第五十一話
「ミュリーの準備はもう整ったのですか?」
「はい。おかしなところはありませんか?」
私はオリヴィエ様の前でくるりと回ってみせた。使用人たちがあんなにも手をかけてくれたので大丈夫だとは思っているが、やはりオリヴィエ様に確認してもらった方が安心はできる。
「問題ないと思いますよ。今日のミュリーを見たら、周囲の人間も釘付けになるかもしれませんね」
「ふふっ、オリヴィエ様ったら大袈裟ですわ」
今日はロレッタ様という美しすぎる主役がいるのだ。私ごときが注目を集めるようなところではない。そもそも、注目されたいとさえ思わないのだが。
そんな話をしているうちにオリヴィエ様の支度も整ったようで、馬車の用意も済んだと声がかかった。
「参りましょうか、オリヴィエ様」
「はい」
オリヴィエ様の表情はどこか緊張を帯びていたが、きっと彼なりの葛藤がそこにはあって、私はただ側で寄り添うことしかできないと理解していた。
エントランスホールを出てすぐの車止めに用意された馬車は、今まで私が外出に使ってきたものとはまた違うものだった。乗降口には緩やかなスロープが設置できるようになっており、椅子の片側は取り外されて車椅子のまま乗車できるようになっていた。
私からはこのような指示は出していなかったので、オリヴィエ様自身が指示されたのかと思ったが、反応を見る限りどうやら違うようだ。
ちらりとジャスパーを伺うと、にこりと微笑まれた。私は彼の細やかで暖かな気配りに心の中で感謝しつつ、馬車に乗り込んだ。オリヴィエ様も問題なく車椅子のまま乗車することができ、どこか嬉しそうだ。
「ご主人様、ミュリエル様、お気をつけていってらっしゃいませ」
「えぇ、留守をよろしくね」
私とオリヴィエ様を乗せた馬車はゆっくりと進み出し、大聖堂へと向かって行った。グランジュ公爵邸が王都の中心に近い場所にあるため、大聖堂まではそこまで距離はない。しかし、病を患っているオリヴィエ様の急な体調の変化に備えて、普段よりもスピードを落として進んでいる。
「ミュリーも、アルやロレッタと会うのは久しぶりですか?」
「…そうですね。3ヶ月ぶりくらいでしょうか」
手紙のやり取りは頻繁に行なっているが、お二人とも私とは比べ物にならないほど多忙なのだ。なかなか直接お会いして話す機会は作れない。
「ロレッタとは随分仲良くなったみたいで、なんだか意外ですね。ミュリーとはかなり性格が違うと思うので」
「私も、オリヴィエ様と婚約する前の自分にロレッタ様の親しくなると言っても信じてもらえないと思います」
元々、私は社交界にほとんど顔を出さない斜陽伯爵令嬢で、ロレッタ様は社交界の華と呼ばれる名門侯爵家令嬢だったのだ。私はロレッタ様のお名前と存在は知っていたが、直接関わる機会など全くなかった。
それにもかかわらず、今はこうして大切な友人となり、結婚式にまで参列するような関係となったのだから、人生というものは分からない。
「ロレッタは、地位と容姿と性格から、なかなか親しいと呼べるような同性の友人ができませんでした。ですから、彼女もミュリーに感謝していると思いますよ」
オリヴィエ様は昔を懐かしむように笑い、窓の外を眺めた。彼にとって1年ぶりとなる外の景色は、美しく写っているだろうか。
しばらくして馬車は止まり、御者によって扉が開かれた。
「大聖堂に到着いたしました」
「あぁ、ご苦労だった」
私は御者の手を借りて馬車から降り、オリヴィエ様の車椅子も下ろしてもらった。本当は私がやりたかったのだが、あいにくドレスでは難しい。この先は使用人を連れて歩くことができないので、私が直接彼の車椅子を押すことになるのだが。
「オリヴィエ様、心の準備はよろしいでしょうか?」
「はい、大丈夫ですよ。ミュリーがいてくれますから」
私は彼に笑いかけ、車椅子を前へ進めた。同時に、周囲からの視線が集まっていることに気がつく。
元より、グランジュ公爵家の当主というだけで注目の的であったオリヴィエ様が、1年ぶりに表へ顔を出し、それが車椅子姿なのだから無理はない。私は手が小刻みに震えているのを感じながらも、それを表情に出さないよう細心の注意を払った。良くも悪くも注目されているのだから、私のせいでオリヴィエ様が悪く言われては困る。
オリヴィエ様の体に負荷がかからないよう、ゆっくりと進み、大聖堂の入り口までやってきた。神官に招待状を手渡すと、そのまま私たちの席まで案内された。大聖堂の入り口から入って左側、1番前が割り当てられているようだ。
「へぇ、親族席ですか。アルも大胆なことをしますね」
オリヴィエ様の言葉に、私の息はひゅっと吸い込まれた。確かに、1番前は親族が着席する場所だ。式の段取りに慣れている神官が間違えるとは思えないが、普通なら王族ではない我々が座って良い席ではない。
「確かに私には王族の血が流れていますが… まぁ、アルが問題ないと判断したのであれば良いのでしょう」
その理屈でいくと、私はここに座ってはいけないことになる。私には当然王族の血は流れていないし、正式にグランジュ公爵家の一員となったわけでもない。今の私はただ、オリヴィエ様と婚約している斜陽伯爵令嬢なのだから。
「オ、オリヴィエ様、私もここにいて良いのでしょうか?」
「私が良いのであれば、ミュリーも問題ありませんよ」
謎のとんでも理論で諭された私は、渋々前を向いてこの席に座ることを受け入れた。当然、背中にビシビシと視線の矢が突き刺さっているので、一瞬たりとも油断はできない。
「ミュリーは普段通りにしていれば大丈夫ですよ。親族席に座っている我々に文句を言うことができる貴族はいませんから」
「そっ、そうですね…!」
幼い頃から貴族社会の中で生きてきたであろうオリヴィエ様とは違い、私はほぼ平民と変わらないような生活を送ってきた。このような場面で堂々と振る舞えるほど、社交スキルは高くない。
「そうよぉ、心配はいらないわ」
そんな私の右側から声をかけてこられたのは、王妃様だった。お隣には国王陛下、その後ろには王族の方々が並んでおられた。
反射的に立ち上がり、ご挨拶をしようとした私を、王妃様はそっと制した。
「ミュリエルちゃんったら、私たちは親族なのよ。かしこまった挨拶はいらないわ。ね、オリヴィエ?」
「…ローズ様がよろしいのでしたら」
オリヴィエ様の表情は、明らかに諦めだった。私もご挨拶を諦めて座り直した。
私の右隣には王妃様が、そのお隣には国王陛下がお座りになり、他の王族の方々も続かれた。横目にその様子を伺い、自分の異質さに気が遠くなりそうだった。




