第九話
「屋敷を出る前にミュリーと少し話しておきたいと思いましてね」
そう言ったオリヴィエ様は、すぐ隣を手で叩いて座るよう促した。普段は対面であることが多いのに珍しい。そんなに大きなソファではないのでかなり距離が近くなるのが私の緊張を誘うのだが。
「まずはそうですね、今日のミュリーを褒めさせてください。美しい、という単純な言葉で言い表すことが出来るとは思いませんが、とても美しいです。まさか、私の色を身に纏ってくれるとは思いもよりませんでした」
私のドレスは、白のサテン生地を基調としつつも、随所に薄い緑色が散りばめられている。これは、オリヴィエ様の色を纏っていれば私の自信になるのではないだろうかという考えのもと取り入れてもらったもの。本人にこれほど喜ばれるとは想定していなかった。
「オリヴィエ様のパートナーとして、婚約者として参加するパーティーですから」
「嬉しいです。今日はミュリーの隣から離れるつもりはありませんが、もしも離れたとしてもそのドレスであれば一目で私の婚約者であることが分かりますね」
そう言われて、私の顔は少し火照り、色づいた。
この色を身に纏うことが持つ意味は理解していたけれど、改めて本人から指摘されると意識してしまう。
「ディルヴァーン侯爵家のパーティーなので素行に問題のある人間はいないはずですが、今日はミュリーが1番注目を集めると思うので注意しておいてください。なるべく、私のそばから離れすぎないようにしてくださいね」
「分かりました。気をつけます」
どうやら話はこれで終わりなようで、オリヴィエ様は立ち上がった。
そして私へまっすぐと手が差し出された。
「参りましょうか、ミュリー」
「はい」
オリヴィエ様のエスコートのもと、私たちは馬車へと乗り込んだ。
会場であるディルヴァーン侯爵邸はそこまで距離が離れていない。王城へ参上するよりもずっと近い。
「ミュリーはデビュタント以来初めてのパーティーですか?」
「そうですね。デビュタントも緊張していたのか詳しいことは覚えていないのです」
私が正式に社交の場へ出たのはその1回きり。社交というものはドレスを仕立てたり、馬車を整備して使ったりとお金がかかるものなのだ。我が家にそのような余裕はなかったし、社交の最大の目的である人脈作りも、積極的ではない両親の方針で行おうとすら思ったことがなかった。
グランジュ公爵家の人間となれば、社交界と関わらずに生きて行くことは絶対にできないと言っても過言ではない。不慣れだからと言い訳をすることはできないのだ。
「今日のパーティーは日頃からディルヴァーン侯爵家と関わりのある貴族ばかりが集められていると聞いています。久しぶりに参加する社交には向いているのではないでしょうか」
私がロレッタ様と親しくなってからまだ日が浅く、今日のパーティーに参加する貴族の中では最も異質な存在なはず。そんな私と関わろうとする貴族はいるのだろうか。
今になって不安に襲われていると、オリヴィエ様が私の手を取った。
「何か、心配なことでもありますか?」
彼の表情はとても穏やかで温かい。いつも私を気遣い、心配してくれる。
「いえ、大丈夫です。少し緊張しているみたいですわ」
「そうですか。そんなに緊張しなくても、そこまで堅苦しい会でもないですから。かく言う私も、久しぶりの社交で少しばかり緊張していますが」
照れを隠すように笑ったオリヴィエ様は、いつもより私と近くにいる気がした。
「ご主人様、到着いたしました」
しばらくして馬車が止まったかと思うと、御者から声がかかった。
「ご苦労。ミュリー、心の準備は良いですか?」
「はい、大丈夫です」
御者の手によって開かれた扉の先には大きな建物と、参加者と思われる貴族たちが見える。
瞬間、ついに来てしまったと緊張が戻ったけれど、オリヴィエ様の手を取ったらすぐに消えて無くなってしまった。
会場に入ると、貴族たちの視線が一気に私たち2人へ集中した。
病気の影響でほとんど社交界に顔を出していなかったオリヴィエ様。斜陽伯爵家出身で、デビュタント以来社交に出ていない私。そんな2人が婚約をし、揃って現れたのだから、注目の的になるのは仕方のないことだろう。
「オリヴィエ様、やはり私たち注目されていますね」
「私たちが婚約したという話は王城へ参上した日から広まっていますし、2人とも社交界へ出るのは珍しいですからね」
苦笑しつつ言ったオリヴィエ様の手に力が入った。
「ミュリーに不躾な視線を送ってくる人たちは許し難いですがね…」
「不躾な視線、ですか?」
少し周囲に目を向けてみると、何人かの男性と目が合った。相手は明らかに目を逸らしたので私を見ていたことは間違いないだろう。
「皆さん、オリヴィエ様よりも私に興味がおありなのでしょうか?」
正直、自分で言って悲しくなるが見ていて良い気分になる容姿をしているとは思っていない。オリヴィエ様は私のことをしきりに褒めてくれるけれど、世間一般の評価というものを私は理解していると思う。
そして今は隣にオリヴィエ様がいるのだ。彼は闘病の影響でやや痩せ型ではあるものの、元からの容姿の良さというものは消えていない。そこらにいる男性とは到底釣り合わない程には。
にも関わらず、私に目を向けてくる人がいるというのには困惑でしかない。
「ミュリーは日に日に美しくなっていますし、私の婚約者というだけでそういった視線を送ってくる人もいるのですよ。今日は気をつけてくださいね」
「分かりました…」
そんな話をしつつ会場を進むと、正面に見覚えのある方の姿が。
「ようこそお越しくださいました、グランジュ公爵、アリスタシー伯爵令嬢」
「お招き感謝いたします、ディルヴァーン侯爵令嬢殿」
今日のロレッタ様は、深紅の生地にバラのレースをあしらったデザインのドレス。珍しい黒髪がよく映えている。
社交辞令的な挨拶を終えると、ロレッタ様が席を勧めてくださった。特にお断りする理由もないので、勧めのままに着席することにした。
「ミュリエル様、本日のドレスとても良くお似合いですわ!」
「ありがとうございます。オリヴィエ様に贈っていただいたものですの」
女性が男性からドレスなどの衣装を受け取るのは、婚約者や夫婦などの特別親しい間柄でのみ許されている行為。今はロレッタ様にしか聞こえないほどの声量だが、周りの人が聞けば一瞬で婚約が噂から事実へと昇格するだろう。
「素敵ですわね! その色も、ミュリエル様がお選びになったのですか?」
「…はい、そうです」
ロレッタ様の言う、その色とはドレスに入っている緑のことだと思われる。きっと社交に長けたロレッタ様のことだから、この色がオリヴィエ様の色であることにはとっくに気づいているはずだ。
「今日の注目はミュリエル様に集まること間違いなしですわね」
ロレッタ様の言葉に、オリヴィエ様が口を出した。
「それは困りますね」
ずっと私の隣で話を聞いていたオリヴィエ様が急に話し出したので、少々驚いてしまった。
「公爵、困るとはどう言う意味ですの?」
「いえ、単に私のミュリーをあまりジロジロと見られたくはないという話ですよ」
その言葉と同時に、私の肩にオリヴィエ様の手がかかり、引き寄せられた。
私は何の抵抗もする暇を与えられぬまま、オリヴィエ様の腕の中に抱き止められてしまった。
「…!?」
脳内パニックで何も言葉が出ない。
「全く、余計に注目を集めてどうするのですか。見られて減るものでもないでしょうに」
ロレッタ様は少々呆れたように息を吐いて言った。
しかし、私はまだ整理がついておらず、何も言葉は出ない。
「いいえ、減りますよ。ミュリーはすぐに周りを魅了してしまうのですから、気をつけるに越したことはありません」
そんな、人を惑わすおばけ呼ばわりされる筋合いはないのですが。大体、私には心当たりがない。
「気持ちは分かりますよ。私も彼女に魅了された人間の1人ですから」
ロレッタ様まで私をおばけ扱いしだした。ひどいとは思わないのだろうか。
結局、オリヴィエ様の腕の中から解放されたのは、もうしばらく経ってからだった。




