あしたのしあわせ
仕事帰りスーパーに寄る。「ほら〜感じるでしょう」聞き馴染みのある軽快な店内BGMが、仕事の疲れを癒してくれる。思わず歌詞を口ずさんでしまう。我ながら子供っぽくて恥ずかしい。
春巻きの皮、じゃがいも、エビ、大葉を慣れた手つきでかごに入れる。私はふと、子ども連れの母親たちの笑い声に目を向ける。
あの輪の中に自分がいたかもしれない。一瞬だけ胸がざわつく。
家に帰り、スウェットに着替える。
具材をまな板の上に置き、壊れ物を扱うかのように優しく撫でる。鼻歌を歌いながら、上機嫌に刻んでいく。ザク、ザク、とリズム良く。
音が小気味よく耳を刺激するたびに、今日こそは食べてくれるかもしれないと胸の奥が小さく弾む。
夫の好物は春巻きだ。義母の得意料理で、食卓にたびたび出たらしい。昔は二人で一緒に包んだこともあった。
そのときの笑い声や、油の弾ける音が、まだ耳に残っている。あの子とも作りたかった……。もう叶わない夢に心を侵食され、目の奥に熱いものを感じる。
努力は報われるはずだ。
ショウガを加え、具材を炒めると、食欲をそそる香りが部屋に満ちる。喉の奥に刺さるような鋭い空気を柔らかなものへ変えてくれた。
包む作業は手間がかかるけれど、それこそが愛情の証だと、昔、夫が言っていた。
くるっと巻いて、端を折り、また巻く。
油に沈めると、パチパチと黄金色の泡が立つ。痛々しいほどまでの純白が色づいていく。
その姿をただ、じっと、瞳を動かさず見つめていた。
テーブルの上に、二人分の皿を並べる。
コップにビールを注ぎ、一息つく。
グラスの表面に水滴が伝い、指先が少し冷たくなる。
帰ってきたら一緒に食べよう。
その言葉を胸の中で転がしているうちに、ゆっくりと視界が暗くなっていった。
ピーチだろうか、フルーティな甘い香りが音とともに漂ってくる。その香りに手足の熱が奪われていく。
「……おかえり。遅かったね」と笑いながら吐いた声が、少しだけ震えていた。
食卓には、冷めた春巻きが並んでいる。時計の針が一分、また一分と進む。
「先にお風呂にする?」甘い匂いが遠くなっていく。待ってと言いかけたが、ぐっと歯を噛み締め飲み込む。深く息を吸って微かに残る香りを追う。まだ、自分の中に留めておきたかった。
しばらく経ち、キッチンに立つと、三角コーナーの中に、冷めきった春巻きがぐったりと横たわっていた。黄金色の輝きは、無色の拒絶に変わっていた。
私は静かにその場を立ち去り、寝室のドアを閉めた。拳をぎゅっと握りしめる。
噛みしめた唇から、赤がにじむ。
その鉄の味が、私を現実につなぎとめていた。
ベッドに横たわる。シーツの片側だけが、いつも冷たいままだ。彼は今日もソファで眠るつもりなのだろう。目を閉じると、油の弾ける音と、春巻きの香りが蘇った。思い出も弾けて飛んでいってしまったらいいのに。
「明日は何を作ろうか」
そっと、祈るように、呪うように、小さくつぶやく。




