第五話
「アルフレッドとの面会までまだ時間もあることですし、少し王城内を案内しましょうか」
オリヴィエ様は私の手を取って、勝手知ったるという顔で案内をし始めた。
「オリヴィエ様と第1王子殿下は親しい関係にあらせられるのでしたよね?」
「そうですね。彼とははとこという関係になりますし、歳も近いので幼い頃から共に過ごすことが多かったのですよ」
オリヴィエ様の祖父にあたる、先々代グランジュ公爵は当時の王弟殿下だった。グランジュ公爵令嬢に一目惚れをして、婿入りしたという話は政略結婚が主流のこの国では珍しい恋愛結婚の例として割と有名だったりする。
「アルのことは面会の時に詳しく紹介しましょう。今は…そうですね、まずは庭園に行ってみましょうか」
オリヴィエ様に手を引かれつつ歩く庭園は、この世のものとは思えないほど広く、美しいものだった。
「今はちょうどバラが見頃ですね。残念ながら、すみれはもう終わってしまいましたか」
「オリヴィエ様はすみれがお好きなんですね」
「いえ、すみれが好きなのはミュリーでしょう?」
「…えっ」
オリヴィエ様は当然でしょうという顔をしたけれど、急に私の好みだと言われたので驚いてしまった。
「確か、文通を始めたばかりの頃に伯爵家の庭にすみれが咲いたという話を聞いた記憶があります。自分の髪色に似ているから好きだとも言っていたと思うのですが、違いましたか?」
「…いえ、その通りです。よく覚えておられますね」
正直、そのような内容の手紙を書いたかどうか、記憶は定かではない。もう10年も前の話なのだから、覚えているオリヴィエ様の方がすごいだけだ。
「少し体調の良い日は、手紙を取り出して読んでいましたからね。ミュリーよりもずっと、手紙の内容を覚えている自信がありますよ」
オリヴィエ様が病に伏していた5年の間、手紙を読み返していたのなら納得できる。それにしても私が好きな花の種類まで覚えているのは超人的だが。
「もちろん、ミュリーが好きな花ですから、すみれも好きですよ」
そう言ってふんわりと笑ったオリヴィエ様の笑顔は優しさをたたえていた。周囲に咲き誇る大輪のバラに負けない、すみれのように。
「ヴィー、そちらのお嬢さんが君の婚約者殿かな?」
「…アル、その呼び方はもうやめてくれと何度言ったら分かるんですか?」
私の背後から声が飛んできて、それにオリヴィエ様が答えた。振り返るとそこには、ニコニコと楽しげな笑みを浮かべた男性が。
はぁっ…と大きなため息をついたオリヴィエ様は、その通りです、と言って私を紹介してくれた。
「彼女が私の婚約者となったミュリエル・アリスタシー伯爵令嬢です。ミュリエル、彼は第1王子のアルフレッドです」
「お初にお目にかかります、殿下。ミュリエル・アリスタシーと申します」
急な対面にしてはそつなく挨拶をこなせたと思う。先ほど陛下にご挨拶した時に人生最大の緊張を味わったので、心臓が強くなったのかもしれない。
「ご丁寧にどうも。アルフレッド、いや…ヴィーの婚約者殿ならアルと呼んでくれても構わないよ」
さぁっと私の顔から血の気が引いたのが分かった。
「とっ、とんでもございません殿下。どうかご容赦くださいませ」
「そう? まっ、君が呼びやすいように呼んでくれたら良いよ。これから顔を合わせる機会も多くなるだろうしね」
斜陽伯爵家の人間である私には、あまりにも酷な提案だった。今まで直接お話ししたこともなければ、もちろん関わりもなかったというのに。
「アル、私のミュリエルを困らせるのはやめてください。だいたい、後で正式に面会の場を設けるはずだったのにこんなところで何をしているんですか…」
「ヴィーの婚約者殿に会えると思ったら待ちきれなくてね」
殿下の返答に、またオリヴィエ様はため息をついた。
「全く、相変わらず仕方のない人ですね」
やれやれと言いたげな表情と態度のオリヴィエ様だが、どこか嬉しげだ。きっと、オリヴィエ様と殿下はとても仲の良い友人同士なのだろう。やり取りから互いの信頼が見て取れる。
そんなオリヴィエ様と殿下の案内で、王城の一室へと通された。
「ここはアルの執務室で、もう1人私の友人が顔を出す予定なのですが。まだ約束より早いので来ていませんね」
「もうそろそろ来ると思うよ。ほら…」
殿下が扉の方を見やった瞬間、バンッと音を立てて扉が開いた。
「アルフレッド様、そろそろオリヴィエの婚約者様がお見えになる時間ですよ。急いで準備をっ…ひっ!」
扉の奥から顔を出した男性は私の顔を見て小さな悲鳴をあげ、勢いよく頭を下げた。
「も、申し訳ありません。まさかもうお見えになっていたとは知らず…」
「いえっ、どうか頭をあげてください!」
「ほら、早く座りなよ」
殿下に促された男性は、申し訳なさそうにソファへ腰を下ろした。
「改めまして、ジョスラン・エイデンと申します。先ほどは失礼いたしました」
「いえ、お気になさらないでください。私はミュリエル・アリスタシーと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
エイデン様に非がないことは間違いないが、かと言って私に非があるかと言われると否である。
「それにしても、ヴィーが婚約かぁ。正直、この中で1番最初に婚約するとは思っていなかったよ。社交界でも全く浮いた話を聞かなかったからね」
「確かにそうですね。いつの間に、という感想が最初に出てきます」
殿下もエイデン様も、全くもって不思議だと思っている様子。私との文通は、ご家族にも内密にしていたようなので、おふたりにも話していないのだろう。
「ミュリエルとは旧知の仲ですからね。2人が突然だと感じても不思議ではありません」
「へぇ、旧知の仲、ね」
何か言いたげな殿下だが、それ以上は何もおっしゃらなかった。
「今はまだ社交界にも知れ渡っていないですけれど、それも時間の問題ですね。もうしばらくすれば、オリヴィエを慕っていた令嬢たちの嘆きが聞こえてくるでしょうね」
「ヴィーは人気だったからね」
おふたりの言葉に、オリヴィエ様は少々不満げに抗議した。
「2人とも、ミュリエルの前で余計なことを言わないでください。社交界で人気だろうが、私は全く興味がないので関係ありません」
「…まぁまぁ、ヴィーがアリスタシー嬢以外に興味がないのはよく分かったよ」
オリヴィエ様は病気ではあったものの公爵位を継いでいる上、美しい容姿をしているので社交界では優良物件だったことだろう。私は社交界と関わりがなかったので知らないが、オリヴィエ様に想いを寄せていた令嬢たちも多くいたという話には納得できる。
だからといって、それに対して私が何かを思うことは特にないけれど。
「またいつでも遊びに来てね。歓迎するよ」
「はい、ありがとうございます」
「行きましょうか、ミュリー」
殿下とエイデン様にご挨拶をして、差し出されたオリヴィエ様の手を取った。
帰り道、私は馬車の中でうっかりうたた寝をした。陛下や殿下にご挨拶をして、精神的に疲労していたのだろう。
夕方、自室のベッドで目を覚まして、使用人に「ご主人様が運んでくださいました」と言われて恥ずか死にそうになったのはまた別の話。




