ファタリア防衛戦 中編(改稿済)
オーガによる岩の投擲の数が減ってきた。
荷車に積んできた岩のストックが尽きたのか。
岩が投じられていた時間は十分程度だったと思う。
しかし、そのわずか十分程度の時間の間に、ファタリア側に生じた損害は、甚大なものだった。
防御のために築かれた木製の柵は完全に破壊されてしまった。
タワーシールドに身を固めていた重武装の前衛部隊は、盾ごと岩に押し潰され、あちらこちらから苦痛に耐える呻き声が聞こえて来る。
しかし負傷者を収容しようとしたところに、ゴブリンとオークが矢を一斉射。
射ち込まれた大量の矢は、容赦なく倒れた負傷者へと降り注ぐ。
こちらの弓隊は俺も含めて全員後退してしまっている。
牽制の矢を射ることもできず、負傷者たちの呻き声は、手をこまねいている救助隊の前でどんどん消えていった。
「くそ、見ているだけしかできないのか」
刀の柄を握り締めたシーナが、唇を強く噛み締め、悔しそうに呟く。
前線で倒れている人たちに、親しいと呼べるような知り合いは多分いないと思う。
だけど、中には採掘者組合で一言二言程度の挨拶は交わした者がいるかもしれない。
その命が失われていく。
目の前で。
しかし、飛び出せば矢の的になるだけだ。
俺たちですら悔しい思いをしているのだから、負傷者たちが所属するギルドの者たちの心中は、計り知れない。
悲鳴が、嗚咽が、ギルドの者たちが退避している辺りから聞こえて来る。
中には負傷者を助けようと飛び出そうとする者もいて、仲間たちに静止されていた。
なぜなら、早急に陣営を整える必要があるからだ。
矢を射ち終えたなら、次に来るのは。
前線に雨あられと降り注いでいた矢が止まった。
矢を射ち終えたゴブリンとオークに替わって前へと出てきた亜人種は、人の身体に犬の頭が特徴のコボルト。その手に持つ武器は柄の短い槍、ショートスピアと木製の小型盾。
コボルト族は亜人族で随一の俊敏さを誇る。
槍を手に亜人族の集団の前へ一列に並んだ。
完璧に統率が取れた動き。
従来の亜人族に見られ無かった行動だ。
「来るぞ……」
誰かの呟きが聞こえた。
一瞬、戦場を静寂が支配し。
そして吶喊の声を上げてコボルトが走り出す。
速い!
コボルトはゴブリン、オークに並ぶ亜人モンスターでは雑魚として採掘者の間で言われる。しかし、実際に見てみればその速さは二本脚なのに四足獣の獣の如き速さ。
待ち構えている最前線の採掘者たちは、ギルドに所属する探索時間千時間超えのベテランばかり。通常なら雑魚とされるコボルト相手に遅れを取るはずがないのだが。
突進を妨げるはずだった柵は、オーガによる投石によって破壊され、防御力のあるタワーシールドを持つ重武装の部隊は壊滅してしまった。
待ち構える人間たちに怯む様子も見せず、横一列に並んで槍を構えたコボルト族の突進は、防衛側の予測を超えた破壊力を持って突き刺さった。
何しろ横に避けようにも、一列に槍を突きこまれているので避けようがない。
盾で止めても、コボルトは突進の勢いそのままに、体ごと押し込んでくる。
至る箇所で戦線が破られているのが見えた。
それでも探索時間数千時間を超える熟練の採掘者揃い。
劣勢であってもコボルトへ槍を突き出し、剣を振るい、攻撃用魔法道具を使用する。
「犬ころが! 舐めんじゃねぇっ!」
採掘者の振るった斧が、刃を受け止めようとしたコボルトのショートスピアの柄をへし折り、脳天を割った。
断末魔の声を上げて、コボルトの身体が崩折れる。
コボルトは確かに俊敏なのだが、膂力では人に劣る。
突進の勢いさえ止めてしまえば、斬り合いでは防衛側に分があった。
破られそうになりながらも、コボルトの突進を何とか受け止めた防衛側の前線部隊が徐々に押し返そうとしていた。
「おらぁ! 次来いやぁ!」
斧を振り回し次の獲物を探し求める採掘者。その迫力に近くにいたコボルトが一瞬怯んだように見え、わずかに後ろへと下がる。
「好き勝手やりくさりやがって! 逃がすかよ!」
コボルトに追いすがる採掘者。
コボルトの背を斬りつけようと、斧を振り上げたその時、炎の塊が飛んできて彼の頭を包み込んだ。
「ぎゃあああああ」
不意に炎に顔を包まれ、斧を放り投げてもんどり打って転がる採掘者。転げ回る採掘者へ、コボルトが再び接近すると槍を何度も突き出した。
何度も聞こえる凄まじい絶叫が、周囲にいる者たちの背筋を凍らす。
炎の塊は、周囲にいた者たちへも降り注いだ。
「魔法道具だと!?」
「そんなバカな!」
炎の塊は、ゴブリンたちの持った粗末なワンドから放たれていた。
アルテナが持っている『火炎弾』の指輪と同じ効果を持つワンドのようだ。
亜人たちが魔石の加工技術を得ている。
これもまた、今までの固定観念を覆す新しい亜人族の攻撃。
時折、遺跡で発見したと思われる魔法道具を扱う亜人族に遭遇したという報告は今までにも幾つかあったが、組織的に装備して使用された報告は無い。
立ち直りかけていた前線が再び混乱に陥る。
ついに前衛を抜けて、後衛部隊まで到達する亜人族が出始めた。
数は少ないので、あまり連携が巧みでない後衛部隊でも、取り囲んで打ち取れるが、時間が経つに連れて前衛を抜ける亜人が増えつつあった。
「来るぞ!」
シーナの鋭い声。
一匹のコボルトが前衛を抜けて、俺たちの方へ走ってくる。
やはり速い。
前線と後衛部隊がいる場所は、少し間が空いているのだがその間を駆け抜けて迫ってくる。
「私が行く。援護を頼むぞ!」
前へと出るシーナ。
突進ししてくるコボルトへ、正面から走って行く。
そのシーナの気迫と勢いに、前衛を突破した余勢を駆って来たコボルトが逆に怯み、僅かに足を緩めたように見えた。
その瞬間、一足飛びに踏み込んだシーナの刀が振り下ろされた。
「ギャッ!」
肩口を深く斬り裂かれ、致命傷を受けたコボルトは悲鳴を上げて地面に倒れた。
なるほど。
敵に対しては決して退かないという強い意思でもって敵を呑み、先手を取って斬ると言ってたやつか。
強い。
本当にシーナは強いな。
俺の援護、必要あるのかな?
「ノア、あっちからも敵が来るよ!?」
「今度はトロルか!」
コボルトとゴブリンの前衛陣によって空いた前線の穴から、遅れてきた大型の亜人族が次々と後方まで雪崩込んできている。
トロルは灰色の肌、そして三メートル近い巨体が特徴の亜人族だ。
足も遅く力こそオーガ、ミノタウロスに劣るものの、その巨体に見合う怪力と、何よりも傷つけてもその傷を炎で焼かない限り、圧倒的な回復力で再生してしまう亜人。
そのトロルが俺たちへと迫ってきている。
武器は己の拳らしいが、腕の太さは丸太のようだ。
殴られればただではすまない事は見て取れる。
トロルを即死させるには、太い首を一撃で切断するしかないのだが。
俺の武器はショートソードで、まず打撃力が足りない。そしてシーナでは腕力が不足しているだろう。
トロルは格上な上に、俺たちでは有効な攻撃手段が無いモンスターである。
退いて他の採掘者に任せるか?
重量武器である斧やメイスを使う者、魔石を加工して炎や風といった魔法を纏い打撃力を増した魔剣を持つ採掘者なら、トロルとも戦えるんだけど。
「そんな人、いないみたいなんだよ」
ですよねぇ……。
アルテナの言う通り、手が空いている者はいない。
前衛はもう亜人たちに呑み込まれてしまっていた。後方の俺たちがいる場所すらも前線と呼べるほどに、周囲で激しい戦いが始まっている。
そして俺たちが抜かれてしまえば、後は無防備となったファタリアの町への亀裂があるだけ。
「採掘者たちよ!」
その時、大声が響いた。
声の主は『天上の剣』のギルドマスター、シグルドさん。
この防衛部隊で採掘者側の指揮を預かる人物でもある。
三百人近い採掘者たちをまとめているだけあって、その声は広い戦場にあってもよく通る。
「聞けぇ! 領主様の指示により、ファタリアの町では市民の避難が開始されている!」
先程から守備隊の姿が見えなくなっているのは、市民の避難へ回したのか。
「もちろん! 俺たちは敗北するつもりなど微塵も無い! …………敗北するつもりはない……が、しかし! しかしだ! 万が一の時には……、俺たちは殿となって市民が避難する時間を稼ぐ事になる!」
どのみち町に入られるような事態を迎えた時、俺たちも含めた採掘者たちは全員死んでいるだろう。
「俺たちが苦戦している理由は、俺らギルド上層部が亜人どもの戦力を見誤ってしまったせいだ。すまねぇ……本当にすまねぇ! だけど俺はお前らがこのままいいようにやられっぱなしになったりはしないって事を信じている。俺たちの実力はこんなもんじゃないと! 俺たちファタリア採掘者の底力を、亜人どもに見せてやろうぜ!」
自らの見通しが甘かったことを潔く認め謝罪、そして戦場全体を叱咤。
シグルドさんの声に呼応して叫んでいるのは、『天上の剣』に属するメンバーたちか。
散々っぱらにやられていた大手ギルド主力たちの士気が回復したようだ。
そういえばマーティスは無事なんだろうか。
一瞬、同期の奴の事が頭に浮かんだが、いつまでも人の心配なんてしている余裕は無かった。
俺たちの前には、格上のモンスターであるトロルがいる。
「アルテナ! 火炎弾でシーナが斬り付けた箇所を焼いてくれ!」
「うん。わかったよ!」
一撃でトロルの首を斬り落とせないなら、傷を負わせて、傷口が再生しないように火で焼くしか無い。
アルテナへの指示だけで、シーナは俺の意図を理解する。
俺は弓で援護だ。
三メートルもある巨体、そして鈍重な動きのトロルなら、シーナに当てずに矢を射られる。
狙うのはトロルの胸から肩の周辺辺り。
矢を番え引き絞り放つ。
狙い違わず矢はトロルの左肩へと命中。が、カチンと、本物の岩に矢を当てたような音がして弾かれてしまった。
マジか!
俺のショートボウ程度の威力では、この至近距離から射っても刺さりもしないのか!
シーナも、殴りかかってきたトロルの拳へ刀を合わせて振る。しかし、体格の差から来るパワーの差は何ともし難く、トロルの固く握り締められた拳は刀もろともシーナをすくい上げるように吹き飛ばした。
「くっ、なんて硬さ……」
人間の拳なら指が全て斬り落とされているだろうに、トロルの岩をも思わせる大きな拳には、僅かな切り傷ができただけ。
後方へ飛ばされて着地したシーナが、体勢を整える前に、トロルがまたシーナをすくい上げるように拳を振り抜く。
再びシーナの身体が後方へ弾けるように吹っ飛ぶ。
だが、間一髪。
シーナは刀に手を添えて受け止め、拳の直撃を避けていた。
「シーナ!」
「うっ、く、大丈夫だ。それよりもノア、奴の目を狙ったりできるか?」
「そんな腕前、あるわけないだろ」
「そうか」
俺の返答を聞いてシーナは再び走り出す。
悔しいが、俺にはまだ動き回る相手の一点を狙って当てられるほどの、弓の技量は無い。
くそ、何か無いのか。
「ノア、アルテナが魔剣になればトロルだって斬れると思うんだよ」
「アルテナ……」
確かに炎を操り纏う聖剣アルテナなら、トロルは斬れる。
それにあの大爆発を引き起こした火球なら、この状況すらも一掃できるかも知れない。
その時、シーナの刀をトロルが掴んだ。
「くっ、離せ!」
トロルの右手が、刃をがっちりと握り締めている。刃を握り締めているのに、指が落ちないのか。
「このっ、くっ」
刀を取り返そうと、シーナが必死に踏ん張っているが、トロルはびくともしない。それどころか、シーナが刀を離さないと見るや、トロルは彼女の身体を力任せに押し込んでいく。
押し込んでいく先にあるのは神の城壁。
壁にシーナを押し付けて嬲る気か!
でも、待てよ……。
トロルの狙いに気づいた俺は、神の城壁を目指して走った。
壁の表面はツルツルじゃない。
ゴツゴツとした岩盤になっていて、手足を掛ける箇所は幾つもある。神の城壁の近くの町や村で生まれた子どもたちにとって、壁を登る遊びは恒例の度胸試しの一つだ。
壁を登るのは子どもの頃以来だったが、昔の杵柄で案外簡単によじ登れる。
トロルがシーナを壁に押し付ける前に間に合うか微妙だったが、どうやらトロルはじっくりとシーナを嬲るつもりのようだ。
その気になれば圧倒的なパワーで踏ん張るシーナを押し込めるだろうに、じわじわと押し込んでいたおかげで、俺はその間に五メートルくらいの高さにまで登ることができた。
そしてトロルがいよいよシーナを嬲ろうと、壁に彼女の身体を押し付けた所に。
「うわああああああああっ!」
壁を強く蹴ってから落下。トロルの首筋にショートソードを突き刺す。
落下の勢いと俺の全体重が、ショートソードの刃先一点に集中。
その一撃は、さしものトロルの岩のように固い皮膚ですらも貫いた。
「ッグガガアアアアアアアアアアアアアア!」
絶叫するトロル。
皮膚さえ貫通してしまえば、肉は普通に柔らかい。
ショートソードの切っ先は鍔元近くまで突き刺さった。
そして俺はトロルの背中側へ傾くよう、ショートソードに力を掛ける。
刃が骨に引っかかると、梃子の要領でトロルの肩から背中に掛けて切り裂いた。
「今だ! アルテナ!」
片腕の力が抜けて、シーナが刀を取り戻して横へと転がり逃げる。
俺はショートソードを抜かずに手を離し、トロルの背中を蹴り飛ばして伏せた。
そこへ。
「『火炎弾』!」
アルテナの『火炎弾』が突き刺さる。
高い回復力を誇るトロルだが、首元から肩甲骨の辺りまで斬り裂かれて、そこへ炎を浴びせられてはひとたまりもなく――。
ズシン、と重たい音を立てて地面に倒れるとのたうち回った。
傷口を焼かれては回復できない。
さすがに致命傷となったか、やがてのたうち回っていたトロルが動かなくなった。
「はあ、はあ、やったな、ノア」
荒い息を吐いてシーナが駆け寄ってくる。
トロルに勝てたのは運が良かった。
本来は俺たちより明らかに格上のモンスター。
シーナを壁に押し付けて嬲ろうなどと考えなければ、俺たちはトロルの前に有効な攻撃を行うこともできず、全滅していたかもしれない。
疲労がどっと押し寄せてくる。
まだ周囲では激しい戦闘が行われていて、休んでいる暇はない。
そんな余裕は無い事はわかっているのに、俺は思わずその場にへたり込むようにして座ってしまったのだった。