ファタリア防衛戦 前編(改稿済)
日曜日の午前九時。
ファタリアの町防衛戦に参戦する、全ての守備隊、採掘者たちがファタリアの亀裂前に集まった。
「これよりファタリアの町は非常事態宣言を出し、亜人たちの襲来に備える! 全員、速やかに言い渡された持ち場へと着き、各員の務めを果たすように! 総員の奮闘を期待する!」
ファタリアの町の領主補佐がまず、俺たち全員にそう宣言。その後は決められた通りの配置へとそれぞれが移動することになった。
「採掘者の方々は、ゲートで必ず探索時間カードを提示して、探索時間を記録してもらってくださいね!」
採掘者組合の職員が叫んでいる。
組合の見立てでは、明日の午前中くらいに会戦するだろうとしているのだが、採掘者たちはどんな役割であろうと、四月二十三日の日曜日、午前九時から非常事態宣言が解除されるまでの時間を探索時間として記録してもらえることになった。
長丁場になるため、交替で町に休憩に戻る事があっても、期間中は神の城壁内に滞在したものとして記録してもらえるらしい。
戦わずして二十四時間近くを計上されるのはありがたいね――と、そんな甘いことを考えていました。
「おーい、この箱はそこの櫓の上に運んでおいてくれ」
「へい!」
へい、の後に「親方っ」て言いたい気分だ。
ただで探索時間を稼がせてもらえるなんて甘い話があるはずもなく、俺たちは大手ギルドの戦闘準備の手伝いに回されていた。
人手は幾らあっても足りないらしい。
ファタリアの亀裂から神の城壁内に入った場所には、広場と採掘者組合の職員と警備兵の詰め所があって、その周囲を頑丈な木柵によるバリケードで囲んで拠点を作っている。そこへ町から運ばれてきた剣や槍、頑丈な盾、たくさんの矢、そして食糧や水、酒、薬品などの物資が山となって積み上げられていた。
「おいおい、嬢ちゃん。何で首から値札なんて下げてるんだ?」
「ん? アルテナの値段だよ。おっちゃん、アルテナの事を買ってくれる?」
「いやあ、おっちゃんには金貨一万枚なんてとてもとても……。それに、お嬢ちゃんみたいな可愛らしい子が、自分を買ってだなんて言っちゃダメだ」
「残念なんだよ」
俺と一緒に物資の詰まった木の箱を運んでいたアルテナが、行く先々でそんな事を言われていた。
やっぱり首元にぶら下がっている値札が、みんな気になるらしい。
「おいおい、兄ちゃん。女の子に身体を売らせようなんて、男としてやっちゃいけねぇ事だぜ」
「違うわよねぇ。金貨一万って値札を付けさせ、その子は自分のものだぞって、所有権を主張しているのよねぇ」
おっちゃんとお姉さん。
残念だけど、違うんだ。
金貨一万枚はこいつが勝手に自己評価で付けた値段なんだ。
決して俺はこいつの身体を売ろうだなんて思っていないし、こいつの所有権を周囲に主張するために、法外な金額を付けているわけじゃない。
「それにしても、亜人たちが来る予定よりも、随分と早く人を集めたものだと思っていたが、想像以上に準備に手が掛かるものなんだな。私は組合に所属している重鎮方が、探索時間を稼ぐために、予定よりも早く人を集めたとばかりに考えていたよ」
「そうだなぁ」
抱えた荷物を指示された場所へ置きながら、シーナが目を細めて周囲を見回す。
大方の準備は、町の守備隊と大手ギルドで整えていたようだけど、いざ実際に配置に付いてみれば不足しているものなどに気づいたりする。
準備が間に合いそうになくて焦りを感じるといった事は無い。
ただ、ファタリアの町側で作業をしていても、どこかピリピリと肌を刺す緊張感を覚えた。
これなら探索時間に記録されても問題ないと思えるくらい、俺たちは今、貴重な経験をしている気がする。
「探索に行けなくても、これなら十分経験を積める。それにこんな時に不謹慎かもしれないけど、私は結構楽しい気分だ」
そう言ってシーナは俺たちにだけこっそり囁き、微笑んだ。
女の子だからと配慮されたのか、シーナは軽めの木材をせっせと運んでいる。
額に浮いた汗が目に入らないようにするためか、シーナは額に長い布を巻いていて、颯爽と歩く度に布が彼女の艶やかな黒髪と一緒に踊っていた。
シーナは多分、机に齧り付いて勉強するよりも、身体を動かしている方が好きなんだろうな。
全ての準備が整った。
夜の見張りは町の守備隊と大手ギルドに所属する採掘者たちが交替で行うらしい。そこで、俺たちのようなパーティー、ソロ、小規模なギルドのメンバーは一時帰宅が許された。
ちなみに、マーティスは見張り当番の役目が与えられているようで、帰りがけに臨時に組まれた櫓の上に昇っていくのが見えた。
背中には毛布を抱えている。日中は随分と暖かくなってきたけど、夜はまだ冷えるからな。あれに包まって見張るんだろうな。
予測では明日の朝に、開戦するはず。『天上の剣』の主力のメンバーは、その時に備えて休息しておくだろうから、あいつは完全に前線からは外されたというわけだ。
とりあえず、にやりと笑って手を振ってやったら、憮然とした表情でこっちを見ていた。
「どっちも子どものようだ」
「ほんと、そうだと思うよ」
背後でアルテナとシーナの呆れたような声が聞こえた。
月曜日の早朝、五時。
再びファタリアの亀裂前の広場に俺たちは集合した。
もう間もなく、亜人たちの姿が見えてくるはずである。
「ただ、敵が来るのを待つってのは落ち着かない気分だな」
「そうですね」
隣で俺と同じように弓を持った採掘者が話しかけてきたので、頷いた。
俺よりも少し歳上かな? 彼も落ち着かないのか、弓の弦をビンビンと爪弾いて遊んでいる。
やがて――。
日が昇ってきて朝もやが薄くなってきた頃に、黒い影が森の奥から出てきた。
森から出てきた亜人たちは、人間たちが町の前でバリケードを築き、待ち構えていることに気づいたのか、前進を止めた。
「ゴブリン……オーク、オーガ、ミノタウロス……トロルにコボルトもいるな。情報通りだ」
「あんなに一度に亜人たちを見たことが無ぇ……」
「亜人たちの見本市だな」
「俺だってあんなの見たことがない」
「一体どういうことなんだろうな。亜人同士で手を結んだのか?」
俺の周囲にいる採掘者たちがヒソヒソと言葉を交わしている。
俺の最初の持ち場は予想通り弓隊だった。
弓が扱える採掘者だけをまずは前線に並べて、矢で攻撃を加える。そして守備隊と大手ギルドに所属する採掘者の主力部隊が突撃すると同時に、俺は後方へと下がって亀裂の前に待機しているアルテナとシーナに合流する手はずだ。
一応、前線が破られた場合の予備戦力としてという扱いだったが、まずそんなことはないはずだ。
採掘者の主力部隊は『天上の剣』。主要メンバーは探索時間数千から一万超えの一流が揃っている。
俺たちの役割は、恐らくは戦力というより、前線の負傷者を後方にある衛生部隊に運ぶことが期待されていた。
間もなく、矢の届く距離へ亜人たちの集団が入る。
俺は他の弓部隊の採掘者たちと一緒に、横一列に並んで矢を番える。
亜人たちもゴブリンとオークの弓兵が前へと出てきた。
亜人族の中でもこの二種は器用な種族で、時に高度な兵器を組み立てていることもあると聞く。
ジリジリと距離を詰めてくる亜人たち。
矢の射程まで、もう少し……もう少し……。
ん? あれは何をしているんだ?
その時俺は、何体かのミノタウロスが、荷車のような物を押していることに気づいた。
そしてその側にはオークが左右に一体ずつ付いている。
どちらもとんでもない怪力で知られる亜人族だが。
「ってええええええええええええ!!」
緊迫した空気を引き裂いて、ファタリア守備隊の指揮官の命令。
俺は考え事を中断して、即座に矢を放った。
そして同時に見た。
ゴブリンとオークが矢を放つそのわずかに後ろから、オーガが荷車に積んでいた物を掴むと、大きく振りかぶって投げた。
「おわっ……」
俺はとっさにその場に伏せ。
「え……あ………………っ」
俺の隣で矢を射っていた俺より少し歳上の採掘者は、ゴツンという重い音がしたと思うと、弾けるように後方へと吹っ飛んでいた。
地面に伏せたままで振り返って見てみると、顔の半分を失い血まみれになって倒れた青年の側に転がっているのは、人の頭よりも一回り大きな岩。
あ、あいつらなんていうエゲツない攻撃を……。
しかもオーガはゴブリンとオークに替わって前に出ると、次々と岩を投げつけてくる。
これでは迂闊に頭を上げることも出来ない。
多くの者たちが俺と同様地面に身体を伏せている中で、何とか反撃を試みようと立ち上がる者もいたが、そのほとんどが俺の隣で死んだ採掘者と似たような末路を辿っていた。
頭を砕かれて即死したもの。
手足に直撃して骨折、または千切れてしまい、苦痛に呻くもの。
開戦からファタリアの守備隊の最前線は地獄絵図となってしまっていた。
それでも何本かの矢が亜人たち降り注いだが、オーガの非常に固い皮膚と筋肉を、遠距離から人の力で引いた矢で貫くことは不可能に近かった。
ゴブリンとオークの弓兵たちは、オーガによる投石という本命の攻撃を隠すための、ただの囮だった。
「弓隊を下げろ! 盾を前面に出して、前進しろ!」
指揮に従い、俺も頭を低く、這うようにして慌てて後方へと逃げる。
代わって分厚い木の板に、鉄板を貼り付けただけという、間に合わせだが防御力の高いタワーシールドと呼ばれる盾を持った採掘者たちが前に出てきた。
「ノア、大丈夫?」
「大丈夫だったか?」
心配そうに駆け寄ってくるアルテナとシーナに笑顔を見せる。
「俺は大丈夫だ」
「いや、怪我をしているじゃないか」
シーナに指摘されて見ると、左の腕に血が滲んでいた。まったく痛みなど感じなかったけど、岩の破片でも掠めていたのか。
「大した怪我じゃない」
「ダメだ、今のうちに手当てをしておこう」
そう言うと、包帯と薬を取り出す。
「魔法治療薬を使う程の怪我じゃないにしても、治療はできるうちにしておいたほうがいい」
「……そうだな」
深刻な顔をして俺の傷口に包帯を巻くシーナに、俺は頷いた。
確かに、治療できるうちにしておいたほうが良さそうだった。治療してもらっている間にも、固い物がぶつかりあう音が聞こえて来る。
まるで爆発音を聞いているような、腹に響いてくる重量感のある音だ。
「ねえ……、すっごい攻撃なんだけど、大丈夫なのかな?」
背伸びして前線の様子を眺めていたアルテナが呟いた。
「負傷者を後方へ! 急げ! 急ぐんだ!」
俺たちと同じく後方に待機していた採掘者たちが前線へと走っては、負傷した仲間の身体を抱えて戻ってくる。
負傷しているのは、俺たち弓隊に替わって前に出た盾を持っていた採掘者たちだ。
彼らの持っていたタワーシールドは、オーガの投石で砕け、盾を支えていた彼らの腕は、関節の無い場所で折れ曲がっている。
もはやあの攻撃は攻城兵器に等しい。
人の持つ盾では無く、強固な城壁で防ぐべき攻撃だった。
用意していた盾が打ち砕かれ、オーガの投げる岩が容赦なく防衛部隊に降り注ぐ。
「怯むな! 岩の数には限りがある! いつまでもこの投石が続きはしない!」
指揮官の叫び声。
確かにその通りだ。
そしてオーガの投げる岩は、確かにとんでもない速さと威力なのだが、種がわかってしまえば大きさが大きさなので見て避けられない事は無い。
ただ、その岩と同時に先程は一度後方へと退いていた、ゴブリンとオークの弓兵たちが再び前へと前進し、矢をこちらへ浴びせてきていた。
ファタリアの防衛部隊は弓隊を下げてしまっているため、応戦することができない。一方的に被害を拡大していた。
ファタリア側が完全に後手に回っている。
「どういう事なんだ? 亜人族が異なる種族同士でああまで協力した挙句、戦術を練ってくるとか聞いたこと無いぞ?」
俺たちの近くにいた、三十代くらいの採掘者の男の呟きが聞こえてくる。
多分、見た感じ探索時間が二、三千時間は超えていそうだが、ソロで活動している採掘者なのだろう。主力からは外されて、俺たちと同じ役割を担っている様子だった。
「ノア、あの様子だと亜人族がこっちにも来るかもしれない」
シーナの警戒の響きが混じった声。
「ああ、わかってる」
俺はシーナに頷き、傍にいるアルテナを見る。
もしかしたら、こいつの力を借りる時が来るかも知れない。