第70話 自己焼却——私は、世界のために死ぬ
「……負けじゃ」
声は、第二席だった。
「妾はてっきり、第三席が己の全てをかけて、魂の魔力を使い果たしてこの世界に穴を開ける。——そう、勘違いしておった。……世界の現状を、甘く見ていたわ」
クッと歯噛みする第二席。
……やはり、ダメなのか。
たとえ、第二席であっても、この状況を覆すのは。
「……しかし、手が、本当にないと、思っておるのか? 第三席よ。……そうであるならば、滑稽じゃのう」
挑発するような、第二席。
……いや?
まさか、ある、のだろうか?
この、現状を覆す術が。
「ない。……これは、断言できる」
一筋の希望をも完全に打ち砕くかのような返答。
その様子からは、自らの計画への完全なる信頼がのぞいていた。
「ほう……」
しかし、それを聞いた第二席の様子は、先ほどまでの少し追い詰められたような雰囲気とは異なっていた。
「妾には、あるぞ。……逆転の一手がのう」
「……なに?」
第三席の眉が、ピクリと動く。
次第に大きくなった地の底から響くような地割れの音。
耳に痛いほどのそれが、脳を芯から揺らす。
けれど、それは、そんな現状すら、一瞬気にならなくなるような言葉だった。
「のう、マリーという少女よ。……お主、世界を救っては、くれんか」
「え……?」
私が、世界を……?
第二席からかけられたのは、タチの悪い広告のような、そんな誘い文句。
「そうじゃよ。……妾が甘かったのは、謝ろう。しかし、この場を救えるのは、お主しかおらん」
「そんな……私は……」
思わず、否定の言葉を口にしようとしてしまう。
……世界の滅亡の淵で、自信満々になれるほど、マリーは、成熟した大人では、なかった。
「いいや! お主しかおらん! なぜなら、今必要なのは、お主の魔力! それは、妾にすら出来ないことじゃ!」
「っっ!!」
息を飲んだのは、第三席だったかもしれないし、マリーだったかもしれない。
けれど、それはあまり関係あることではなかった。
「人の言い分に人生を捨てさせられていいのかい? マリー君」
突然の言葉に懊悩するマリーにかけられた言葉は、味方のものですらなかった。
「私の概算では、たとえ、君がその命を賭したとしても、この世界を救うことは、できない」
それは、第三席の声。
その声は以外にも平静に満ちていた。
……それが、虚勢ゆえか、本当の自信ゆえかは、わからなかったけれど。
「だまされるでないぞ! マリー!」
「……いいのかい? 君、死ぬんだよ。成功するかどうかすらわからない、そんなことのために、だ。……それに、君はまだ、何も人生で得ていない。違うかい?」
何が正解なのか?
今、自分は何をするべきなのか?
誰も、その答えをくれることはない。
もう、誰にもどうすることもできないのだ。
アイアスにだって、出来ることは一切なく。
第二席は策を提示することしかできず。
第三席ですら、待つしかない。
マリーにしか、出来ないのだ。
……本当に?
どうしても、マリーは、わからなかった。
自分になら世界を救えるのかも。
もし、救えるとして、どうしたらいいのかも。
他の一切合切も。
……何も、わからない。
仮に。
この場にシュヴェスタが健在だったなら、止めてくれたのかもしれない。
仮に。
この場に父がいたのなら、代わりに世界を救ってくれたのかもしれない。
仮に——。
……けれど、今、この場には、マリーしか、いない。
その仮定は、仮定たり得ない。
「私は――」
私は、本当に、まだ何も成していないのだろうか。
……私は。
その時、後ろを振り返る。
アイアスと、視線が合った。
いつものごとくの、直立不動。
……けれど、そんないつも通りに、少し安堵する。
……ねぇ、私は、何か君にあげられたかな?
――マリー
そのとき、誰かの呼ぶ声が聞こえた気がした。
「誰?」
聞いたことのあるような、そんな声だった……気がした。
誰だろうと思考を巡らせる。
しかし、ハッとした次の瞬間。
マリーは、無色透明の、何もない空間に浮いていた。
「っ!?」
手足をかいても、なにも掴むことはできない。
ここは、一体……。
――マリー
まただ。
今度はさっきよりも、はっきりと聞こえた。
その音源を探して、顔をキョロキョロと巡らせる。
「マリー」
後ろ?
ハッとして、背後を振り返る。
けれど、そこには、何もなくて。
「マリー」
でも、声ははっきりと聞こえた。
「もしかして……お父さん……?」
返事は、なかった。
でも、まるでそこに父がいて、にっこりと微笑んだような、そんな気がした。
「今まで、苦労を掛けたね。ごめん」
「……ホントに、大変だったんだから」
もし父に会えたら何を言おう。
そんなこと、何度も考えて来た。
けれど、結局実際そんな局面では何も浮かんでこなくて、口を突いて出たのはただの愚痴だった。
「俺は、結局、世界崩壊の実行を止めることはできなかった。だから、崩壊する世界を、自分という存在を核にして――犠牲にして、救うしか、なかった。……そして、結果として、マリーを、一人にすることになってしまった」
それは、このゼロ・セラに残されたマリーの父の魔力に刻み込まれた情念だったのかもしれない。
だから、これは誰かに聞かれるためのものですらなかったかもしれない。
けれど、それは確かにマリーの父の言葉だった。
「……親としては、落第だな。本当に、申し訳ない」
「そんなこと、ないよ……お父さんは、私の、誇りだよ……」
マリーは、自らの父の真実を追っていた。
それは、父の潔白を信じていたから。
だから、本当に誇らしかった。
自分の父が、世界を本当に救っていたのだということが。
「父さん、ちょっと世界を救ってくるよ」
あの言葉が、嘘偽りない真実だったということが。
「マリー」
毅然としたその呼びかけに、ふと顔を上げる。気付けば頬を伝っていた涙が、その動きに合わせて飛沫になる。
「もし私のいない世界で、また、何かあった時には――きっと、世界を救ってくれ、《《とは言わない》》」
確かに、ここに実体を持った父は、いない。
「ただ一つ。お前に伝えたいのは一つだけだ」
けれど、マリーは感じたのだ。
父の、ぬくもりを。
「幸せに、生きてくれ」
その、温かさを。
「お父さん…………」
次第に希薄になっていく空間の感覚から、まるでかき集めるように両手を大きく抱きしめる。
流れる涙は、気にならなかった。
私は……。
私が、魔術師として追い求めてきたもの。
そして、私の、幸せ————。
それは……。
それは……っっ!!
その瞬間、確かに脳裏によぎった。
アイアスの、姿が。
このたった数日間で、大きく成長した彼……。
彼はまだ、知らないのだ。
この世界が、光り輝いていて、眩しくて希望に満ちたものだと。
この世界で生きるのは、こんなにも楽しいことだと。
それを知らないまま終わるのは……あまりにも、無情だ。
だから。
私しか、世界を救えないのなら。
私しか、思いを託せないのなら。
私は――――っっ!!
ハッと気づくと、またマリーはゼロセラの地面に足を付けて立っていた。
……いや、きっと、意識以外はずっとここにあったのだろう。
俯いていた顔を、上げる。
その表情は、先ほどまでの、憂いに満ちた表情ではなかった。
「待て、待ちなさい。何を早まっている?」
その表情を見て、第三席が、やにわに焦り始める。
「無駄じゃよ。……もう、決められるのはこやつしかおらん。世界の命運をな」
彼は感じたのだろうか。
今のマリーになら、もしかしたら世界を救うことを成し遂げられるのではないか。
そういう、疑念を。
「この場では、もはや魔術は使えん。……もし仮に、じゃ。お主もまた自らを賭してこの少女を止めようと言うのなら。その時は、妾もこの命を捨てねばならんかもしれんが……それで良いなら、安いものじゃよ」
「……クッ!」
けれど、それはもう遅い。
講説を垂れていたあの瞬間まで、確かに第三席の元にあった世界の命運。
それは、今彼の手からこぼれ落ちていた。
全てを握るのは、一人の少女。
マリー・L・フレッツェ。
「さぁ、マリー・L・フレッツェよ」
世界の代わりに、第二席が問うた。
「そなたの選択は、なんじゃ」
——ふぅーーーーー。
大きく、深呼吸する。
死、と言うものが、形を成して襲ってくる。
けれど、それは決して恐れるものではないから。
改めて、眼前の光景を見据える。
崩れ始めたゼロセラを。
——そして、目の前でこちらを見つめる、彼を。
「アイアス」
名前を呼ぶ。
その声を聞いた瞬間、彼が、初めて表情を崩した。
嗚咽とも、悲鳴とも、懇願とも、哀哭ともつかない。
そんなあまりにも複雑な表情。
……ダメだよ。
そんな顔、しちゃ。
私は、君に託したいんだから。
これが、わがままなエゴでも。
受け取ってくれないと、困るよ。
身を燃やすほどの魔力を使って、使い尽くして、初めて魔法に至る道が生まれる。
魔法は、奇跡。
常識では、起こり得ないもの。
その代償は、計り知れない。
――でも、いいよ。これで、世界が救われるなら。
「ねぇ。アイアスはこの世界で、生きて」
それが、私の願いだから。
自己焼却の、魔法使い。
自らを燃やして。
魔法を行使して。
————私が、世界を救う。
今回の第70話と、次の第71話で冒頭とリンクします。
ここまで書けてよかったです。
是非最後まで見届けていただけると幸いです。




