第八話
「それにしても、ミュリーとロレッタがこんなにも早く仲良くなるとは思いませんでしたね」
珍しいこともあるものだと言いたげな表情。
「そうなのですか?」
「はい。彼女は社交会で華と呼ばれていますが、初対面の相手から少々怖がられる傾向にありまして…」
オリヴィエ様は苦笑しつつ続けた。
「本人はキツイ目元のせいだと言っていましたが、単に高嶺の花すぎるだけだと思います」
確かにロレッタ様の目は切れ長で、私自身も最初はクールな印象を受けた。実際にお話をしてみればとてもお優しい方であることが分かったが、社交界で初めて話す相手にはそれが伝わりにくいのかもしれない。
「彼女はとても頭の切れる女性ですから、きっとミュリーの力になってくれると思いますよ。もちろん、何か困ったことがあれば真っ先に私へ相談して欲しいですが、対応できない時もあるでしょうからね」
私はオリヴィエ様の言葉に深く頷き同意した。
その夜、私はロレッタ様へのお返事を書きながら1日のことを振り返った。
公爵邸に来てから私の人生は大きく変化し、特に今日は初めて女性の友人ができた。私にとっての友人はただ1人、オリーヴだけで、今となってはもう友人ではなく婚約者となっている。つまりロレッタ様は私にとって唯一の友人とも言えるのだ。
私はここ1ヶ月の間、ずっと悩んでいた。家柄が良いわけでも、容姿が美しいわけでもない自分が、オリヴィエ様の婚約者として堂々と隣を歩いて良いものか、と。
お父様とオリヴィエ様が決めた政略結婚だと始めは何とか自分を納得させていたけれど、世間から見ればただ釣り合いのとれていない婚約にしか見えない。それが、オリヴィエ様、もしくはグランジュ公爵家の名誉を傷つけることになるのではないだろうかと考えずにはいられなかったのだ。
けれど、ロレッタ様は私をオリヴィエ様の婚約者としてごく自然に受け入れてくださった。それが、私の心を縛っていた重い鎖を少し解いてくれたのだ。私にとってそれが、どれほどありがたく、嬉しいことなのか他の人には理解してもらえないと思うけれど。
ロレッタ様も、オリヴィエ様も、私個人を見て会話をしてくれる。ずっと、グランジュ公爵家の夫人を名乗るに相応しい立ち居振る舞いをしようと気を張っていた分、2人のその優しさがとても温かい。
いつか、私の心から不安が消え去ったその時には、2人に深い感謝を伝えたい。私に自信を与えてくれてありがとう、と。
それからパーティーまでの3週間、今までよりも頻繁にオリヴィエ様と一緒に時間を過ごした。どうやら、最近は仕事が落ち着いているという言葉は、私に対しての気遣いではなく事実だったようだ。
共に食事をとり、サロンや庭園で他愛もない話をして。特別な何かがあったわけではないけれど、お忙しいオリヴィエ様が空いている時間を私のために使ってくださるのが嬉しくて、何だか心の底がこそばゆいような感覚になった。
「ミュリー、パーティーのために仕立てているドレスは順調ですか?」
「はい、当日の2日前までには完成して届くと聞いています」
オリヴィエ様が新しくドレスを仕立てるよう手配してくださった翌日、すぐにお針子がやってきて話はどんどん進んだ。色やデザイン、こだわりなどを聞かれたが、自分用にドレスを仕立てるだなんて本当に久しぶりのことだったので、希望はほとんど出せなかった。唯一、オリヴィエ様の瞳の色である薄い緑色を取り入れてほしいというもの以外は。
「当日がとても楽しみですね。王城へ参上した時に来ていたドレスもとても素敵でしたし。ミュリーはなんと言いっても綺麗な髪と瞳をしているので、どんな格好をしていても光の妖精のように美しいですが、やはり相応しい盛装をするとその魅力がより一層引き立つと思います」
オリヴィエ様の誉め殺しも、この3週間でエスカレートしている。もはやよくそんなに褒めるところを見つけることができるなとある種感心してしまうのだが。
「…オリヴィエ様、そのあたりにしておいていただけると助かりますわ」
家族以外の人間から褒められた経験など皆無に等しいし、相手がオリヴィエ様であるために、そのように口撃されると私の心臓がもたない。きっとオリヴィエ様は当日私の姿を見てまた褒めてくださるのだろうから、褒め言葉はその時まで取っておいていただきたい。
ドレスの完成を待ちながら、パーティーでの作法やダンスのレッスンを受けていると、あっという間に当日となった。
ちなみに、数日前公爵邸へ届けられたドレスは、一目見て息を呑むほど美しいものだった。お針子の、私の名誉をかけてアリスタシー様に相応しいものをご用意致しました、という言葉にも納得できる。
「さぁ、時間に余裕を持ってお支度をいたしましょうね」
「今日はミュリエル様がご主人様の婚約者として初めて社交の場に出向かれる日ですから、会場のどの淑女よりも美しく、完璧でなければなりませんわ!」
私の身支度を担当してくれる使用人たちの気の入り様は過剰だが、私にオリヴィエ様のパートナーとして隣を歩く勇気を与えてくれるように手を尽くしてほしい。
「本日はご主人様とファーストダンスを踊られる予定なのですよね?」
「えぇ、そうなると思うわ。何か失敗をしてしまわないか不安で仕方がないのだけれど…」
私と一緒に行動していなくても、オリヴィエ様は会場内で目立つ存在。そんな彼のパートナーである私も、きっといろいろな種類の視線を受けることになるのだろう。もうそれは諦めているが、私が失敗をすることでオリヴィエ様に恥をかかせるような事態だけは避けたい。
「きっと大丈夫ですよ。そのために毎日ダンスのレッスンを受けておられたのですから」
「そうですよ。ファーストダンスは全ての婚約者たちにとって1度しかない、とても特別で大切なダンスですから、失敗などは気にせずに楽しんでください!」
せっかく使用人たちが張り切って支度をしてくれているのだから、不安ばかり吐露するのはやめた。どれだけ心配していても、失敗というものは突然起こるのだ。ロレッタ様が招待してくださったパーティーを心から楽しめないのはもったいない。
「そうね、ありがとう」
私の言葉に使用人たちはにっこりと笑って、その調子ですよ、と言った。
身支度がちょうど終わった頃、オリヴィエ様の使用人が部屋へとやってきた。
「ご準備はお済みでしょうか?」
「えぇ、つい先ほど終わったところよ」
「それはようございました。ご主人様がサロンにてお待ちです」
出発の時間には余裕を持って支度をしていたが、思っていたよりもかかってしまったみたいだ。遅れるわけにはいかないので、すぐにサロンへ降りた。
「オリヴィエ様、お待たせいたしました」
開かれた扉の先には、眩しいほどに輝いているオリヴィエ様の姿が。少し驚いたような表情を見せたが、何か問題でもあっただろうか。
王城へ参上した時は普段よりも少し豪奢な装いという程度だったが、今日の彼は気合の入り方が違う。アリスタシー伯爵家へ馬車でお見えになった時のようだ。
「いえ、時間には余裕があるので問題ありませんよ」
「…?」
ではなぜ、私は支度が終わってすぐにサロンへ呼ばれたのか。




