第六話
翌日からまた、私の生活は規則的なものに戻った。
別棟で生活しながら、たまにオリヴィエ様と食事を共にする。
オリヴィエ様はグランジュ公爵家の若き当主として、領地経営という仕事を担っている。アリスタシー伯爵領とは違って肥沃な土地で領民も多いため、その仕事量は計り知れない。
そのため、オリヴィエ様と顔を合わせるのは数日に1度だ。
「ミュリエル様、お手紙が届いております」
そんなある日、使用人から手紙を手渡された。
美しい封筒には、丁寧な字で書かれた差出人の名前。
『ロレッタ・ディルヴァーン』
彼女の名前は、社交界に疎い私でも知っている。この国の社交界で華と呼ばれている侯爵令嬢である。
私とそう変わらない年齢にも関わらず、完璧な礼儀作法と巧みな会話術を身につけた存在として有名なのだ。
そんな人から私宛に手紙が送られてくる理由など、全く見当がつかない。
おそるおそる手紙の封を切り、便箋を開く。瞬間、ふわっと花の香りが上がってくる。
ディルヴァーン侯爵令嬢にお会いしたことはないけれど、きっとこの花の香りのように優雅で華やかな方なのだろう。
『ミュリエル・アリスタシー伯爵令嬢様
突然のお手紙を差し上げる失礼をお許しください。
このたびペンを執りましたのは、アリスタシー様とお話しする機会を頂きたいためにございます。もしご都合がよろしければ、ぜひ我が家にお越しいただき、ひとときお顔を拝しながらお話しできれば幸いに存じます。
まずは略儀ながら、お手紙にてご案内申し上げます。
ご検討の上、お返事いただけますと幸いです。
ロレッタ・ディルヴァーン』
あまりに急な話で驚いてしまった。何度か読み返して、ようやく内容を理解できた。
「オリヴィエ様にご相談したいことがあるのだけれど、時間をとってくれるように伝えてもらえるかしら?」
「かしこまりました」
ディルヴァーン侯爵令嬢が私にどんな話をしようとしているのかは分からない。けれど、私宛の手紙がグランジュ公爵家に届けられたということは、彼女は私が公爵家にいると知っていたということ。つまりは、私がオリヴィエ様の婚約者となったことも知っておられるかもしれない。
そうなると、私の独断でお返事はできないし、勝手に侯爵家へお伺いするわけにはいかなくなる。私の行動が、名門グランジュ公爵家の名に傷をつける可能性がある以上、その自覚を持って慎重に動かなければならないことくらいはもう理解している。
「お話があると聞きました。何かあったのですか?」
翌日の晩餐中、オリヴィエ様は話を振ってくださった。
「はい。実はディルヴァーン侯爵家のロレッタ様から侯爵邸への招待をいただきました。遅くならないうちにお返事を出さなければならないのですが、お受けしても構いませんか?」
オリヴィエ様は不思議そうな顔をして答えた。
「えぇ、もちろんですよ。ミュリーから話があるとのことだったので何事かと思いました。この程度のことなら、私の許可など取らずに自由にしてもらって構いませんよ」
「…分かりました。また同じようなことがあった場合は私の判断で決めさせていただきますね」
私には友人と呼べるような人はオリーヴしかいないので、今後同じような誘いが届く可能性はかなり低いが。
「おそらくですが、ディルヴァーン嬢は私の婚約者、ミュリーに興味があるのだと思います。彼女とは幼い頃からの知り合いですから」
「そうだったのですね。存じ上げませんでした」
「無理もありませんよ。最近はほとんど関わりがなかったですし」
同じ年頃の高位貴族令息令嬢となると、そう多くはない。オリヴィエ様とディルヴァーン侯爵令嬢が友人であることは、少し考えれば分かったことだ。
「まぁ…悪い人ではないので仲良くしてもらえると私も嬉しいです。何かあれば、すぐに私へ言ってくださいね」
「はい」
なんだか歯切れの悪いオリヴィエ様を不思議に思いつつ、どんな方なのかと思いを馳せた。
『ロレッタ・ディルヴァーン侯爵令嬢様
このたびはご丁重なお誘いを頂戴いたしまして、大変光栄に存じます。
喜んでお伺いさせていただきます。
お目通り叶いますことを、今より心待ちにしております。
ミュリエル・アリスタシー』
私はディルヴァーン嬢のような美しい字ではないし、文才もない。せめて、失礼のないように一文字一文字を丁寧に書くことを意識して。
「これをディルヴァーン侯爵邸に届けてもらえるかしら」
「かしこまりました」
ディルヴァーン嬢が何のために私を招待したのかは当日になってみるまで分からない。何事もなく穏便に終わることを願うばかりだ。
返事を出してから1週間と少しが経ち、とうとう当日を迎えた。
朝から気合を入れて身支度を行い、料理人に頼んで贈り物として菓子も用意した。
使用人たちにもこれで失礼がないか確認したので、きっと大丈夫だ。
グランジュ公爵邸からしばらく馬車に揺られ、到着したディルヴァーン侯爵邸は大きく門扉が開かれ、入り口には凛とした淑女が立っていた。
まさか出迎えまでされるとは思ってもいなかったので少し焦ったが、深呼吸をして何とか落ち着きを取り戻した。
「ようこそおいでくださいました、アリスタシー伯爵令嬢様。ロレッタ・ディルヴァーンと申します」
まさに手本のような、洗練された淑女の礼。私もこれに応えて膝を折った。
「本日はお招きありがとうございます。ミュリエル・アリスタシーと申します」
ディルヴァーン嬢は、この国では珍しい黒髪の持ち主で、切長の目も相まってクールな印象を受ける方。そして、社交界の華と呼ばれているだけあってお人形のように美しい顔立ちとスタイルの持ち主だ。
挨拶もそこそこに、通されたのは庭園の一画にあるガゼボ。腰を下ろすと庭園の花々が視界を彩った。
「庭園がお気に召されましたか?」
「はい、とても。どの花もみな、この庭園の主役として堂々と咲き誇っていて、庭師の方が丹精込めてお世話をされているのがよく分かります」
私の答えに、少し驚いた表情を見せたディルヴァーン嬢は、しばしの間をおいてありがとうございますと言った。
「お招きしたのは他でもなく、グランジュ公爵と婚約をなさったとお聞きしたからですの」
しばらくして本題を切り出したディルヴァーン嬢は、今までとは少し違う空気を纏っていた。まるで私のことを見定めるような、そんな目をしている。
「公爵とミュリエル様はいつ頃からお知り合いでしたの?」
「私が10歳にもならない頃からです。家同士ではなく、個人としての交流がありまして、互いに良い年頃ということで公爵様から縁談を頂きました」
私とオリヴィエ様が文通をしていたことは、2人だけの秘密ということになっている。知られて困ることでもないと思うのだが、これはオリヴィエ様の希望によるものなので私が勝手に明かすことはできない。
「…そうでしたの。社交界では急に公爵の婚約が決定したと令嬢たちが噂をしておりますわ」
「皆様から見て急だと感じられるのは無理もありません。私の元にお話が来たのも随分と急でしたから」
何だか、ディルヴァーン嬢の発言から少しの棘を感じる。オリヴィエ様とディルヴァーン嬢は旧知の仲とのことなので、彼女もオリヴィエ様に恋心を寄せていた令嬢の1人なのだろうか。
「公爵はほとんど社交には顔を出していませんでしたが、同世代の令嬢からの人気はとても高かったのですよ。容姿端麗で、何より名門グランジュ公爵家の当主ですからね」
ディルヴァーン嬢の目がすっと細められて、まるで蛇に睨まれているようだ。彼女は私からどんな言葉を引き出したいのだろうか。
これは、俗にいう『どうしてあんたみたいな女が公爵の婚約者に!?』というものか。
実家では古い恋愛小説を読むことを趣味にしていた私は、この状況に少しばかり心を躍らせてしまう。
「ディルヴァーン様はオリヴィエ様のことを慕っておられるですね」
つい口に出してから、あまりに直接的すぎたと思ったがもう遅い。
ディルヴァーン嬢の顔はみるみるうちに薔薇色に染まっていく。




