進祝いで飲んでいる。

 秦野は俺の3つ下の30歳。誰が見てもイケメンという奴だ。

 秦野が新入社員として配属され、俺は指導役として面倒を見てきた。

 最初の頃は、秦野はとても素直で教えた事を吸収し、失敗も多々あったが非をちゃんと認める可愛い後輩だった。

 落ち込んだ秦野を励ましては、「つらい時こそ笑え。俺を見てみろ」と俺は常日頃から大切にしている笑顔を秦野に向けていたもんだ。

 だが3年目以降からだった。秦野は保険営業マンとして売り上げを上げるため、自分のイケメンフェイスを利用し始めたのだ。

 今まで磨いてきたセールストークと笑顔も駆使し、客層を主に中高年の女性客に絞って、高額の保険プランをどんどん売りつけていった。

 俺らが務める保険会社では売り上げが第一だ。給与アップ、昇給、社内での待遇もろもろ全て。それが悪いことだとは思わない。でもそれが正しいとは思わない。

 俺の売り上げは瞬く間に追い抜かれていった。だが女性陣の心につけいり、客の信頼を裏切るようなやり方に、俺は秦野に幾度となく注意した。だが秦野は味をしめたのか俺の声に耳を貸さず、千堂部長に気にいられる事にシフトしていった。

 千堂部長は売上第一思考の頭だから秦野をえらく気にいった。もともと俺は千堂部長と馬が合っていなかったから、俺はいつのまにか孤立気味になってしまった。

 そして秦野が8年目で、千堂部長の後押しもあり、異例のスピード出世で係長となったのだ。主任である俺を差し置いて。

 少しぬるくなったビールを俺は口に運ぶ。

 千堂は愉快に話をする。

「まったく村上主任も秦野係長をみならえよ! 売り上げのコツを教えてもらったらどうだ! はは!」

 千堂の饒舌ぶりに、口元がひきつりそうになる。すると秦野が困り顔で口をはさんだ。

「千堂部長、村上主任が可愛そうですよ」

 秦野は俺の引きつり気味の笑顔を見ながら話しを続ける。

「売り上げや役職が上がったのは村上さんの教えがあってこそですから。この笑顔を教えてもらったおかげです」

 そう言って秦野は、千堂と俺に清々しいほどイケメンスマイルを披露する。

 ぐっ! こいつはこれで多くの顧客(女性)につけいってきたのか。あのな、俺はそんな人の心につけいるために教えた訳じゃ―。

 心の中で毒づいていると、千堂が口をはさんだ。

「はは! 村上も先輩としての務めをはたしていたんだなあ。まあお前の笑顔だけは俺も良いとは思っていたからな。だが売り上げはちゃんと上げろよ、秦野みたいに。そこは教えてもらえ、がはは!」

「村上先輩、いつでも教えますんで気兼ねなく言って下さいね」

 千堂と秦野は愉快に談笑する。

 こ、このくそ上司に後輩が!

 すると千堂は財布からカードを取りだした。タスポだった。それを俺に渡す。

「村上、KENTの6ミリ頼むわ」

 ぐっ、頼むなら後輩の秦野だろうが。だがこの酒の席を荒らさないために心で必死に抑えつつ、重い腰を上げる。すると秦野が俺に声をかける。おっ! 秦野! お前ってやつは―。

「先輩、僕は3ミリでお願いします」

 軽い口調の秦野に俺は……、超笑顔で返すのであった。

       〇

 ふらふらした足取りで歩く秦野に気を配りながら、俺ら2人は日付が変わってしまった深夜の街中を歩いていた。飲み会帰りの人達でまだ賑わいが残っている。

 千堂は酔いが回り過ぎた秦野を俺に押しつけ、さっさとタクシーを拾って帰っていきやがった。

 あのくそ上司が。自分の都合だけ考えて動きやがって。うお⁉

 秦野が急に寄りかかって来やがった。酒臭い荒い息が俺の頬をなでる。そしていきなり俺のスーツの胸内ポケットに強引に手を突っ込んできた。

 なっ、何してんだこいつ⁉ はっ! まっまさかこいつ、男もイケる奴だったのか⁉ 

 秦野のイケメンフェイスが俺の顔のすぐそばにある。

 い、いかん‼ 貞操の危機‼

 バクバク鼓動を打つ俺の心臓。と急にふっと秦野は俺から離れた。手にはライターが握られている。そしていつの間にか口に加えていたタバコに火を付けた。

 はあ……、なるほど、そいうことだったのね……って、べ、別に何にも期待なんてしてないんだからね! ……俺は誰に弁明をしてんだ……。って秦野あいつ⁉

 秦野は口から煙を吐きながら、まばらな群衆のなかを進んでいく。片手には手持ちタバコ。周りの人との距離に気を配らずふらふらしていやがる。

 俺は慌てて秦野に駆け寄る。

「おい秦野! まだここは人が多いからタバコは消しとけ。当たったら危ねえだろ」

 すると秦野は酔いが回ったうつろな目を俺に向ける。

「なんすか先輩、そんな子供みたいなへましませんから。放せよ」

 苛立った声で秦野は、俺が握っている側の手を強引に振りほどいた。

 俺はもうさすがにガマンの限界だった。

「おい秦野! いいかげんにしやがれ! 最近お前は調子に乗り過ぎだ!」

「なんすか先輩、説教すか。そんな暇あったら俺より売り上げを上げろよ」

「お前な! 得意げになってんじゃねえ! 客の気持ちに付け込んで高額な保険プランばっか売りつけやがって! そんなこと俺は教えてねえぞ!」

「やり方はもう俺の勝手だろ! この仕事は売り上げが全てだ! あんたみたいな客重視の呑気な営業は間違ってんだよ!」

「売上のためなら何でもやって良い、ってわけじゃねぇ!」

「その考えが甘いんだよ!」

 この時、お互いどちらもカッとなって熱くなったのがいけなかった。

 周りが見えずに口喧嘩をしあい、そして、「はっ! じゃあ捨てりゃあいいんだろ!」

 秦野が手持ちタバコを掘り投げた時だった。

 ブワッと何かに燃え移る不気味な音と同時に、軒先にあったパチンコ店の、秦野のすぐ後ろにあった、のぼり旗が瞬く間に火に包まれる。

 湧き上がる周りの悲鳴。そして秦野の悲鳴。まるでヘビが這うかのように秦野のスーツに真っ赤な火が広がっていく。

 奇声を発しながら駆けだす秦野を慌てて追いかける。

 秦野のスーツにまとわりつく火に躊躇せず手を伸ばし、肩を強引に掴んだ。地面に転がる秦野。俺は脱いだ上着を鞭のように秦野の体に何度も叩きつける。そして、火は無事に消す事が出来た。

「おい秦野!」

 放心状態の秦野を見やる。幸い火はそんなに燃え広がらずに済んだ。これなら、やけども軽い程度だろう。

「せ、先輩……」

「立てるか?」

 大事に至らなくて良かった。秦野に手を差し伸べた時だった。

「先輩!」

 秦野の突然の大声、そして片側の視線に眩しい光。1台の車が俺らに突っ込もうとしていた。俺らは車道にいたのだ。

 秦野の伸ばした手を強引につかみ引っ張り上げ立たせるが、このままじゃ2人とも助からない。

 そう思った時にはもう体が勝手に動いていた。

 秦野の手を両手で掴みなおし、ハンマー投げよろしく、渾身の力で秦野をぶん投げた。

 歩道側に着弾する秦野。

 そして眩しい光が俺の全身を包んだ瞬間、体を貫く様な激痛が襲った。

 急に周りの景色がスローになる。そしてふわっと体が軽くなったような浮遊感に酔いしれながら、視線を秦野に向けた。

 何かこの世の物とは思えないものに出会ってしまったかのような、絶望と悲痛な面持ち。

 ばかやろう、お前にそんな面は似合わねえっての。

 視界の端から漆黒に包まれていく。全身には力が入らない。

 俺はもう……。

 ロウソクの火を吹き消すかのように俺の意識はそこで途切れてしまった。

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