屍人行進――心の灯火に手をかざして
「ブラウ……」
シータには、目の前の光景がいまだに信じられなかった。
自らの友人の腕をつかみ持ち上げる執事は、本当に今まで自分と一緒に過ごしてきた人間か……?
「不思議そうな眼をしておりますね、お嬢様」
「それは……」
当然だろう。
そんな視線を投げかける。
「しかし、お嬢様は理解してここに来られたはずだ……」
「そんなことは……っ!」
「そんなことはない、と?」
その圧に、思わず押し黙ってしまう。
けれど、このまま黙っているままの自分でいることは、もう、止める!
そう決めたから。
動け!
動け!
そう、自らの口に必死に命令する。
ともすれば、吹けば飛んでしまう。そんな小さな心の灯火を、決して消さないように。
もう一度そのロウソクに、手のひらをかざして。
意志の力を、振り絞って。
動け!
「そ……」
動いてくれ!
「そ、そんなことは、ない……っ!」
「……そうですか、お嬢様」
シータの宣言を耳にして、何を思ったのか。
フッと目線を下に逸らし、表情を隠した老執事は、しかし次の瞬間、その瞳に鋭い眼光を宿していた。
「では、あなたにも眠ってもらいましょう」
「くっ……」
そのオーラは、圧倒的。
シータほどの魔術師となれば、溢れ出る魔力量から、彼我の差を推し量ることなど、容易い。
けれど、それも当然と言うものだろう。
魔術五大家の執事長を務める人物が、生半可な魔術師であるはずなど、砂つぶ一つの可能性も、ない。
「……シータ・クロスト・マジックキャスト」
それでも唱える。
唱え飽きた解放序詞を。
それは、平常心の失われた心に一粒の落ち着きをもたらすには、もってこいだった。
震える四肢を押さえつけて、右手を前に構える。
「……初めに陰を、続けて陽を——」
彼女の得意とする、火属性雷系魔術。
その中でも、高等魔術の初歩として習う、それ。
最も扱い慣れ、しかし、決してその威力は馬鹿にはできない。
だから、彼女がそれをとっさに唱えたのは、本当に本能的なものだった。
持って生まれた魔術の才、と言ってもいいかもしれない。
「——そして最後に始原の光を」
このまま、友人を危険に晒し、みすみす引き下がることなんて、もうしないっ!
たとえ、相手が自分をここまで育ててくれた恩人だとしても。
たとえ、それが絶望的な戦いで、勝ち目がなかったとしても。
——それでも、譲れないものが、ある……っ!
お嬢様だからと余裕ぶったのが、運のツキだ。
——震えて眠れ。
「遠雷」
カッとあたりに雷光が迸り、次いでゴォッっと地鳴りのような音が響いた。
そして、最後に何かが焼けるような匂い。
まともに入った。
術者である彼女にも、そう確信できた。
遠雷は、電位を操作することで、遠隔地に雷を落とす、原始的にして強力な魔術。
いくら人が文明を発達させた現代だと言っても。
雷が直撃しては、無事では済まない。
——けれど、もちろんそれは、直撃していればの話だ。
「……随分、成長されましたね。お嬢様」
「……っ!?」
それは、変わらぬ落ち着き払った声だった。
「このブラウ、こうしてお嬢様に手を上げることはしないよう、これまで過ごしてきました」
パッパッと、右手で服についた砂埃を払う様は、まるで何事もなかったかのよう。
「……けれど、それも、今日までです」
シータは、すぐに、何をしたか悟った。
「ここからは、一人の大人……いいえ。一人の魔術師として、相対しましょう」
雷系魔術を打ち消す、地魔術。
ブラウが払った砂埃は、その残滓に違いない。
「さぁ、行きますよ」
惚けている場合ではない。
次が、来る——っ!
「初めに陰を、続けて陽を、そして連なれ陰と陽」
シネメス家は、代々雷系魔術を生業としてきた家系だ。
分家出身で、遠縁に当たるというブラウもまた、その大枠からは外れず、雷系の魔術を最も得意としていた。
「そして最後に全てを照らせ」
一つ、大切な事実として、魔術師には適不適がある、という事実がある。
自らの魔力を変換するのに、適した魔術が存在するのだ。
自らに適した魔術ほど、高度な魔術を扱うことが可能になる。
そして、もう一つ、忘れてはならない事実が一つ。
魔術の研鑽というものは、一朝一夕にして成るものではない、ということ。
つまり、何が言いたいかというと——。
この年まで磨いてきた、自らの最も得意とする魔術の威力は、計り知れないということだ。
「雷光」
あまりのその術式の美しさに、思わず見とれかけたシータであったが、頭をブンブンと振って雑念を追い払う。
雷系魔術には、反属性である地属性の魔術を用いて防ぐのが、常套手段。
けれど、それをうまく防げるかというのは、術者間の技量に寄る。
——果たして、自分にあれを防ぐことができるのか……?
わからない。
わからないけれど、……やるしか、ない。
「其はすべて一のために、一はすべて其のために、相互不可侵!」
シータの扱うことのできる地魔術の中で、この場に最も適したもの。
「塵盾」
空中の粉塵を集めて盾と為す魔術、塵盾。
これが、彼女の全身全霊!
「……年の功という言葉をご存知ですか、お嬢様」
バッと轟音が辺りに伝播し、空気が震える。
「クッ……」
あまりの衝撃に、シータは一瞬膝をつきかける。
「負けない……っ!」
何とか持ちこたえようとした彼女だったが、しかし現実は無情極まりないものだった。
「チェックメイトです」
ボコォンと鈍い音と共に、彼女の成した魔術は、ただの土塊に還り、相殺しきれなかった魔術が、溢れる。
(……ごめんね、マリー)
彼女が敗北を悟り、目を閉じた、その瞬間だった。
声が、聞こえたのは。
「よく持ちこたえてくれた」
その声の主こそ、ある者には疾風と呼ばれ、そして、マリーとシータの師にして、奥の十二席第八席に座する魔術師。
彼こそが――
「シュヴェスタさん……っ!」
シュヴェスタ・ラインベリー、その人だった。




