第71話 自己焼却——君を世界のために死なせたりしない
こちらを向いた、マリーの表情を見てわかった。
マリーが、自らの命を懸けて、世界を救うつもりなのだと。
その時浮かんだ思考は、ただただこれだけだった。
ダメだ。
それだけは、ダメだ。
アイアスの望みは、一つだけだった。
マリーに、死んでほしくない。
ただ、それだけ——。
「――アイアス」
名前を、呼ばれた。
自分の名前。
初めて、他人からもらったもの。
……今、自分がどんな表情を浮かべているか、わからなかった。
けれども、どれだけ思考を巡らしても、想いは変わらなかった。
……いや、むしろ、深まっていく一方だった。
彼女に、消えて欲しくないという、想いが。
彼女に会うまで、わからなかった。
自分が何なのか。
何のために、生きているのか。
そもそも、そんなことを考えたことすら、なかった。
初めて、生きていて楽しいと思った。
初めて、そう思えた。
そう、思えたのだ——。
「ねぇ。アイアスはこの世界で、生きて」
違う。
——違う!
マリーのいない世界なんて、何の価値もない!
俺は、マリーがいないと、ダメだ。
だめ、なんだ……。
「マギ・マリ・ディール・マジックキャスト」
自分が、ひどく自己中心的で身勝手なことを考えているって、わかった。
決して賢いわけではない自分にも、世界を救うためにはこの方法しかないことなんて、どうしようもなく理解できた。
それでも。
それでも——!
「マリー!」
彼女が、こちらを見て、にこりと、笑った気がした。
「バイバイ」
その声とともに、彼女の体が、ボウッ! と燃え上がる。
それは、シカトゥールの炎上。
物理現象の、燃焼とは全く概念が違う。けれど、その様はまさに「炎上」だった。
そして、彼女の身体を構成する髪から爪の先まで、全てがシカトゥールに変換されていく。
シカトゥールは、この世全てのものを「もの」足らしめる力。
砂つぶを、真の砂つぶ……つまり、石足らしめる力というのが、その語源。
そして、それは人間にだって当てはまる。
シカトゥールを完全になくした人間はただの粒子に還り、そこには何も残らない。
今、マリーの体の周囲では、あまりにも急な魔力への変換から漏れ出た、もはやただのシカトゥールが形を成せずに燃え上がっている。
それこそが、自己焼却。
——魔法。
超常現象にして、魔術ですら、再現ができないもの。
それは、自らの身に、余りすぎるほどに、余るもの。
それを、行使しようとするならば。
人は、自ら燃え上がるしかない。
自らのシカトゥールを、燃やして、燃やして、燃やし尽くして。
その姿を見て、誰かが、魔法を行使する者たちを、こう呼んだ。
自己焼却の魔法使い。
時に世界を窮地に陥らせ、そして、それよりもはるかに多く、世界を救ってきた存在——。
ボウッ!
また、大きくシカトゥールが気炎をあげる。
それは、魔法を行使することを決めたマリーへの餞別だったろうか。
……それとも、この世に残る人間に対する、置き土産なのだろうか。
アイアスは、改めて高く上がるシカトゥールの柱を見遣る。
アイアスには、魔法だとか、自己焼却だとか、そんな細かいことなど何もわからなかったけれど。
……けれど。
自己焼却が、魔法の行使が、始まったんだというのは、直感でわかった。
そして、それによって、マリーがいなくなることは……もっとよく、わかっていた。
「——ッ!」
一瞬激しくなったシカトゥールの圧に、思わず身をかばう。足が、一歩だけ後ろずさる。
そして、その本能をすら叱咤する。
……もうこれ以上、一歩も彼女から離れたくないのに。
「マリーー!!」
もう一度、叫ぶ。
けれど、炎はどんどんと勢いを増して。
――ああ、彼女という存在が、消えていく。
燃えていく彼女の存在を感じて、改めて、思った。
その存在が、いかに大きかったのかを。
……今まで、一度だって自らの望みを口にしたことはなかった。
だから。
いいや、「だから」だなんて言わない。
だけど!
…………だけど。
ねぇ、いいだろうか。
こう、思ってしまっても。
「たとえ世界が救われても、俺は――」
それが、彼女の願いであろうと……。
けれど、その言葉は、彼女に届くことはなくて。
ただ、中空に溶けて昇っていく。
「何か……」
思わず漏れた、言葉。
「……何か、ないのか?」
しかし、その言葉に答える者がいた。
「……彼女を救う方法、かの?」
それは、第二席。
「ない」
一瞬期待を抱いたアイアスに突きつけられたのは、しかし圧倒的な現実。
けれど、第二席の言葉は、それだけではなかった。
「けれど、一つだけ、ヌシの望みを叶える方法なら、ある」
それは、アイアスが欲した言葉。
喉から、手が出るほど。
「どうじゃ……? お主はこの悪魔の誘い、聞くかの?」
世の願いを叶える存在は、大抵悪意から成る。
アイアスは、ゴクリと唾を飲み込んだ。




