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【小説】リイン花―ネーション

掲載日:2025/12/15

 おれは待っていた。

 金曜日の夜、ホームは仕事帰りの労働者たちであふれている。

 いや、労働者たちだけではない。無職、浪人、死人、移民、不法滞在。

 息をするのにも金がかかる世界。生けとし生きるものたちのため息。

 電車も息を吐いてドアを閉める。おれはその満員電車を見送る。

 疲労の詰まった箱がすべり出ていく。


 生きる事は苦しむことだと考えている。

 だからもう二度と、生まれてくる事のないように。

「まもなく2番線に電車がまいります。黄色い線の内側までお下がりください」

 息をつく暇もなく次の電車がくる。

 ホームは相変わらずため息であふれかえっている。

 スピーカーから流れる音声を聞いている人間は何人いるのだろう。



 その日おれはホームの一番前、黄色い線の内側に立っていた。

 電車が軽い警笛を鳴らしてレールの上を滑りホームに入ってくる。

 誰もおれの背中を押したりしない。

 今日もおれは電車の前に飛び出て死なずに済む。明日を生きなければならなくなる。

 おれを犠牲にしてまで止めたい電車はないし、終わらせたい今日もない。

 人間は案外と行動を起こさない。

 それはおれも同じだ。

 おれは待っていた。いつだって待っていた。


 電車の巻き風にあおられてよろめく。

 だが今日も踏みとどまる。

 そうやって今日の陽も暮れる。

 視界が歪む。滲んだのかも知れない。

 

 曖昧になっていく世界が歪んでいるのはおれの罪の所為だ。

 物を盗んだり人を騙したりしてきた。小さい頃からクソガキだった。

 世界は正しいし、おれは間違っている。

 仕方がない。

 そうやって60億の歪みが世界を回しているのだ。でもそれは言い訳だ。

 つまりはおれの罪だ。

 おれはおれの世界を閉じるべきだ。そうやって60億の世界が閉じた時こそが天国の時なんだ。

 

 だが誰もおれ突き飛ばしたり刺したりしない。

 おれもあと一歩を踏み出したりしない。

 おれが踏みとどまるのはあの世が満員なのだ。

 おれは待っている死人だ。


 今日だって見てきたばかりだ。

 輪廻転生待ちの長い列があの世からはみ出してここまで伸びていた。

 うんざりする行列。

 行き先が地獄か天国かは割とどうでも良い。並んでる奴らだって疲れてる顔だ。

 誰も畜生道に落ちないように頑張って清廉に生きた結果として人間に生まれ変わる人間が増えた。

 畜生道に墜ちる人間が減る。

 そりゃあニッポニアニッポンとか秋刀魚だとかが減る訳だ。

 そして地球上に人類が増え過ぎる訳だ。



 動物愛護団体の奴らは積極的にイルカだとかに転生して欲しい。

 輪廻転生待ち、つまり人間転生待ちと言うのは人間に生まれたからには当然だろう。

 それでも先進国だとか途上国だとかの振り分けは転生希望者が多すぎる。

 説明してくれた奴によれば最近はもっぱら運だそうだ。

 人種も男女も金持ちか貧乏かもランダムなのでニンゲンの次に転生人気があるのは猫だと言う。



 猫なら基本的にどうとてもなる、と誰もが思う。おれだってそう思う。

 しかしそれは先進国の驕りかも知れない。

 世界には猫を喰う文化もある。

 虐待されたり多頭飼育崩壊の憂き目に遭うかも知れない。

 それでも高い格率で可愛がられる。

 人気なのは当然だ。



 説明してくれた奴は他にもこう言っていた。

 やはり魚は人気が無いと言う。

 猫に喰われるからではない、と言う冗談はつまらなかった。

 曰く、転生するにあたって遊園地の人気アトラクションみたいな行列待ちが面倒になって他の動物に転生する場合も少なくない。

 あの行列を見てたらそれは納得がいく。

 魚が不人気なのは徳を積む前に喰われるからだそうだ。

 魚が積む徳と言うのはどういうものか訊き忘れたのでわからない。

 珊瑚だとか海藻はまだマシらしい。

 


 そいつはこうも言っていた。

 ちなみに鳥はそこそこ人気らしい。

 江の島でメシを強奪する鳥は前世で独身だった鳥だと言う噂がある。

 真偽の程は定かじゃない。

 もしかしたらまた冗談かも知れない。


 ちなみに畜生道でも昆虫と言うのは割と徳を積むのが簡単だそうだ。

 草木の受粉をいっぱい手伝うとかで良いのかも知れないというのが定説みたいだ。

 説明してくれた奴もいまいち曖昧だった。

 それで良いのかも知れないと思ったからちゃんと訊いていないが、たぶんそうなので虫に転生したら頑張るしかないだろう。

 運が良ければヘラクレスオオカブトとかだと言っていた。

 そう言う人気の虫ならまだしも蚊とかになると転生ギャンブルを外した憎さから病原菌の媒介などをしてしまい再び畜生道に墜ちるのだと言っていた気がする。

 前世の記憶は蚊にも引き継がれるのか、と訊くと担当の奴は曖昧に笑った。

 いい加減な仕事だ。

 

 ちなみにゴキブリは当然の様に不人気なので転生まちの列が短い。

 ゴキブリ界隈では人間宅に侵入して繁殖するのは当然だとしても、家主に見つかって殺害される個体はマヌケ扱いされるらしい。

 そもそも転生時点で何の確認もせずにゴキブリの列に並んでしまう様な存在なので仕方ないのかも知れない。



 とにもかくにもおれはしばらく死ねない。

 天国や地獄の振り分け待ちの挙句に転生の行列待ちである。

 満員電車です、次の電車をご利用くださいと言うようなものだ。

 それなら毎日待っている。

 電車の様にドア付近に立つ人間が奥に詰めればどうにかなるものではない。

 転生はつまらない。


 地球は満員だ。


 

 つまり地球上の人間が少しくらい死んだところでやはり行列待ちだ。

 転生行列が面倒でなかなか死なない人間が増えている。

 そういえば祖父母もやたら長生きだったなと今さら思う。

 駅員が力尽くで客を車両に押し込むように死んだ人間の魂をあの世に押し込む訳にもいかない。


 安楽死はまだ先の話だ。


 仕方なしにここら辺を徘徊する羽目になる。

 だからおれは待ち続けている。

 待つのが最善策だと説明してくれた奴は言っていた。

 しかし最近では相乗りならぬ相転生と言うものがあるらし。

 ひとりの人間に何人かの魂が入り込んでやっていけるので効率が良いらしい。



 当然積むべき徳も相転生の人数分だけ増えるので大変だと言う。

 ひとつの徳をみんなで分けるならそれも当たり前かも知れない。

 だが相乗りした相手が良ければ多才な能力が発揮できると比較的効率が良いと聞いた。

 しかし逆に相転生で徳が不十分だと畜生道確定なのでリスクも伴う。

 その転生だけでも楽しみたいと思う短絡さはある意味で潔いのかも知れない。

 そうやって割り切ると言うのは大切な事かも知れない。

 特に、少しでもマシな方の人類に転生したいと思う様な元人間たちと比べると浅ましさを感じない。



 しかし結局は俺もまだそこでどうするか決まっていないから死ねない訳だ。

 そうやってずっと待ち続けている現状だ。

 ガキの頃にハタチで死ぬだの27歳で死ぬだのと言っていたが何も決まらずにここまで生きてきた。

 そうなるとなかなか死なない老人と言うのも仕方ない気もする。

 人間はなかなかに浅ましい。

 やはり世界が歪んでいるのはおれのせいだ。


 そもそも自分が相乗り転生じゃないとも限らない。

 大体からして徳が十分に積めているのかも分からない。

 いまのおれが積んだ徳がどれくらいかは教えてもらえない。それは決まりだと言う。

 いくら凄いスマートウォッチでもこれまでに積んだ総徳量みたいなのが腕時計に表示される訳でも無い。

 破戒の総量が何かでわかる訳でもない。

 死んだ時のリザルト画面的なもので確認するしかないのだろう。

 だがやり直しも効かないので大変である。

 気を付けるしかない。



 徳とは難しい概念だ。

 説明してくれた奴はしたり顔で言う。おれもそれには同意する。



 メシ屋はメシを食わせれば基本的に徳を積めているのだろうなと思う。

 そこに辿り着くまでに出す損失だとか食材や部下などのコントロール次第と言うこともありそうだけど。

 なら電車や物流の人間はどうなのだろう。

 運ぶだけで良いのだろうか。

 例えばこの電車の運転手だって乗っている人間と同様に死にたくなったりするだろう。

 誰かの死にたさを運ぶし、何なら死にたさが飛び込んできたり殺したさに押された奴が飛び出してくる訳だ。

 事故は徳に関係があるのか。

 訊いても奴は曖昧に笑うだけだった。



 しかし船や飛行機と違って運転手がトチ狂ったり発作が出たりしてもそこまで酷い事故にはならなさそうだ。

 最近の電車は凄い。

 自動制御が強い。


 いや、そうでもないか。

 速度超過で酷い事故がたまに起きる。


 なんにせよ徳と言うものを積まなければならない。

 それは自覚的に積むと効果は半減しそうだ。

 かといって意識しないと積めそうにも無い。難しい概念だ。

 やらない善よりやる偽善なのか。


 その為に頑張るしかない。

 もう頑張りたくないけれどやるしかない。

 労働と云う祈りを捧げる。

 マニ車を回す。

 そうやって生きて死んだ先に出た答えが徳不十分だったら本当に厭になるだろうなと思う。

 目の前というか足元にいる虫がそういう元人間だった場合の事を考えると何だかやるせない気持ちになる。

 頑張って生きた結果がそれだ。

 それならそれで仕方ないのか。

 

 こいつも苦労したんだろうに。

 そんな悲しさすらこみあげてくる。


 それでも踏んでしまう時は踏んでしまうし蜘蛛だって朝は逃がすけれど夜とか忙しい時はどうしてもやってしまう。

 なかなかに難しい。

 できるだけひとには優しくしてるつもりだ。

 けれど親切にしきれなかったことを思い出しては苦しむことになる。

 完璧にはやれないものだとしても忘れてしまいたい事ほど忘れられない。

 そんなことを担当してくれた奴に一生懸命に話してみたものの通じなかった。

 そいつは曖昧に笑うのが仕事だった。

 


 

 おれの来世は花に決まったそうだ。

 担当の奴は同じ顔でそう言って笑った。

 精々綺麗になって、贈られた母を喜ばせるしかない。


 花屋の店先に並べられるのは運が必要か。

 

 険悪な関係の継母に送られることもあるだろう。

 花になったおれはすぐに折られたり毟られたりしても、それは仕方ない事だろう。


 電車のドアが閉じた。

 機械の身体に転生する駅はまだ当分先らしい。

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