2.普通の趣味を求めた結果の着地点
普通の女の趣味ってなんだろう。昔はずっとそう思っておりました。
家族から「もっと女の子らしい趣味を持てば」と言われるけれど、料理や裁縫、編み物はたしなんでおります。男の人がしていても素敵だけれど、世間一般的には女性の方が多いジャンルであるかと。すんごくへたくそですが。
私の趣味は「読書、サッカー観戦、モータースポーツ観戦、相撲観戦、ハロプロアイドル好き、特撮好き」です。お金を出して楽しむのはこの辺り。
小学生~中学生の頃はひたすら読書をしていました。ミステリー小説がメイン。「本ばかり読んでいるとバカになる」とまで言われてしまう程。
賢くなるために本を読めと言われている子供が多い中、ここまで言われるってよっぽどですよね。事実そうです。学校の授業中にもこっそり読んで、休み時間は友達と話しながら読書。登下校で歩き読書。どうかしてます。何事にも限度があります。
そんな「なんでもかんでも没頭する私」に対して、特に口出しせずいてくれた中学からの友達がおります。
二十代も後半になっても、私は上記にあげた趣味の話ばかりしていました。
「女の子らしい趣味を持て、と言われるのは心外だ。私はこの生き方に満足している」という傲慢な考えがあったのです。
ランチを楽しみながら熱い話ばかりしている時、この友達が怒りだしました。
「知らない趣味の話を聞かされるこちらの身にもなれ」
反発心とか、怒りとか、まったく湧いてこず。ただただ申し訳なくなりました。もう言わないからと平謝り。
今まで趣味に口出しせず、病的なまでに読書をする私の姿も知っている。そんな彼女の怒りを買うという事がよっぽど恐ろしかったのです。
それと同時に「私の趣味がいけないのではなく、相手の事を考えない事が悪かったのだ」と気づきました。
自分で楽しめばいいのに、知識をひけらかしたり、場の空気を考えずに話したり。そういう所が人間として浅慮であったのです。趣味のせいにしていた自分を恥じました。普通の女と違う趣味の持ち主である所がいい! とすら。何をしていても人に迷惑をかけないからいいじゃないか、というのは別問題なのです。
小説を書いている以上「変わってる」と言われる事がちょっとした喜びになりつつあった所で、それは違うと教えられた気がしました。
小説を書く前に、人間としてちゃんと生きなくては。大袈裟な物言いですが、数少ない友達を怒らせるのは怖いのです。私に友達が少ない理由もよくおわかりになったかと思います。
万人に好かれる必要もないけれど、人を気遣う事は忘れてはいけなかった。特に大切な友達なら。
私の中には「趣味を認めてもらいたいから頑張って知識を蓄える。それによって人から褒められたい。知識を披露したい」といった小賢しい考えもありました。これも自分本意な考えです。もっとも褒めてくれる人などおりません。見えない何かと戦っていたのでしょう。さぞ滑稽な姿だったかと。
ひねくれて生きていた事で失った事がとても多いです。過去に戻って自分をぶん殴れないので、これから先の人生で同じ轍を踏まないようにせねば。
外見を磨く、といった事への抵抗は高校時代に矯正しました。第一回の時に書いた「普通を目指した高校時代」とは、内面については加味しておりません。二十代後半までこうでしたから……。
趣味の話を遠慮なくしたければ、同じ趣味の人と語り合えばいい。
まわりにいないのだったらネットの世界で探しましょう、と切り替える事が出来、今とても楽しいです。
結局今回も「インターネット最高」に落ち着くのです。
エッセイタイトルもそうすればよかったかしら。
どんな趣味でも構わないけれど、理解してほしいばかりに人に迷惑だったり、不快な思いだったりをさせない。これを忘れず生きていこうと思います。たまには熱くなっても許してほしいところですが。
なおこの友達とは
「今月遊べる?」
「今月は(趣味が)忙しくて。来月か再来月ならあいてる」
「ごめん、そこは私が(趣味で)忙しい」
「……じゃあ、また今度ね」(以下数日かけてLineで近況報告)
なんて、自由な付き合いを続けています。友達ってありがたいですね。