野営(改稿済)
ゴブリンを倒した後の俺たちは、大人食い蜂と大蟷螂という虫のモンスタ一匹ずつと遭遇しただけで終わった。
大人食い蜂は集団で襲われたら厄介なモンスターなのだが、一匹だけだったので、アルテナの火炎弾で羽を焼かれて地面に落ちたところを仕留めた。
苦戦したのは大蟷螂。
切れ味鋭い巨大な鎌状の前足二つは、人の身体など簡単に真っ二つにしてしまう。しかも色がわずかに緑に視えたので、俺たちより少しだけ格上だったようだ。
俺が弓で、アルテナが火炎弾で大蟷螂の注意を引きつけ、高速で振り回される二振りの鎌を掻い潜ったシーナが、大蟷螂の細い首を斬って落とした。
ただ、虫のモンスターは生命力が半端なく強い。
首を落とされようとも動き回るので、完全に動かなくなるまで魔石の回収は待たなければならない。
完全に動かなくなったのを確認してから俺は、魔石と蜂の針、カマキリの鎌の部分を回収した。
針と鎌は誤って触れて怪我をしないよう、しっかりと布を巻きつけておく。
これらを採掘者組合に持ち込めば、素材として買い取ってもらえる。
「腹の部分や足の筋肉あたりは食材にもなるけど、持っていくか?」
「え? これ、食べられるの?」
カマキリの羽の付け根に手を掛けて聞くと、アルテナが驚いたような顔をした。
「食えるぞ」
「美味しいの?」
「どうかな。俺は食ったことがないけれど、たんぱくな味わいらしい。羽をむしり取ってから串に刺して焚き火で炙るんだそうだ」
「ノアも食べたことはないんだ」
「食糧はあるから、無理に持っていく必要も無いけどな。シーナ、どうする?」
そう言ってシーナを見ると、シーナは苦笑を浮かべて顔を横に振った。
「保存が利くものでもないし、すぐに食糧が必要というわけじゃないんだ。別に持っていかなくてもいいんじゃないか?」
「うーん、あまり食欲をそそらないんだよ」
アルテナがカマキリを突いている。その意見には賛成だ。同じモンスターでも食べるなら、虫系じゃなくて動物や植物のほうが俺だっていい。
「採掘者ってモンスターも食べるんだね」
「動物系のモンスターの肉や毛皮は町に持ち帰れば売れるぞ。骨や牙、爪だっていい値段で売れる」
今回の探索の目的も、モンスターの魔石だけでなくてそういった毛皮や肉が目的だしな。
「私たちは七十二時間程度で引き上げてしまうから必要ないけれど、結界の魔法道具を使って長期間神の城壁内に滞在するパーティーやギルドなら、モンスターを食糧にしているそうだ」
「へえ」
「ほら、野生の動物なら人を見ると普通は逃げ出すんだけど、モンスターは逆に襲い掛かって来るだろう? ジルなんて、モンスターは足の生えた食材だって前に笑いながら言っていたぞ」
呆れたように言うシーナだけど、ジルってあの『採掘者の中の採掘者』って
呼ばれるジルベルト・ジルの事だよな?
確かにジルベルト・ジルのように腕の立つ採掘者にしてみれば、並大抵のモンスターなんて、足の生えたわざわざ向こうから寄ってきてくれる食材程度なのかもしれない。
その後は順調に進んで俺たちは、何とか日が沈んで暗くなる前に、目的地である砦跡へと辿り着いた。
「暗くなる前に、燃料になる薪だけは集めてしまおう」
「そうだな」
「アルテナもお腹が空いちゃった……」
「俺もだ。火を熾したら飯にするから、あと少し頑張れ」
道々歩きながらチーズなどの、片手に持って囓れる物を食べていたが、さすがにそれだけでは空腹が誤魔化せなくなっていた。
ゴブリンに、大人食い蜂、大蟷螂と戦闘を三回しているからな。
それに四キロの険しい道のりを歩くのは、相当に体力を消耗する。
三人で手分けして枯れ木を拾い集めると、俺たちはそれを砦の中の一室に集めた。
砦は魔物の襲撃の折にひどく破壊されていたが、無事な部屋もいくつかあった。
部屋の入り口に、その辺りに転がっていた元は扉だったと思われる板材や、壊れずに無事だったテーブルや椅子などを積み上げる。簡易のバリケードだ。これでモンスターの不意打ちを少しは避けられるだろう。
それから部屋の中心部に枯れ木を積み上げて、『着火』の指輪で火を熾す。
俺たちの前にもここで一夜を明かしたパーティーが何組もいたのだろう。部屋の中心の石畳は黒ずんでいて、炭や木材の燃え滓が残っていた。
もしかしたら、俺たちがバリケードに使用した戸板や机、椅子なども、誰かが同じ目的でこの部屋に集めて置いたのかも知れないな。
日が落ちて暗くなっていた部屋の中を赤々と照らす焚き火に、俺たちはいっせいにため息を吐き、それから顔を見合わせて笑った。
順調にここまでやって来たが、やっぱり全員が結構緊張していたらしい。
火というものは、緊張を和らげる効果を持つなぁ。
パンにチーズ、ソーセージといった食べ物を取り出して、焚き火で炙る。
ソーセージから脂が滴り、パンとチーズからも香ばしい、食欲をそそる匂いが漂ってくる。
「採掘者になるまでは、こうした食べ物を口にする事も無かった。調理もせずにただ火で炙るだけで、こんなにも美味しい食べ物があるなんて私は知らなかったよ」
炙り立てのソーセージを囓って、シーナがそんな事を言う。
「うん、何でだろうね。アルテナもこんな風に食べるの初めてだけど、びっくりするくらい美味しく感じる」
「同感だな」
激しく身体を動かした事で、身体がエネルギーを求めているのも理由の一つかもしれない。
ただ、俺はシーナとアルテナを見て別の事を考えていた。
二人ともソーセージに豪快に齧り付いているんだけど……、シーナはそんな姿にも品を感じられるから不思議だ。
家名を教えてもらっていないけど、王都メルキアの王立学院に通う学生という身分。当代最高の採掘者ジルベルト・ジルにも面識があるなどの事から、きっと家柄の良いお嬢様なのだろう。
「どうした?」
俺が見ていることに気づいたシーナが不思議そうに見てきたので、俺は何でもないと首を振ると用足しのフリをして立ち上がった。
本人が家名を出さないのは、その家名を聞いて俺たちが気を使わないようにという配慮だとか、そのあたりの事だろう。
そんなものパーティーの仲間として信用が置けるなら、俺にとってはどうでもいい話だ。
少しだけバリケードをずらして外に出た俺は、気配を探りつつ砦の上の階へと登って行った。
食べ物も何もない場所だ。
モンスターがいるなら、ここを拠点とするような亜人くらいだろうが、そういったモンスターがいないことは、ここへ到着した時点で調べてある。
何の気配も感じられず、足元の瓦礫にだけ注意を払っていた俺は、ふと視界の片隅にチラチラと光っているものを見た気がした。
砦の外に広がる森の中からだ。
焚き火の明かりか?
屋上まで上がって、光が見えた方を窺うとやはり明かりが見える。
それも一つじゃない。複数の明かりだ。
「おい、二人とも。ちょっと来てくれ」
俺は急いで拠点にしてある部屋に戻ると、アルテナとシーナを呼んだ。
「なになに、どうしたの?」
「どうしたのだ、そんなに慌てて?」
そんな事を言って俺の後に付いてきた二人は、すぐに俺と同じく森の中に複数ある明かりを見つける。
「焚き火かな?」
「俺もそう思う」
アルテナの呟きに俺も同意する。
「私たち以外にも、パーティーがこの辺りに来ているのか? 焚き火の間隔が近いから、おそらくはパーティーというよりもギルドの規模だと思うが……」
「どうかな……あの爆発騒ぎのせいで、この辺りには俺たち以外に駆け出しクラスの採掘者のパーティーは来ていないだろ? ギルドならなおさらだと思う」
俺たちはあの爆発の原因が謎のモンスターの仕業ではなく、アルテナの必殺技のせいだと知っているから平気でこの辺りを探索できるのだ。
そんな事と知らない他の駆け出し採掘者たちは、パル村など他の拠点から迷宮に入っている。そのため、この辺りにいる採掘者は俺たちだけのはずだ。
そして、爆発調査の依頼を受けたギルドやパーティーの野営にしては、ここは爆発地点からは距離が離れすぎている。
「じゃあ、駆け出しじゃないとか」
「それはないな。駆け出しと呼べない腕を持つ採掘者なら、もうこんな枯れた遺跡を探索する理由はない」
アルテナの疑問はシーナがきっぱりと否定した。
あ、もしかして。
「なあ、行き掛けに倒したゴブリン……」
「うん。私もそれを今言おうとしていたところだ」
「なになに? どういうことなの?」
状況から見て俺とシーナはある事を同時に思いつけたのだが、アルテナだけは思いつけなかったようだ。
まあ、無理もない。
アルテナはずっと眠っていたし、アルテナが聖剣として神々の手にあった頃はまだ、迷宮も神の城壁も、そしてモンスターという存在も無かったようだから。
「ゴブリンというか、オークやオーガといった亜人族は、神様が迷宮を作った際に巻き込まれて瘴気に冒された人がモンスター化したものだって言われている。あいつらは元が人だっただけあって、頭目を持ち、貴族や戦士階級があって、そして集落をつくるんだよ」
「そっか、じゃああの六匹のゴブリンたちって」
お、察しが早いな。
「ああ、そうだ。奴らの集落がこの近くにある。というか具体的にはあの焚き火の明かりがそうなんじゃないかって、俺とシーナは考えたんだ」
「そういうことか、なるほどなんだよ」
「どうする、ノア。暗くてよくわからないが、ゴブリンの集落はここから数百メートル先といった程度の場所だが……」
「俺たちだけじゃ、討伐は到底無理だろう?」
集落が作られているなら、ゴブリンの数は数十から百近い数がいるに違いない。
下手するとそれ以上。
しかもホブゴブリンと呼ばれる、ゴブリン族の貴族、戦士階級のゴブリンだっているだろう。
俺たち三人だけでは多勢に無勢過ぎる。
「アルテナが焼き払う?」
おっと、そういえば俺の手元にはアルテナという終末兵器がありましたね。
「終末兵器ってひどいんだよ!」
「確かにノアがアルテナで焼き払うという手もあるが……、それだと撃ち漏らした時が問題だ」
「どうして?」
「亜人族は総じて執念深い。撃ち漏らしたりすると、必ず報復で人の町や村を襲うんだよ」
実際、採掘者が亜人を数体撃ち漏らし、現場から近い村が焼かれたという話は幾つもある。
「でも、モンスターは神の城壁で迷宮内っていうか、こっち側へ閉じ込められているんじゃないの?」
「そうでもないんだ。神の城壁には随分と綻びがあってだな、幾つも亀裂があるんだよ」
その亀裂からモンスターが這い出してこないようにするために、亀裂の周囲に警備兵の詰める建物を作って、国や領主、採掘者組合が管理をしているのだ。
「管理されているなら、モンスターも簡単には出入りできないんじゃないの?」
「人が管理している亀裂からならな。でも、人が踏み込めない深山の奥地、悠久なる大河の中、灼熱の砂漠、森の深奥、断崖絶壁の続く渓谷にも、神の城壁は続いている。そしてそこにできた亀裂がどれだけあるのか、人は全てを知らないし、とても全てを管理できるはずが無いんだよ」
神の城壁と呼ばれる結界は、神様が創り出したものにしては、結構いい加減な代物なのだ。
この事実に関して大部分の教会では、異邦の神との激しい戦いと、封印するための迷宮創造で神々は力を使い尽くし、疲弊しきってしまっていたからだと説明している。
神もまた眠りに付く前に、最後の力を振り絞って為した奇跡であったからだと。
これはシエラ聖教の教えにもあったと思う。
シエラ聖教の御神体が実際に神の手に握られていた聖剣だというのなら、その聖剣は迷宮と神の城壁創造の際にも立ち会っていたはずなので、信憑性はかなり高い話だな。
つまり、そこから分かることは神も完璧ではない。
ま、アルテナを見ていれば、そう思うけど。
「む、また失礼なことを考えている気がするんだよ」
ほんと、無駄に勘が鋭い奴め。
「それでどうする、ノア?」
「俺たちだけで殲滅は無理だろうな。集落規模の亜人を相手にする場合、出入りする亜人の人数を確認し、徹底的に殲滅するのが鉄則だ」
不倶戴天の敵であるモンスターとはいえ、徹底殲滅とは恐ろしい話だが、報復を招かないようにするためには仕方がない。
「ファタリアに戻って組合に報告するのが最良だと思う」
俺の結論にシーナも深く頷いた。
「同感だ。ただ、どのくらいの規模の集落なのか、組合に報告をするにしても、偵察はしておいたほうが良いように思う」
「そうだな。明日、日が昇って明るくなった所で、集落の側まで近づいてみるか」
明日からの行動方針を決めると、俺たちは部屋へと戻る。
「外で焚き火をしなくて正解だったな」
部屋へと向かう途中、シーナがそうポツリと呟く。
夜の闇の中では小さな火といえども、かなり離れた距離にまで見えてしまう。幸い俺たちの焚き火は部屋の中で熾しているため、外に明かりが漏れていなかった。
だからこそ、俺たちの前に来ていた採掘者たちも、ここで焚き火をして、野営をしたのだろうけど。
交替で休むことにして、まずはシーナが眠りに就くことになった。
俺とアルテナで焚き火の番と見張り役だ。
本当なら俺、アルテナ、シーナの三人で順番を回して休むのが一番いいのだが、アルテナは野営はこれが初めて。
そこで俺とアルテナ、そしてシーナ一人の二交代制にしたのだ。
そもそもの疑問として、アルテナって剣なのに睡眠が必要なんだろうか。
ちょっと問い質してみたい。
「それにしても少し距離があるとはいえ、近くに亜人の集落が存在している事がわかっているのに、こんな所で眠るとか。考えてみると、結構大胆な話だな」
毛布に潜り込みつつ、シーナがそんなことを言ってクスリと笑う。
「俺たちの存在が奴らにバレているなら、とっくにここは襲撃されてるだろ。そうじゃないってことは、俺たちの事に気づいていないって事だ」
集落へ戻ってきていないゴブリン六匹の事にも、まだ気づいていないのだろう。
「だから安心して眠ってくれ」
「ああ、先に休ませてもらう。見張りは頼んだぞ」
「任せておいて! ノアがシーナに変な事をしないよう、アルテナがバッチリ見張っているから!」
シーナが頼んだ見張りとは、断じてそっちじゃない!
「あはは、それなら安心だ」
おい……。
「じゃあ、交替の時間になったら起こしてくれ。おやすみなさい」
「おやすみなさい」