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今回は長くなったので分けて2話投稿です。

 

 森の中から現れたアレクサンダーは俺達──と言うか主に俺だろう──が気づかなかったことがよほど寂しかったらしい。


「お前が気配を押し殺してるのが悪いんだろ」


「足音すらしなかったわ...」


 アレクサンダーは身のこなしについては軽業師も裸足で逃げるほどしなやかで、普段から足音がしない。村の中でも、武術を学んだ連中は、俺も含め、みんな足音がしないと言われるが、アレクサンダー以外は、無意識のうちに足音まで完璧に消すことはできない。

 シールズ家の人々はよく動物に例えられる。並外れて体格の良い親父さんは熊とか、細身で木登りが得意だが猿というほど粗野な雰囲気でない妹は豹、といったところだ。アレクサンダーは山猫と言われることが多い。


「そこまで気配殺してないからな?お前たちがイチャイチャしてるからちょっと空気読んだだけだから。てか、いつまでそうしてるの」


 イチャイチャ?ハッと我に返ってみると俺はまだ逃げ出そうとヴィクトリアを抱き寄せたままだった。


「わっ、わりぃ」


「そこまで慌てなくても、私を守ろうとしてくれたことは分かってるから大丈夫よ?」


 案外さらりと言うヴィクトリアに俺だけ意識してるみたいで余計に恥ずかしい。なんでそんな平然としてるんだよ。


「つーか、ザン!お前なんでいるんだよ」


「いちゃ悪い?」


 悪かない。


「レイの出発が急すぎるんだよ。お陰で黙って行かせたオレは長老達に着いてってフォローしろって追い出されたんだからな?」


「どこが黙って行かせたんだ、おい。思いっきり説教してたじゃねえか」


「長老達は家の中でのやり取りなんて知らないだろ」


 しれっと抜かす澄まし顔がムカつく。


「ああ、それと、お説教の答えはしばらくは保留にするよ。さっきの会話も聞いてたし」


「お前なあ...」


「気付いてるもんだと思ってたんだよ。直前まで走ってきたから結構疲れてたし、オレにしてみれば気配も殺してなかったし」


 睨んでみても柳に風と流される。俺はもう一度溜め息をこぼして、とりあえずアレクサンダーにこっちへ来いと手招いてやる。

 改めて真剣な話をする気にもならず、ひとまず、夕食でも、ということになった。荷の中から例の穀類を挽いた物を出して煮る。粥状になったそれに、ニジマスの燻製と、辺りで摘んだ野草を適当な大きさに切って入れた。思ったより嵩も増えたそれを器によそってヴィクトリアとアレクサンダーに渡す。


「これ美味しい。川魚の燻製なんて初めて食べたわ」


「けっこういけるだろ?」


「はい。この料理にはびっくりしたけど、香りも良いし、美味しいです!」


 この燻製は村のお母さんたちが先祖代々試行錯誤を繰り返した末に完成させたのだから当然と言えば当然だ。とは言え、外から来たヴィクトリアがこれだけ喜ぶとは思わなかった。

 ヴィクトリアを真ん中に3人並んで火の前に座るとようやく少し落ち着いた。そうすると1つ気になってくる。


「で?なんでそんなボロッボロなんだよ」


「あー、これ?斜面を全力疾走してきたから」


 その言葉に俺は溜め息を吐き、ヴィクトリアはちょっと引いている。

 俺の村からは道だけを見ればしばらく緩やかな下り坂が、所々階段を交え、数回折り返しながら続いている。村がそこそこの山の中腹にあるのと、向こうの町に行く途中に流れている河が谷を造っているため斜面が続き、真っ直ぐに道を通すととんでもない急勾配になるからだ。俺達はもちろん街道を歩いてきたので結構な距離を歩いたわりに村からの直線距離ではそこまで離れていない。つまり、街道を通らず急勾配の斜面を駆け下りれば、日が中天から傾きだした頃に村を出た俺達に追い付くのも時間はさしてかからないだろう。

 とはいえ、実際にそんなことをやってのけるのはアレクサンダー(このバカ)だけだろう。こいつはもう山猫とかそういう格好良いのじゃなくて、山羊とかに例えたほうが良いんじゃないだろうか。断崖絶壁でもボケッとした顔して下りてくし。


「長老達がお前ならできる!ちょちょっと行ってこい!て言って見送る体勢なもんだからさあ」


「で、斜面を駆け下りたと」


「ちなみにスタートダッシュは母さんが思いっきり背中を押してくれたからね、始めの5間か6間位は吹っ飛んだよ」


「それ、疾走じゃなくて転げ落ちたんじゃねえの」


「そうとも言う。でも転けたりはしてないから、転げ落ちちたっていうよりは落っこちた、のほうが近いかな」


 さすがシールズ家の母。猛獣使いの異名は伊達じゃない。


「坂を通ったのは、子供の頃に近道したくて街道を外れたらひっどい坂で疲れ果てて逆に遅くなるって分かって以来だったからなあ。最近はちゃんと街道通ってたから迷子になるとこだったよ」


「合流できて良かったですね」


 本人はいつも通りのほほんと笑っているがヴィクトリアの言うとおりだ。


「本当に。焚き火の明かりが見えたときはほっとしたなあ。荷物も無くさずにすんだし、この強運には感謝だね。まあ、茨の茂みに突っ込んだ後、剥き出しの岩肌が見えたときはさすがに死ぬかと思ったけど」


「ああ、断層跡か」


 今いる場所の数本上の道からは断層跡が見える。地質学的には貴重な資料になるらしくたまに学者が観察に来る。若干の角度はついているものの、見た目はただの壁だ。他の場所はまだ、滑り降りる事が出来なくもないが、あそこは本当に壁だ。

 本当によく無事だったな。


「でも、本当に擦り傷と切り傷だらけね」


 揺らめく焚き火の灯りだとあまり目立たないがよく見ればアレクサンダーは全身小さな傷だらけだった。

 実の母に物理的に背中を押され(突き落とされ)()アレクサンダーを哀れむべきか、村からここまで真っ直ぐ来たとして約半里も落ちてきて目立った傷がないことに感心すべきか微妙なところだ。本人が言うように呆れるほどの強運だ。

 しげしげと見つめていたヴィクトリアが(おもむろ)にアレクサンダーに掌を向けた。


「ちょっとの間、動かないでくださいね。ーー全ての子らに安らぎを」


 ヴィクトリアが仄かな光に包まれ、一瞬の後、その光がアレクサンダーへと吸い寄せられた。それはふわりと2人を取り巻いたあと、傷に集まり染み込むようにして消えた。回復の巫術だ。


「どうかしら?」


 心配そうに首を傾けるヴィクトリアにアレクサンダーは感嘆の笑みを見せた。


「治ってる!...おぉー、すごい、へぇ、あの一瞬でここまできれいに治るなんてヴィクトリアさんってかなり優秀なんだな...勉強にしろ人付き合いにしろ大変だったろ、いろいろと」


「そんなことないわ。あなたの生きる力がとても強い輝きを持っているんです」


 ヴィクトリアは含羞みながら言った。


「そういや、巫術での回復は本人の生命力を高めるんだったか?」


「ええ、そうよ。巫術の基本は精霊に助けてもらうこと、そして、元からそこに在るものに、ほんの少しきっかけを作ること。回復も防御も補助も、巫術はみんな術者自身の力量よりも元の存在がどんな性質でどれだけの可能性を持っているかが大切だわ。巫術師はその性質と可能性を見極めて、その存在が1番力を発揮出来るようにお手伝いするだけ」


 彼女は優しく慈愛の籠ったーーそして、ホッとしたような微笑みを浮かべた。


「2人とも巫術を奇跡の力だとは言わないのね。...良かった」


 巫術と魔術。似て非なるこの2つの魔法には決定的に異なる点がある。

 魔術は誰でも使える。上手い下手、向き不向きはあれど使おうと思えば誰でも。だが、巫術は才能がなければ決して使えない。己自身の中にある魔力によって外に働きかけ、それを具象化する魔術と違って、巫術は魔力を対価に、言葉を媒介にして精霊と同調し依代となることで人間の魔術では干渉できない事象にまで影響を及ぼす術だ。そもそも自分という魂が存在している身体に精霊という別の魂を招き入れるのは命の危険も伴う。巫術の才能がない者が真似してみてもまず出来ないし、万が一出来たとしても身体が耐えきれずに壊れてしまうそうだ。


 そして、巫術を使いこなすためには、対象の性質を見極め、その場に居合わせた精霊の中で相性の良い精霊を探し、協力してもらわねばならない。巫術はあくまでも主体は精霊で人間である巫術師は術に見合った魔力を渡すことで精霊にお願いするものだ。それを成功させるためには多くの知識を持ち、何度も練習しなければならない。精霊との同調は、才能があっても一朝一夕に出来るものではないらしい。というのも、精霊にも様々な個性があり、同調のやりかたも異なるからだ。回復術を扱える精霊となると特に難しく、よほど腕の良い巫術師でも4、5回に1回成功するかどうかだという。中には、相性の良い特定の精霊と契約して、常に力を借りられるようにする巫術士もいると言う。ただし、技量と、精霊の気分と言う運が非常に強くなければならないらしい。


 扱える者が少なく、魔術よりも大きな効果を発揮することが多いため、巫術を神々の使う奇跡だと思い込んでいる人も決して少なくない。それは巫術師本人であっても、十分に巫術について学べる環境がなければそういう思い込みをしている人もいる。本人がどういう人物なのかを全く見ずに、巫術が使えるからすごい人なのだと崇め奉る連中もいる。そういう扱いに辟易して性格がねじくれる奴や、逆に天狗になるやつも多いと聞く。そんな中で、なんでもないように小さな傷を癒したヴィクトリアはアレクサンダーの言ったように本当に飛び抜けて優秀でそれ以上に相当な努力家なのだろう。


 ーー転変の巫術師なのだから、これも運命というもののせいなのかもしれないが。


 浮かんだ考えに頭を振る。


「さて、もう遅いし、そろそろ寝ようか」


 アレクサンダーはそう言うと俺とヴィクトリアが何をするまでもなく簡易天幕を組み上げて、どうぞ、と言った。


「あ、レイはちょっと手伝ってくれる?焚き火、もう少し小さくしたいから」


「それなら、私も」


「さっき回復してくれたんだし、疲れたでしょ?先に休んでて」


「でも」


「この山って変わった霊場を持ってて、村の近くとか山頂付近なら精霊もちょこちょこいるけど、それ以外の場所にはほとんどいないから巫術を使うのに他の場所の10倍くらいの力を使う、ってうちの村の巫術師のお嬢さんが言ってたよ」


「ご存知だったのですね」


 ヴィクトリアはちょっと苦笑した。


「明日からもたくさん歩くし、道中危険がないわけじゃない。しっかり休んでおいた方が良いよ」


「じゃあ、お言葉に甘えて」


「うん、おやすみ」


「2人ともおやすみなさい」


 天幕に入ったのを見届けてアレクサンダーは微笑んだ。


「本当に、良い子だよな、ヴィクトリアさん」


「ああ...そうだな」


 それから真剣な鋭い面持ちで俺を見据えた。


「あの子の実力は、あの子の努力の成果だ。それは分かるよな」


「...お前が寝ようって言い出したのはやっぱそれか」


「まあね。半分は本当にそろそろ寝たほうが良い、ってのもあったけど。いつもの調子でどうせ運命に縛られた転変の巫術師だからだろ、とか言い出さないかハラハラしたんだけど、杞憂だったみたいだね」


 目元を和らげてポンと頭を撫でられた。


「おい、だからガキ扱いすんなって」


「いやー、なんか弟っていうより息子みたいな気分になってきてさー」


「ふざけんな。3つしか変わらないし、むしろフィルのほうが俺より年下だろ」


 フィリップス(フィル)はアレクサンダーの実弟だ。


「それはそれ、これはこれ、かな。ほら、さっさと寝る。お前だって慣れないことして疲れてるだろ。隣町の向こうまでは魔獣は滅多に出ないけど、普通の野獣でも大鷲とか人食い狼とか色々いるんだから。オレだけで2人も守りながら戦う余裕はさすがにないよ」


 そもそも、守ってもらうつもりなんか、端からないぞ。


「しばらくしたら見張り代わってね。おやすみ」


「おい」


「騒がしくしない。ヴィクトリアさんを起こしちゃったら悪いだろ」


 半強制的に天幕に押し込まれて小さく溜め息をつく。ヴィクトリアはもう寝息をたてていた。

 ...同じ天幕で寝るのってどうなんだ。俺とアレクサンダーは良いとしてヴィクトリアは良いのか。既に彼女が寝ているところを起こして訊くのも違う気がする。眠気が緩やかに襲ってきて頭もあまりまともに働かない。今日のところはこのまま寝ることにした。

 今日はずいぶんと疲れた。突然やって来たヴィクトリアは強引なのかと思ったがむしろ温和しくて肩透かしを食らったような気分だし、神託のせいで村のみんなは酷い目に遭うし...みんな、大丈夫だろうか。いや、きっと大丈夫なはずだ。あの神託は俺に言うことを聞かせる手段のはず。なら、大丈夫だ。こっちが要望を聞く前に人質を皆殺しにするほど馬鹿なことはない。でも、きっと苦しんでいるだろうな。考え出すと恐ろしくて仕方がなかった。

 とにかく眠るために自分の呼吸を数えて、他の何も考えないようにした。



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