第五十三話
扉の奥から姿を現したのは、本日の主役である王太子殿下だった。
私は驚きのあまり出かけた大きな声をぐっと飲み込み、立ち上がって礼をした。
「王太子殿下にご挨拶申し上げます。この度はご結婚、おめでとうございます」
「ありがとう。けれど、そんなに畏まらなくていいよ。私たちの他には誰もいないからね」
殿下は私を制しつつ、私たち3人が座っていたソファの側まで近づいて来られる。式の時とは格好が変わっており、どうやら既にパーティーに向けたお召し替えは済んでいるようだ。
「ヴィー、久しぶりだね」
「そうですね、そちらは元気そうで何よりです」
オリヴィエ様の言葉に微笑みながらソファに腰を下ろした殿下。どうやらこのまま歓談がはじまりそうな雰囲気だが、今日の殿下にそのような時間があるとは思えない。今日の最も大切な予定が終了したとはいえ、これからまだパーティーがあるのだ。
「自分は元気じゃないって? 面白くない冗談はやめてよね。もう十分元気になったでしょう」
「…今日こうしてここにいられる程度には。それより、アルはここにいても良いのですか? 色々としなければならない準備もあるでしょうに」
オリヴィエ様が私の疑問を代弁してくださった。しかし、それに対しての殿下の返答はあまりにもあっさりとしていた。けれどそこには確かにオリヴィエ様への深い友情も感じられた。
「パーティーに少し顔を出したら、ヴィーは帰ってしまうでしょう? 1年ぶりに再開した友人とゆっくり話をする時間くらい、私にだって作れるよ」
殿下の言葉にオリヴィエ様は何も言わなかったけれど、表情は明らかに喜びの笑みをたたえていた。
私は殿下の前に紅茶のカップをお出しして、自分も席につく。
「アリスタシー嬢も変わりないようでよかったよ」
「お気遣いいただきありがとうございます」
どうやら殿下は、本当にオリヴィエ様と歓談をするためにここへお越しになったようだ。
「式は、アルに先を越されてしまいましたね」
「1年もあればね。立太子をした以上、いつまでもロレッタを婚約者のままにはしておけないし」
「アルフレッドがなるべく早く式を挙げたいと私を急かしたこと、忘れていませんよ…」
3人のやり取りに、私は思わず笑みをこぼしてしまう。普段は王太子、側近、公爵というそれぞれ別の立場にある3人がこうして集まり、気の置けない友人同士として楽しげに会話している姿は見ていて微笑ましい。
そうして私が聞いていても良いのか判断に困るような結婚式の裏話に耳を傾けていたところ、再び部屋の扉が叩かれた。楽しそうな3人の邪魔をしてはいけないので、今回は私が応対することにした。
立ち上がり、扉の前まで行くと、向こうから聞こえてくるのは聞き馴染みのある方の声だった。私は、今開けますね、と声をかけてから扉を引く。
「ミュリエル様!!」
半ば私に抱きつくような姿勢で姿を現したロレッタ様は、私が受け止めたのを良いことにそのまま抱擁を求めた。
「ロ、ロレッタ様…!?」
突然のことに動揺を隠し切れない私は、戸惑いつつも彼女の要求に従った。王太子妃となられたロレッタ様とこのようなことをして、不敬にならないだろうかと焦ったが、殿下がここには私たちしかいないと仰っていたことを思い出して少しばかり落ち着いた。
「アルフレッドがここにいると伺いまして、私の準備が終わりましたから参った次第ですわ」
「そうでしたか、殿下は奥でお話をしておられますわ。ロレッタ様もご一緒されますか?」
「えぇ、そうさせていただきますわ。まだパーティーまでは少しばかり時間がありますから」
ようやく私から体を離したロレッタ様は、ひとつ咳払いをしてから奥のソファへ足を向けた。私もロレッタ様に続いて元いた席へと戻り、殿下のお隣へ座られたロレッタ様を見る。
「公爵、お久しぶりですわね。ミュリエル様のお手紙で聞いていたよりもずっと元気そうで一安心ですわ」
「ロレッタも、相変わらずですね」
どこか含みのある言い方をしたオリヴィエ様だったが、ロレッタ様はそれを気にも留めていないご様子。
「ロレッタもヴィーに会いに来たの?」
「…それもありますけれど、1番の目的はミュリエル様とお話をすることですわ」
「なるほどね。ロレッタとアリスタシー嬢もしばらく会えていなかったか」
お忙しい中、私に会うために時間を作り、ここまで足を運んで下さったことに喜びを感じた。王太子妃となられたことで今まで通りの関係性というわけにはいかなくなったが、ロレッタ様個人としては友人という対等な関係を変えるおつもりはなさそうである。
「ミュリエル様、殿方は積もるお話もあるでしょうから、私たちは2人でお話をしましょう?」
「はい、ロレッタ様がそれでよろしいのでしたら、私は構いませんよ」
大体、先ほどから私は男性3人の会話に参加していなかった。ただ耳を傾けるだけで、特に何も発言していなかったのだ。私がロレッタ様と2人でお話をしていても構わないだろう。
「久しぶりにミュリエル様と直接お会いしてお話ができて嬉しいですわ。もちろんお手紙をいただくのも嬉しいですけれど」
「私も、ロレッタ様とお話ができて嬉しいです。今後はこうして過ごすことも難しくなるでしょうから…」
「まぁ、どうしてですか!?」
私とロレッタ様の間にあるローテーブルに手をつき、身を乗り出すようにして問うたロレッタ様。その様子を見た殿下は、左手でロレッタ様を制された。
「ロレッタ、一旦落ち着いて。アリスタシー嬢が驚いているよ」
「…失礼いたしましたわ」
落ち着きを取り戻したロレッタ様は、再度私に問うた。どうしてですか、と。
「ロレッタ様は王太子妃になられたのですから、今後は公務や社交など忙しい日々をお送りになるでしょう。私とゆっくりとお話をする時間を取ることは難しくなるはずですわ」
王族が担う公務については詳しくないが、それが楽なものではないことくらいは容易に想像できる。今までのように親しい友人同士として話をする時間は取りにくいだろう。
「そういうことでしたら、ご心配には及びませんわ。私は求められる役割を完璧にこなした上で、ミュリエル様との時間も確保してみせますもの!」
「そ、それはつまりロレッタ様がご無理をなさるということではありませんか。それはいけませんわ、ロレッタ様のお体に何かあれば、それこそお会いすることが叶わなくなってしまいますもの」
私とロレッタ様の問答は、殿下によって終止符が打たれた。
「2人とも、そのあたりにしておこうか。ロレッタが無理をしないといけないほどの公務は割り当てないし、様子は私が責任を持って見ているから、安心して欲しい。大丈夫だよ、今まで通り、会いたい時に会えばいいさ」
「アルがこう言っていることだし、ミュリーも安心して良いと思いますよ」
殿下にそこまで言われてしまえば、私にはもう何も言えない。ロレッタ様も特に異議はなさそうだ。
こうして楽しい時間はあっという間に過ぎて行き、そろそろパーティーの会場へ移動する時間になってしまった。名残惜しいが、いつまでもこの部屋で歓談しているわけにもいかないのだ。
「それでは、私たちは先に会場へ入っていますね」
「あぁ、また後で」
私はオリヴィエ様の車椅子を押し、控室を出て会場であるホールへと向かった。




