二章
「ふぁ~~~~~~~~~~~あぁ~~~~~~~~~~~~」
そんな女子が発していいものか、疑問をもつ声を出しながらナナは両手を上に上げて伸びをする。
「おい、座学の途中だぞ」
俺は肘でナナを突きながら、
「だって~タイクツなんだもん~」
このいかにも活発を絵に描いたような拳闘士がそう不満を洩らし、そのまま後ろへ『ゴロン』と寝転がる。
「ベンキョ~なんかしなくたって、ウチがビリビリくればガツンとやって一発よ! 一発!」
「仕留めた獲物の下処理とかの説明もあるんだから、ちゃんと聞いとけよ! 聞いてくれよ、隊長。コイツ獲物の下処理もできなくて全部、俺にやらせたんだぜ」
「ウチ、刃物キライ」
そう言ってこっちを向いてたナナの身体が『プイ』と逆方向へと向く。
「おいおい、随分と打ち解けたみたいじゃないか」
ブヒー隊長がそんな事を言う。
「勘弁してくださいよ。コイツの世話役じゃないんですよ」
ウンザリしながら返す。
「おっ! そろそろ夕食の時間か――」
大聖堂の真ん中でやっている座学――近くにある炊事場から良い匂いが漂ってきた。
「そういえば――」
俺ふと思った疑問を口にする。
「仕留めた獲物ですけど、さすがに修道院内で調理はできないですよね?」
「そうだな。ここで出されるのは野菜や質素な穀物ぐらいで、修道女達は肉類を口にしないからな」
「どうするんです?」
「んっふっふっふっふっふ――抜かりはないわっ! 近くの宿に食事も出す酒場があるからな、そこに持ち込んで調理してもらう事になっておる」
よほど、楽しみなのかヨダレを溢れださんばかりにそう言う。
「――っと、そろそろガマンの限――行くとしようか」
「あ~……ウチはパ~ス」
ナナは横になったまま腕だけ上げて言う。
小高い丘の上に建てられた修道院――そこを少し下り、すり鉢状の集落の中にある宿屋兼食事――
「なにしてるっ! 早く行くぞ!!」
「あっ! はーい」
よほど早く夕食にありつきたかったのだろう、苛立ちを含まませた隊長の声に俺は小走りになって追いかける。
沈みゆく夕日に照らされた不気味な影に感じた嫌な予感を振り払うように……。
「うぇ~~~~~~~~~~~~~い。もう一軒いこ! もう一軒」
「もう朝ですよ。お店なんかドコもやってないですよ」
アルコール臭い息に辟易しながら、朝靄立ち込める木々の中――修道院へと続く道を歩く。
「おう! ちょっと待ってくれ」
急に立ち止まると、そう言って、
「ションベンしてくる」
腰帯を緩めながら、木々の中へと入っていく。
「はぁ~……」
と、自分自信もアルコール臭い息を吐き出す。
「水は貴重だ。旅の間にノドが乾いた時に保存のきく酒を飲むのが普通」
そういって飲まされたワケだが……。
「マズイ!」
ついつい口に出てしまったが、マズイ! とにかく口に合わない!
それが俺を落ち込ませる。というのも街を離れ、長期が予想される旅では水ではなく、保存も効き、消毒にも使えるアルコール度数の高い飲料が用いられるからだ。
「飲めるようになるまで長旅は無理かぁ……!」
タメ息とともに吐き出された声の後半を飲み込む!
木々を覆う朝靄の中、長い長い髪を揺らしながら白服――ところどころ黒いシミがついた装束を纏った人影がユラリユラリと身体を揺すりながら、こちらに向かってやってくる!
場所が場所なら幽鬼と思える、その不気味な光景に声を詰まらせる。
夢かアルコールがみせる幻影かと疑うも――
「あ、あれはっ!?」
髪が風に流され、一瞬見えたその顔に見覚えがあった!
た、確か……もっと小奇麗な格好をしていて、長い髪は髪留めで纏めていた人――って、ギルド宿舎兼修道院になにかあったって事かっ!?
「お~いっ!」
その可能性に至り、慌てて声をかける。
「!」
俺の声に一瞬、ピタリと動きを止める。
「何かあっ――」
途中で言葉を切ったのは、
「ああああああああああああああああああ――!」
身体の底から絞り出すような越えと、真っ赤に血走った瞳に圧されてしまったからだ!
「しまっ――!」
気がついた時には眼前にまで迫られ!!
「がっ!」
自分の口から潰れた呻き声が洩れる!
しかし、そんな事にはおかまいなしに俺の首を締めあげる!
「キエロ! キエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロ――」
呪詛の様に繰り返される、その声を聞きながら意識が遠のいていく……。
ドンッ!
突き飛ばされるような衝撃の後、受け身もとれずに地面へと叩きつけられる! 背中と腰に痛みを感じるが、それよりも――
「――がはっ!」
身体中が酸素を求めて、夢中で吸い込む。
「大丈夫か?」
傍には先ほどのグデグデな雰囲気とは全く違うブヒー隊長が立っていた。
「ナゼ? ナゼキエナイ? ナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼ――」
そんな事を言いながら両手で自分の頭を掻きむしる! 幾本の髪が指に巻き付き、頭皮と血が爪に付いていた!!
「まいったな……コイツは正気じゃないぞ……」
その様子を見た隊長は――!?
「た、隊長それはマズいでしょ!?」
剣の柄に手を伸ばした隊長に言う。
「斬りはしない」
短くそう言い放つと鞘ごと腰帯から外す。
「ソウネ……モットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモット――タタイテ! ヒキサイテ! ツブサナクッチャキエナイノネ」
ケタケタとブキミな笑いとともに両腕を広げ――一気に距離を詰めてくる!
「ふぅ~……」
隊長は静かに息を吐き出すと、中腰の姿勢で刺突の態勢をとる!
ダンッ!
地を震わせる踏み込みとともに――
「ふんっ!!」
隊長の気合が籠った声とともに真っ直ぐ突きを放つ!
それは――鞘に収まったままの剣は真っ直ぐ相手のこめかみを掠め、耳の少し上を掠めるように抜けていく!?
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア――」
奇声を上げながら、隊長の首に手の伸ばす――マズいっ! いくら隊長でもあの異常な怪力で締められたら――俺のそんな不安は杞憂に終わる。
ドンっ!
突然の権音と共に、まるで背後から後頭部を殴られたかの様に前へと倒れ伏す!
「ふぅ~……なんとか上手くいったか」
隊長はそんな事を言いながら、完全に気絶した女を支えながらそう洩らす。
「い、一体なにがなにやら……」
目の前で事の一部始終を見ていたにも関わらず、何が起きたのかサッパリだった。
「王国式槍術に雷鳴閃という技がある」
隊長は手早く気絶した女の手足を縛りあげ。
「それを使っただけだ。元々、ドラゴンの硬質な皮膚や硬い板金鎧を貫くよう、考案された技で槍先は音よりも速く、弱い相手ならその発する衝撃波で意識を失わせる事も可能だ」
縛り上げた女を担ぎ、サラっとそんな事を言う。
「まっ――戦いを生業とする傭兵だ。このくらいできないと民兵や兼業兵と同じ給料にされちまうぞ」
冗談っぽく言うが実力はまさにプロの兵士。
「急いで戻るぞ。なにか良くない事が起こったらしい」
一瞬で真顔になり走り始める。
人一人を抱えながら、付いていくのがやっと――修道院まで大した距離がなかった事だけが幸いで弱音が口を出るより前に到着する。
「来ないでっ!!」
朝の澄んだ空気を切り裂くような甲高い――悲鳴のような声を上げたのは修道院から出てきた人影――頭と口を白い布で覆っているため、誰かまではわからない。
「流行り病よ! すぐ村に引き返してここの封鎖を――」
「悪いが……もう手遅れだ」
そう言いながら気絶した女を見せる。
「まぁ……なんとゆう事でしょう……」
そう言いながらこちらへ近づいてくる。
「悪いな。おまえにとってはトンデモナイ訓練研修になってしまった様だ……」
責任を感じているのか悲痛な面持ちで言ってくる。
俺は――俺は正直、実感がなかった。
気絶した女に視線を向けるも、自分がこういう状態になるのだろうか? といった漠然としたイメージしか思えなかった。
それが数分前の俺――
「うぅ……」
「熱い! 熱い!! 身体が熱いっ!!!」
そうやって言葉を発してれば、まだいい。ほとんどの者が意味のない奇声を上げているだけ、そんな者達がざっと十五人。皆、寝台に両手足を縛りつけられて苦しみ悶えていた!
それを見た瞬間、先ほどまで現実感のなかった『自分もこうなる』といった感覚がリアルになってきた。
「こ、これは酷いな……」
隊長もこの惨状を見て呻くように洩らす。
「えぇ……。昨日の晩から今朝にかけて症状を訴える者が……」
「なるほど……丁度、我々が村の食堂に言っている間に……そうすると、我々が村に病を運んでしたまった可能性も――」
「いまは止しましょう。どのみち……この進行度合いから察するに今日、明日中には判明する事ですから、今はこの院での悪夢である事を祈るだけです」
顔に絶望の影を貼りつかせたまま、静かに瞳を伏せる。
「――えぇ、えぇ。そうですね。とりあえずは修道院、入口に事情を記した紙と目立つ飾りを付け、誰も近づかない様に――そうですね」
苦しむ病人を前にしても淡々と冷静に今後の事を話し合う隊長と修道女――たぶん修道院長かなんかだろう……そんな事よりも、この惨状を見ても平気でいられる事にうすら寒いモノを感じた。
「なっ!? わ、わかりました……ううむ……」
隊長が突然、今までと違う取り乱した声と神妙な面持ちになり、修道女は頭を下げている。
その後、神妙な面持ちのままやってくると、
「ナナが発病した」
一言、簡潔にそう告げた。
ナナには特別に個室が与えられていた。
「あ……熱い……よ……熱い……」
土気色の表情に昨日までの活発な少女の面影は全くなかった。
「た、隊長……」
俺は自分の声の震えにも気づかずに、
「お、俺もこうなるんですかね?」
中型モンスターを一撃で倒すナナがこんな風になるなんて……。
「…………」
その沈黙はより一層、俺の中にある恐怖心を掻き立てた!
「なんとか言ってくださいよっ! アンタがこんなトコ連れてきたんでしょ!!」
「ヤメテ!」
「なっ!?」
俺の声に反応する様に突然、ナナが俺の剣を奪う!
「ヤメテ……ヤメテヨ……」
土気色の表情で譫言の様に言葉を発しながら、両手で隊長から借りている剣闘士剣を構える!
「ヒドイコトシナイデヨ……ナンデ、コンナコトスルノ?」
「い、一体なにを言ってるんだ?」
無駄とは思いつつも、そう問いかけてみる。
「!」
ナナの身体が宙を舞い、床にたたきつけられる!
「剣士が剣を奪われるな」
気絶したナナの手から剣を取り返すと、こちらへと渡す。
「どうやら感染者には幻覚症状がでるみたいだな」
ナナをベッドに戻し、少し躊躇った後、腕をベッドの支柱に縛り付けながら独白の様に話し始める。
「――こいつは、住んでいた村が野盗に襲われてな」
拘束した腕が抜けないように確かめながら、話しを続ける。
「家族はもちろん生き残った者はナナ一人だったらしい……」
「ま、まぁ……よくある話しっスね」
俺も自分自身の事を思い出し、そう返す。
「そうだな。少し前――戦中なら割とよくある話し……しかしな……ナナの村を襲ったのは人間の野盗だ」
「…………」
「――こいつは身を潜めたとこから見た血に濡れた剣の光景が忘れられないと、それ以来、刃物全般はダメだったハズなんだが……さっきのは一体?」
「幻覚による一種の退行状態だったから? 割と病気にはそういう症状がでるモノが多いと読み聞いた事があります」
「そういうものなのか? ワシにはよくわからんが……おまえにできる事があるならするべきじゃないのか?」
「俺にできる事?」
「神学を学んだおまえなら多少なりとも、伝染病に関しては詳しかろう?」
「た、確かにそういう事を少しは学びましたけど……」
「なら、何かできる事もあるんじゃないのか?」
そうは言うが――
「黒死病みたいな大流行したやつなら……」
「その可能性はないのか?」
少し感染者の状態と黒死病の症状を照らし合わせてみる。
「……ないですね。進行が速すぎます、黒死病なら感染から二日から七日の潜伏期間があるハズです。俺達が村にきて二日目……」
「では、それ以外という事だろう。この次はどうしたらいい?」
「次? 次ですか……」
こんな時は……。
しばらく頭の整理をしている間、隊長はずっと黙っていてくれた。
「もし病気なら感染源を探したほうが……」
「よし! 早速とりかかろう」
「あぁ! 後、感染者をリストアップして何か共通点を――」
「落ち着け。一個一個やっていけばいい。まだ誰も死んでいない、焦るな」
続けざまに提案する俺に隊長は諭すようにそう言ってくれた。
今になって思い返してみれば、病の恐ろしさに取り乱そうとしていた俺に何かをやらせる事で落ち着かせようとしたのかもしれない。