第三十一話
「思ったより時間を取られちゃったかなぁ」
俺やシーナが神妙に祈りを捧げている横で、軽い黙祷を終えたルナさんが、腰から『採掘者』時計を取り出して見ていた。
砂の量は丁度半分を切ったといったところ。
つまり俺たちが神の城壁内に入って三十六時間が経過したということだ。
「そろそろ引き返すことも考えないといけないね。滞在限界時間内に神の城壁外へ出られなくなっちゃう」
神の城壁内で人が活動できる限界時間は、個人差もあるが大体七十二時間。
「回収した書物を運び出す時間も必要だよな。キャンプの馬車まで運ばないとならないし」
「でもここまで来たのだから、私はこの広い空間がいったい何なのか調べてみたい。今まで見つけてきた書物類も十分価値のある貴重な物だと思うけど、ここまで来て引き返すのは、ちょっともったいない気もする」
シーナの言うこともわかる。
迷宮が生まれる前、太古の昔の物価がどんなものだったかは知らないが、降り積もった土砂の重量を支えきれる建材は、安いものだったとは思えない。
それに俺たちを襲ってきたスケルトンの集団のこともある。
天変地異で、居住区の塔からここへ逃げてきたのか、それとも避難する間もなくここで死んでしまったのか知らないが、どちらにしてもここには人が集う理由があった。
なら、この場所こそが遺跡となった施設の核心部である可能性は高いかもしれない。
「この場所から拠点、それからファタリアの亀裂まで余裕を持って帰れる時間を計算に入れて、どのくらいの時間調べることができるかな?」
「一時間……多分そのくらいが限界じゃないか?」
「そうなの? まだ、こんなに砂が残ってるんだよ?」
俺とシーナが相談していると、アルテナがまだ半分近くも砂が残っている自分の『採掘者』時計を振ってみせた。
「採掘の基本に、探索は三十六時間まで。残りの三十六時間は撤退に充てるべしってのがあるんだ」
俺はそう言うと、アルテナへスケルトンの残骸を指差してみせた。
帰り道でだってモンスターに出くわすかも知れない。
それに運良くモンスターに出会わなくても、天候が急変して前に進めなくなることだってある。
そのため、探索は三十六時間までで切り上げる。
安全マージンは出来る限りの余裕を持っておいたほうが良い。命がかかっているのだから。
「それに、外が暗くなってから行動するのはできるだけ避けたい。モンスターも危険だけど、それ以上に遭難が怖い。それに谷から上に登るのも大変だ。ロープがあっても結構時間を取られると思ったほうがいいと思う」
「ファタリアまで戻らなくても、キャンプまで戻ればボクが持ってた結界が張られてあるから、そこまで戻れればとりあえず滞在限界時間はクリアできるよ。でも、帰りに何があるかわからないし、余裕を持っていたほうがいいね」
そっか。そういえばルナさんの結界があったか。
それならキャンプにまで帰り着ければいいわけだ。安全マージンを考えて、残り探索時間は一時間程度と 言ったけど、もう少し時間の余裕が作れそうだ。
「じゃあ、一時間くらい下の広間を調べてから帰ることにしようか。それぐらいなら滞在限界時間を超えることもないだろ」
俺のその言葉に三人は頷いて賛同を示す。
「ねえねえ、その……たいざいなんとかって時間を超えちゃうと、どうなっちゃうの?」
「瘴気に冒されて、もれなく俺たちもモンスターの仲間入り」
剣が本性であるアルテナはともかく、俺やシーナ、ルナさんは確実に瘴気に冒されてしまうだろう。
その結果、亜人となってしまうのか、それとも倒れて死んでしまってゾンビとなってしまうのかはわからない。
アルテナはどうなんだろう?
もしかしたら剣とか斧といった武器タイプのモンスターも存在しているかもしれないけど、少なくとも俺は聞いたことがない。
「武器のモンスターもいるよ。前に出会ったことある」
いるんだ、武器のモンスター。
さすがは探索時間一万時間超えのルナさんだった。
「武器や防具はもちろん、道具にも。持ち主が道具へもの凄く愛情を注いでいたとかいった理由で、極稀にその道具へ神格、精霊が宿ることがあるんだよ」
「ああ、そういえば……」
「シーナも見たことがあるのか?」
「いや、武器のモンスターは私も見たことが無い。ただ、精霊が宿っていてもおかしくない剣なら見たことがある」
「大昔の聖剣や神器には劣るけど、そこらにあるひと山幾らだった剣が、高位の魔剣にも匹敵する性能を宿すこともあるんだよ」
へえ、そんな武器もあるのか。知らなかった。
武器屋を営むものとしては知っておくべき知識だったな。
聖剣の事もそうだけど、うちが扱うような武器以外にもそういった神格、精霊が宿るような武器についても情報を集めておくべきかも知れない。
小さな町の片隅にある零細中古武器屋にだって、そういった武器が流れてくるかもしれないし。実際、御大層な伝説を持つらしい聖剣を、現在取り扱っているわけだし。
「とにかく、そういった武器や道具を持っていた人が迷宮で亡くなって、遺された武器や道具が瘴気に冒されてモンスター化することだってあるんだ」
「それは……何だかかわいそうな気がするな」
かわいそう?
俺が怪訝に思ってシーナを見ると、シーナは自分の刀の鞘を手で撫でていた。
「神格、精霊が宿るまで大切にされていたんだ。持ち主と随分深い絆があったのだろう? それが持ち主の死によって迷宮に残されて、歪められてモンスターになるなんて……」
刀を丁寧に扱うシーナらしい意見だ。
「そうかな……。でもボクは、最愛の主人に死なれて狂ってしまうのも一つの救いじゃないかなって思うけど」
「救い……?」
「道具はどうしたって持ち主よりも長く残る可能性が高いからね。それが神格、精霊が宿るほどの器を持つに至った物ならなおさらだよ。ボクがもしも精霊を宿す武器だったとしたら、持ち主と死に別れた悲しみを、瘴気に冒されて狂ってでも忘れてしまいたいと思っちゃうかもしれない」
「そういうものか……」
シーナとルナさんの話を聞いて、俺は思わずアルテナを見た。
「?」
さすがに聖剣――それもどうやら特別な聖剣らしいアルテナなら、さすがに瘴気に冒されてモンスターになるようなことは無いだろう。
前にシーナから聞いた聖剣の伝説が本当だとすると、アルテナも前の持ち主は――えっと、神様が振るっていたんだっけ? とにかく前の持ち主がいたはず。その持ち主の事を思い出したりしないのだろうか? 相手は神様だから、人間と違って死に別れといった別れではなかったのだろうけど、悲しいといった感情は覚えなかったのだろうか?
あ、でも今はその時の記憶が無いのか……。
何があって記憶を失ったのかはわからないけれども、二人の会話を聞いていると、アルテナにとって記憶が失われていることは幸いだったのかも知れないな。
そんなことを思いつつ、俺は下の広間へと続く階段に向かったのだった。
◇◆◇◆◇
時間を割いてまで広間を調べたのだが、結果的には大した実入りを得られることは無かった。
広大な広間の床は、通路と同じように石が敷き詰められたものだった。
どのような目的があって、これだけの遺跡が建築されたのかはわからない。ただ、これだけの石材を調達するのにも、随分と金と労力が必要だったはずだ。それならそのコストに見合うだけの何かが残されているはず。
湧き上がる期待に胸を膨らませて手分けして調べてみたのだが、見つかったのは、元は机か椅子だったと思われる木材の破片だけだ。
この遺跡が土砂に呑み込まれた時の衝撃で床などに激しく叩きつけられ、破壊されてしまったのだろう。机、椅子以外の物も時の流れによってそのほとんどが朽ちてしまっていた。
そんな中で唯一原型を保っていた物もあるにはあった。
「何だろうな、これ」
「ちょっと不気味だな……」
広間の一番奥に、大きさは四、五メートルくらいで太い足に太い腕、ずんぐりとした胴体の上にのっぺりとした球体が乗せられた巨大な石像があったのだ。
あの球体が顔なのかな? 唯一額の部分には小さな窪みがあるだけで目も鼻も口も無いけど。
この石像に気づいた時、始めは遺跡といえば定番の岩塊の人形ってやつかと俺たちの間に緊張が走った。
ただ、いくら待ってみても動き出す気配が微塵もなく、シーナが近づいていって戦鎚で突いてみたりしても動かなかった。
というかシーナはよくあんなものに近づけるな。
ちなみに、動く石像も岩塊の人形の一種。
悪魔の形に似せて造られた岩塊の人形を、動く石像と呼ぶらしい。
どうやら近づいて触ってみても動いたりしないようなので俺も触れてみると、ザラザラとしたきめ細やかな砂粒を固めたような手触りだった。
「他には何にも見当たらないんだよ。ガラクタばかり」
アルテナが足元に転がっていた木の欠片でコンコンと床を叩きつつ、つまらなさそうにつぶやいている。
「ちっ……宝石とか金貨とか、魔法道具とか、価値のありそうな物は何もないな」
「ノア、ノア、その言い方だと泥棒みたいなんだよ?」
アルテナと並んで机だったと思われる残骸の引き出しを漁っていると、紐で綴じられた紙の束と書類、それから棚だったであろうガラクタに混じって、ページがバラバラになってしまった本のようなものを数冊見つけた。
書きつけられた文字も今使われている文字ではない。その上、時の経過で文字が薄れてしまっているものもあって、俺にはさっぱり読み解けなかった。
「おい、これ読めるか?」
「う~ん……全然見たこともない文字なんだよ」
「そうか」
まあ、文字は言葉は地域で色々あるからな。アルテナが知らない言語だってあるだろう。
ただ、書物や資料を集めているドンペリーニなら喜べる品物だろう。
その他には大した発見は無かったので、見つけた書物類をまとめて撤収することにした。
紙の傷みが激しい物が多く、まとめるだけでも慎重な作業が必要だった。
でもこれを持って変えれば、ドンペリーニから銀貨三千枚の報酬が得られるのだ。それだけの金があれば、幾らかは借金の返済に充てる必要があるが、商品の仕入れができて商いを再開することができる。
「ドンペリーニの奴も物好きだよなあ。こんなもんに大金を払うなんて」
「こういった古書を集める好事家なら万単位の銀貨を払う者もいるらしいぞ」
「へえ、そうなのか」
シーナが束ねた紙を俺に寄越す。
書き方や文字の並び方から見て手紙じゃないかと思うけど、これが銀貨に替わるなんてねぇ……。
その手紙を横から覗き込んできたアルテナが、
「ねえねえ、ノアが直接そういった好事家さんにこの本とか売っちゃダメなの?」
「伝手があればそういうこともできるだろうけどなぁ……。ドンペリーニも金持ちだけど、こんなものを欲しがるような金持ちなんて、他には王都に住む貴族が豪商ってとこだろ? 俺にそんな金持ちの知り合いがいると思うか?」
「そっか。そうだよね……ノアはお金に縁が無さそうだもの。お金があったらこんな場所に来る必要ないんだものね……」
しみじみと言うアルテナに腹が立つが、事実なので何も言い返せない。
「どうしてこんなものにお金を払うんだろ?」
「さあ? 所有欲を満たしたいとかそんなところだろうよ。いいから手動かせ、手。さっさとまとめてファタリアに帰ろうぜ」
◇◆◇◆◇
「それでどうだったの? ノアちゃんの働きぶりは?」
約束の報酬銀貨三千枚を渡して、ホクホク顔で帰って行ったノアたちを見送り、運び込まれた書物の山を収蔵するよう部下二人に言いつけると、ドンペリーニは一人部屋に残ったルナへ話しかけた。
「いい子だね。とってもいい子だとは思うよ。採掘者としては、まだまだ未熟だけど、このまま経験を積んでいけば良い採掘者になれると思う」
「そう。一流のあなたがそう評価するのなら、ノアちゃんはこれからどんどん実力を伸ばしていきそうね。良かったわ」
「でも、一流と呼ばれるまでにはなれるかどうか……ギリギリってところ。採掘者としての資質なら、ボクが見たところシーナさんのほうが断然見込みがあるね」
「ここ最近ノアちゃんとパーティーを組んだという娘ね? あの娘も素性を調べてみるとなかなかおもしろい娘よ。あたしとしては、ノアちゃんよりもあの娘と縁を結んでおきたいわね。きっと将来有望だし、良い取引相手となりそうだもの。でも――」
そこで言葉を切るとドンペリーニは両肘を机に突いて手を組み、その上に顎を乗せる。
「あなたが興味を抱いたのはノアちゃんの方なんでしょう?」
探るような視線を向けられて、ルナは薄っすらと笑みを浮かべる。
「あなたほどの採掘者がどうしてノアちゃんを気にするのか、聞いてみてもいいかしら?」
だがルナはその質問には答えず、
「ボクも聞きたいことがあるよドンペリーニ。君がどうしてこういった古い文書を集めているのか、その理由を」
「趣味よ。それと商売。もちろん、顧客が誰かなんて教えてあげないわよ?」
考える素振りも見せずに即答。
「それよりもあたしの質問には答えてもらえないのかしら?」
「大した理由じゃないよ。この町に戻ってきた時にたまたま彼らの話を聞いただけ。胸に金貨一万枚って値札を下げた女の子とパーティーを組んでる面白い子がいるってね。どうせ暇だからどんな子かなって思って一緒に仕事してみたかっただけ。それだけの理由だよ」
「本当にそれだけの理由かしら?」
しばらくルナの顔を伺うように見ていたドンペリーニだったが、
「ボ、ボス。おれ、い、言われた通り、本とか、か、紙とか置いてきた」
「ばっか、ノブ! おっ前は何回言えばわかるんだ! いっつも言ってるだろう! ボスの部屋に入る時だけはノックしろって! すいません、ボス」
「あ、そ、そうだったゴ、ゴメンよ、兄貴……ボス……」
騒々しく部屋へ入ってきた部下二人に目を移すと、ふぅっと息を吐き満面の笑みを浮かべてみせた。
「まあいいわ。どうせしばらくこの町に滞在するつもりなんでしょう? 本当に暇ならいくらでもお仕事回してあげるわよ?」
「ふふ、考えておくよ」




