第72話 自己焼却――この思いを燃やして
夜の帳のゼロセラに、第二席の声が冷たく響く。
「あやつは、すでにシカトゥールの粒子となって消え失せた。——故に、救うことなどできん。……が、あやつとお前さんが、再び会う方法なら、あるかもしれない」
「……教えて欲しい……」
躊躇う理由は、なかった。
「それは、お前さんもまた、あやつのように燃えることじゃ。……けれど、良いのか? それは、あやつの望みとは、全く真逆のことじゃと、そう、妾は、思うがの」
第二席のその瞳は、決してアイアスのことを、心から慮っているようなものではなかった。
——また、マリー、会える。
……けれど、それはひどく魅力的な言葉だった。
そして、今この場に、アイアスを止めてくれる人間は、一人もおらず。
……今のアイアスに、自らの願望の発露を止めてくれる理性など、残っていなかった。
「……マリーを追わない、と……」
その足取りは、夢遊病者のようにふらふらとしていて。
ただ一つの確かな感情のみで動いていた。
――マリーのいない世界などありえない。
ただ、その、一つだけの思いで。
だから、アイアスは答えた。
「……構わない」
「クックック……つくづく、面白いやつじゃ。……じゃが、妾も、そんなお主のことが嫌いではない。……いいだろう。妾が、そなたをシカトゥールの深層に送ってやろうじゃないか」
第二席が、魔術行使の準備を始める。
「……じゃが、その先は、お主次第じゃ」
彼女がいない人生が、自分にとって耐えられるものであるはずがないことになんて――
きっと気づいていたはずだったのに。
だから。
今度は……、今度こそは、その手を――
「離さない、から」
ギュッと握ったその拳を見て、第二席は、一つうなずく。
「いい言葉じゃ。……では、行くぞ」
そして、アイアスへと右手を伸ばした。
「……シカトゥールを、意識するんじゃぞ」
……もう、後戻りはできない。
マリーになんと言われようと。
――これが、アイアスという存在の在り方だから。
だから。
解放序詞を、唱える。
マリーにもらった、その名が刻まれた、自分だけの解放序詞を。
――アイ・アステル・アス・マジックキャスト
魔術師である、証を、刻む。
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ただ、己のシカトゥールだけを意識していた。
……それ以外、必要などなかった。
私の全てを、世界の救済に当てて。
……そして、それで、全てが終わる。
すでに、覚悟を決めたことだ。
今更、何を言うつもりもなかった。
……けれど、そんな無の境地を、引き裂くものがあった。
——マリー!!
声が、聞こえた……気がした。
……初めは、気のせいだと思った。
「マリー!!!!」
けれど、また大きく、はっきりと聞こえた声が、それが気のせいなどではないことを、証明していた。
だから、声のする方に向かって振り向いた。
……そして、そこにいたのは、もちろん、予想の通りの存在だった。
「……アイアス」
なんで、来てしまったの?
どうしてここにいるの?
なんで?
どうして?
いくつも、聞きたいことが頭の中を駆け巡って。
……けれど、そのどれも、今の彼にかけるべき言葉では、無いように思えた。
……だって、そうだろう?
——確かに、私は彼に、この世界で生きてと言ったけれど。
「ここにいる」と言うことが、その世界で生きた彼が、出した結論だと言うのなら。
……それなら、私に彼がここにいることを糾弾する権利なんて、何一つないのだから。
だから、これだけを告げた。
「君は、本当に、どこまでも来てくれるんだね……」
感謝の、気持ちを。
今更のように、マリーは、思う。
……いつしか理屈でしか動くことができなくなっていた私と違って、君は、どこまでも理性で動く。
それが、時に眩しくもあったけれど……やっぱり、それが、私は好きだったんだろう、と。
——だから、ここにきた君に告げる言葉は、感謝以外に、ありえない。
「ありがとう」
その言葉を聞いて。
アイアスの表情が、一瞬、意外そうなというか、面食らったというような、そんなものになって。
けれど、すぐに、《《満面の笑み》》に、包まれた。
「——うん」
あの、アイアスが笑っているということが、マリーには、どうしても意外で。
——だけど、堪らなく嬉しくて。
マリーは、自分の目尻に、涙が浮かんだ感覚を覚えて、思わず右手でそれを拭う。
……だって、今は、泣いているような、そんな場合じゃない。
けれど、シカトゥール体と化したこの空間では、実際に涙が流れているわけではなくて、少し、安心する。
「……きっと、もうすぐ崩壊する世界はつなぎとめられる。……その、自信はある。だから、それまで、待っててね。アイアス」
事務的な言葉を述べて、最後の作業に集中する。
……これが終われば、自分という存在は、完全に、溶けて消え失せる。
それはわかっていたけれど。
——けれど、その覚悟は、もう、済ませた。
そして、それは、アイアスにすら、どうすることもできないことなのだ。
……だから、全てを受け入れる。
この、終わりを——。
「————マリーは、行かせない」
しかし、そんなマリーを、抱きしめるものがあった。
……この場で、そんな存在など、一人しかいないけれど。
それでも、確認せざるをえなかった。
「アイ、アス……?」
一瞬、期待する。
——私が、死ななくてもいい方法が、何かあるのではないか?
——私が……。
ふるふる——。
けれど、その思考を、力無く顔を振って、否定する。
……そんなものは、存在しないのだ。
その上で、この決意さえが揺らいでしまえば、世界を救うと言う目的すら、達成できなくなる。
——だから、背後から胸元に回されたアイアスの手を、振りほどく。
「……邪魔だけは、しないで。——お願い」
ここまで来てくれたことは、本当に嬉しい。
……けれど、いくら彼であっても、これまでの決意全てを無駄にするわけには、いかない。
「——違うっ!」
しかし、アイアスは、マリーを離そうとはしなかった。
「マリーは、死ぬつもりだ!」
その叫びは、真実だったけれど、今の彼を前に、認めることは、したくなかった。
そんなマリーに、変わらずアイアスは叫ぶ。
……己のうちに秘めた、感情を。
「俺は絶対に、マリーを死なせない!!」
「でも——っ!!」
そんなことは、できない!!!
できないんだよ……——。
「だから、方法を、考えて来た」
……ねぇ、これ以上、私を困らせないで。
迷わせないで……。
そんなもの、あるはずがない!!
あるはずがないと、否定することは、簡単なのに。
簡単、だと言うのに——。
否定することが、できない……。
「ねぇ、マリー……。一緒に、帰って来て」
その手を取るのは、決して難しいことではないはずだった。
……けれど、今のマリーにとって、それは、簡単なことでも、なかった——。




