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プロローグ (改稿済)

 ジャイアント・ラット。

 読んで字のごとく、巨大なネズミである。

 大きさは丁度中型犬くらいか。

『神の城壁』の亀裂――『ゲート』を通り、迷宮へと挑む命知らずな『採掘者(ディガー)』なら、よく出くわす珍しくもないモンスター。倒したところで得られる魔石は小さい上に、毛皮も二束三文にしかならない。


 ただ、迷宮内の掃除屋としてどこにでも生息しているため、皮を剥いで炙るか、そのまま焚き火にくべてしっかり火を通せばそれなりに美味しい。長期間迷宮に潜る採掘者(ディガー)にとっては貴重なタンパク源となる。

 ただし、それは腕利きの採掘者(ディガー)ならばの話であって、『探索時間(スコア)』三百時間未満の駆け出し採掘者(ディガー)にとっては、一匹や二匹ならばともかく群れで襲われたなら、逆にタンパク源にされかねない。


 ジャイアント・ラットの主武器はその鋭い歯。

 攻撃方法は目標に対して突進し、噛み付いてくるというものだ。

 単調な攻撃方法だが、四足動物ゆえに動きは素早い。

 げっ歯類の頑丈な前歯は、小さなネズミであっても石をも噛み砕く。

 ましてやそのネズミが大きくなれば、そしてそのネズミが群れで襲ってきたならば――。


「うわあああああ! 死ぬ! 死ぬ! 死んでしまう!」


 坂道を涙目で俺は走っていた。

 このままだと確実に俺ことノア・レチカ、迷宮にて永眠。享年十六歳――。


「――なんて事になってたまるか!」


 後ろから迫るジャイアント・ラットの数は七、八匹程度。ちょっとした手練れの採掘者(ディガー)なら、どうとでもなる数。

 しかし、古着屋の店前に並んでいた中古品で染みのついた(何の染みなのか想像もしたくない) 革製の胸当てに、ちょっと先っちょを研ぎすぎてしまったのか、それとも欠けてしまったのか、刃先が丸みを帯びてしまったショートソード。中古品の安物装備で身を固めた駆け出し採掘者(ディガー)の俺に、群れで迫るジャイアント・ラットの相手をするなんて無理な話だ。

 左手に持った松明で照らした薄暗い通路を、時折張り出した木の根っこに足を取られながらも、必死の思いでひた走る。


「出口……出口……町への出口はどこだ!?」


 飛びかかられそうな距離にまで追いついてきたジャイアント・ラットを、俺は左手に持つ松明を振り回して牽制した

 まだ迷宮に潜って浅い階層だった事が幸運だった。

 いや、そんなところでジャイアント・ラットの群れに遭遇して、とても幸運だったとは言えないか。ともあれ、坂道を駆け上がればすぐに迷宮の出口へ辿り着けた事は、不幸中の幸いだった。

 助かれば、の話だけど。


 ようやく狭い通路から飛び出した俺は、急いで周囲を見回して現在地を確認。山の中腹のような場所に出たようだ。

 辺りは鬱蒼と生い茂る木々で視界が悪かったけど、その木々の合間を俺は必死に目を凝らす。

 見えた。

 俺のいる場所から、距離はおよそ二百メートルといったところ。

 そこには雲にも届かんばかりにそびえ立つ、通称『神の城壁』と呼ばれる灰色の壁が見えている。

 大昔に神々が創り出したと言うこの巨大な壁は、迷宮のモンスターが外界へ這い出さないように遮っていたのだが、永い時の流れにはさしもの神の創造物にも逆らえず、所々に亀裂が生まれているのだ。


 俺が神の城壁内へ入った場所も、そんな亀裂の一つ。

 その亀裂(ゲート)は『ファタリア』という町が管理している神の城壁内への入場口の一つで、ゲートと呼ばれている。

 そこまで逃げ切れば、モンスターを警戒する警備兵が常駐しているはずだ。

 ジャイアント・ラットに負われている俺に警備兵が気づいてくれれば、おっとり刀で駆けつけてくれるだろう。

 そしてネズミ如き、あっという間に蹴散らしてくれるに違いない。あっという間に蹴散らしてくれるだろうけど――でも、その前に、俺が骨まで食い散らかされてしまいそうだった。


「は……はは……マジか。やっとここまで逃げてきたっていうのに……」


 俺の行く手を遮るように、八匹のジャイアント・ラットの内の一匹が回り込んでいる。


「絶体絶命のピンチって奴じゃね? これ……」


 見回せば周囲をすっかり囲まれていた。

 森の木々が作る闇の中に、黄色く不気味に輝くネズミの目。

 ガチガチという歯を鳴らす音すらも聞こえて来る。

 肉食獣の狩りの風景にそっくりだった。

 勘弁してくれ。


 慣れた採掘者(ディガー)や猟師などの山で仕事をしていて、肉食の獣に出会う機会のある者なら、背中に背負った食糧の入った鞄を投げるなどしてジャイアント・ラットの興味を引き、時間稼ぎを行うこともできただろう。 

 しかし、この時の俺にはそんな事を考えている程の余裕は無かった。

 獲物を追い詰めたと感じたのか、ジャイアント・ラットは一歩また一歩と、まるで獲物を嬲るようにゆっくりと包囲の輪を狭めてくる。


 俺はチラリと右手に持つショートソードを見た。

 初めてこの剣を握った時、その重みをとても心強く頼もしく感じたが、この状況では何とも頼りない。

 しかし、今はこのショートソードを頼りにこの窮地を乗り越えるしか無かった。


「くそ! げっ歯類がっ! 人類舐めんなあ!」


 俺はやあっ! とばかりに前を塞いでいるジャイアント・ラットへショートソードを突き出した。

 もちろん、当たるとは思っていない。

 ジャイアント・ラットを少しでもいいからひるませて、逃げ道を作るための牽制のつもりだったからだ。

 ところがこのげっ歯類、逃げるどころかその特徴である鋭い前歯を剥き出しにして――パキョンという何とも乾いた音が聞こえたのと、俺の右手に感じていた重みが軽くなったのは同時だった。


「は?」


 えーっと……。

 恐る恐る右手の先にある剣を見てみれば、剣の刃が中程から失われていた。

 小さなネズミですらその前歯は石をも砕く。そして中型犬程のサイズにもなれば、安物で中古(銀貨六枚)のショートソード程度噛み折ることなんて容易いことのようだ。


「は……はは……」


 一つ賢くなったよ――なんて言っていられない。

 ジャイアント・ラットの瞳がギラリと輝いた気がする。

 絶体絶命の窮地に俺は一歩、二歩と後退。

 反対にジャイアント・ラットは悠然とした動作(俺の目にはそう見えた)で姿勢を低くすると、勢い良く目の前の獲物に噛み付こうと助走を付け――その時、突然地面がグラリと大きく揺れた。

 ざわざわと木々が不気味にざわめき、俺だけでなくネズミも突然の出来事に目を大きく見開きその場で固まる。

 そして――。


「え? あ? おわ…………ああああああああぁぁぁっぁぁぁぁぁ」


 足元が急にふわっと感じたかと思うと、俺の身体は絶叫とともに深い亀裂(ゲート)の中へと消えた。

 ――死んだ。

 と思いきや、俺は次の瞬間水の中にいた。

 肌を刺すように冷たい刺激、まとわり付いてくる衣服。


「ぐばぐぼごぼぐべげら」


 手に持っていたショートソード、火が消えてしまっているであろう松明をかなぐり捨てて、必死に手足をバタつかせる。

 水面! 水面はどっちだ!

 どちらが上でどちらが下なのかもわからない。

 と、青白い光が目に飛び込んできた。

 俺は無我夢中でその光が見える方向を目指し水を掻いた。


「ぶあはっ!」


 水面に出た。

 空気を貪るように吸い込んだ。


「ち……くしょう……どこだ、ここは?」


 どうやらここは地底湖のみたいな水溜りのようだ。

 結構な広さがある。

 不思議なことに、なぜか地底にいるはずなのに周囲が薄青白い光に満ちていて明るい。そして天井にぽっかりと大きな亀裂が走っているのが見えた。


「あそこから落ちてきたのか……」


 亀裂は大きく縦へと一直線に裂けていたらしい。

 この亀裂、恐らく先程の大きな地震でできたのだろう。

 おかげでジャイアント・ラットの餌食とならずにすんだが、落ちた先に水が溜まっていなければ墜落死するところだった。

 またこの亀裂が、途中途中で曲がりくねっていたりすれば、俺の身体は落ちている最中にあちこちに引っかかって、頭を打ちつけ、腕や足の肉が岩壁に削ぎ落とされていたかもしれない。

 そう思うとゾッとする。


 擦り傷があちこちにできたくらいの怪我で幸運だった。

 すぐ近くに島のようになった場所があるのを見つけ、そこに向かって泳ぎだす。どうやら薄青白い光の光源は、その島の上からのようだった。


「なんだあれ?」


 島の上に何かが横たわっている。

 モンスターじゃないだろうな。

 水から上がった俺は腰からナイフを抜いて構え、恐る恐る近づいてみた。


「女の子……?」


 同い歳くらいの少女。

 それも全裸の。

 血が通っていないのではないかと思わせる白い肌。腰のあたりまである長い金色の髪。胸の膨らみ、腰のくびれ、ほっそりとした脚は芸術家が造り出した彫刻のように均整が取れていて美しい。

 そして驚いたことに、この石室内を照らし出している薄青白い光の光源は、どうやら彼女から発せられていた。

 男の子な俺としては、同年代の全裸の美少女なんて生唾ゴクリなのだが、さすがに地底にいるというこの状況では興奮も覚えない。


「俺と同じように崩落に巻き込まれたのか?」


 しかし、そのわりには擦り傷のようなものは見受けられない。

 俺自身は落下中にこさえたと思われる擦過傷のせいで、さっきからヒリヒリと痛い。


「とにかくここを出ないとな」


 少女から目を離して改めて周囲を見回してみると、俺が泳いできた側から逆の方向の壁に亀裂が走っていて、そこから空気が流れ込んでいるのを感じた。


「あそこから外へ通じているのか」


 そこまでの水溜りの深さは膝下くらいまでしかないようで、歩いて行くことができるようだ。


「このまま、ここに置いていくわけにもいかないよな……」


 あの亀裂が外まで人が通れるほどの隙間で続いているかどうかという問題は棚上げして、俺は足元に横たわった少女に目を移した。

 こんな場所に横たわり、そして自ら光を発している全裸の少女。

 どう考えても普通の存在ではない。

 もしかしたら俺の知らない迷宮のモンスターの擬態なのかもしれない。

 そんな事も考えたが、俺は頭を強く振ると少女の傍にしゃがみ込んだ。


「モンスターだった時は、その時はその時だ!」


 ちょっと躊躇いつつ、横たわる少女の背中と膝の裏へ手を回し抱き上げた。

 腕に抱えた少女は驚くほど軽い。


「ん……これならいける。ごめんな。裸を隠してあげたいけど、俺の服も全部濡れちゃって、着せてあげられないんだ」


 俺の外套、来ている衣服はもちろん、背中に背負った鞄にしまってある予備の服も濡れているだろう。

 俺自身も濡れていて、風で体温が失われていく。


「とりあえず外に出て、火を炊いたほうが良さそうだ」


 そうして俺は眠ったままの少女とともに石室を出たのだった。



 ◇◆◇◆◇


 

 はるか昔。

 異界よりこの世界へと訪れた邪神がいた。

 異邦神と呼ばれたその邪神は、この世界に破壊を撒き散らし、世界は滅亡の危機に瀕したという。

 神々は、世界を救うべく異邦神と激しい戦いを繰り広げた。

 しかし異邦神の力は強大。

 そこで神々は異邦神を殺すための強力な武器、『聖剣』を創り出した。

 そしてついに、異邦神を大陸の中央地下深くに叩き落とし封印する。

 その後神々は、異邦神とその眷属が二度と地上へ這い出ないように、巨大な迷宮をその地に築き上げたという。

 大陸の半分近くの面積を犠牲としたその巨大な迷宮。

 その創造に神々は力を使い果たしてしまうと、永き眠りについたとされている。


 それから永い時が過ぎ、人は大陸の中央の大部分を占める迷宮を中心に、幾つもの町を築き上げると、長い年月を経てできた壁の亀裂――通称『ゲート』から迷宮へと潜るようになっていた。 



 ◇◆◇◆◇



 俺が住んでいるファタリアという名の町も、迷宮の傍に作られた町の一つだ。

 稀に迷宮を囲む神の城壁を越えて彷徨いでるモンスターから町を守るため、外壁によってぐるりと囲まれたほぼ円形の町。

 町の中央に大きな敷地の広場、その東西南北に大きな通りが走り、門の外へと続いている。そしてその大通りに沿って商店が立ち並び、大勢の旅人や買い物客で賑わっていた。

 そんなメインストリートから幾つもの小道を折れた裏路地に、小さな木造二階建ての家がある。

 二階建てではあるが、家というよりも小屋と呼んだほうがしっくりと来そうなこの小さな家こそが、俺のホームだった。


「さてと……どうしたものかね」


 床板に胡座をかいて座り込み、俺は目の前のベッドで寝息を立てている少女の寝顔を覗き見た。

 もう全裸ではない。

 とりあえず亀裂を通って地底から脱出した俺は、その後に待ち受けていた様々な障害を幾つも乗り越えて、少女を家へと運び入れた。そして自分のシャツを無理やり着せた後、ベッドに寝かせて毛布をかけてやっていた。


 もちろん際どいところを見たり触ったりしないように気をつけてだ。

 意識の無い女の子の裸をジロジロ見るのは、卑劣な気がするから。

 許しを得たとか、幸運にも見えちゃったとかなら遠慮なく見させてもらうけど。

 不思議なことに、地底から出た少女はしばらくして光を発しなくなっていた。

 そうなると、もうどこからどう見てもただの人間の少女にしか見えず、モンスターが擬態しているようにはとても思えなかった。


「警戒する必要もないか……」


 一応、売り物のショートソードを傍に置いて警戒していたのだが、放り出した。

 覗き込んで改めて見て思う。

 綺麗な女の子だった。

 スースーと穏やかな寝息を立てる少女の唇。絹糸を思わせる艷やか金色の髪。整った鼻梁。長いまつげ。

 その長いまつげが細かく震え――。


「……ん」

「お、気がついたか?」


 少女の瞳の色は、ルビーを思わせる美しい緋色。

 美しい顔立ちに緋色の瞳がさらに神秘性を与えているようで、俺の心臓がドキリと大きく跳ね上がる。

 少女はしばしぼんやりとした瞳で何かを探すように周囲を見回していたが、やがて自分の顔を覗き込んでいる俺へと焦点を結び――。


「……お腹空いた」


 桜色の唇からこぼれた最初の言葉は、空腹を訴えるものだった。 

 それからむくりと身体を起こすと、再び殺風景な部屋の中を見回した。


「ここ、どこ? あ、イタタ……頭痛い……お腹空いた……」


 そのまま毛布に突っ伏すようにして身体をくの字に折る。


「お、おい。大丈夫か」

「……ダメかも」


 慌てて少女の身体を支えようとした俺を、上目遣いで見る。


「お腹が空いたんだよ。とりあえず、何か食べさせてもらえない?」

「お、おう。大したものは無いけど、パンとチーズならあるぞ。食べるか?」

「食べる!」


 俺が少女へと差し出したのはパンとチーズ。

 迷宮への携行食として用意したものだが、探索を開始してすぐにジャイアント・ラットの群れと遭遇するという非常事態で食べなかったのだ。

 水溜りへとダイブした際に、鞄と一緒に水の中へ入っていたのだが、防水処理をしていた革製の袋の中に入れてあったため浸水の被害を受けず十分食べられる。

 携行食ゆえ保存第一、味は二の次といった程度の食べ物なのだが、少女はハグハグと美味しそうに口に運ぶ。

 そして瞬く間に平らげてしまった。


「水飲むか?」


 差し出されたコップ一杯の水をコクコクと美味しそうに飲み干すと、人心地ついたというようにお腹を撫でる。


「ありがとう。ごちそうさまでした」

「おそまつさまでした。で、あんた、いったい何者だ? なんであんな所にいたんだ?」

「うーん……その質問には答えられないかな」


 俺の質問に少女は困ったようにポリポリと頬を掻いた。


「答えられない?」

「うん。なぜなら私にもよくわからないからだよ!」

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