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諦めの悪い伯爵令嬢は、婚約者様の人生最後で最大の願いを絶対に叶えたくないのです  作者: らしか


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第四十九話

しばらくの間、泣き続ける私を何も言わずに見守ってくださったオリヴィエ様。途中から私も申し訳なくなってきて、次第に落ち着くことができた。


「落ち着きましたか?」

「…はい」


申し訳なさと恥ずかしさで顔が熱くなっているのを感じる。

私はそっとオリヴィエ様から離れようとしたけれど、腕の拘束からは逃れられなかった。


「逃げないで、もう少しこのままで、いてください」


そう言ったオリヴィエ様は、私の肩に頭を乗せて、そのまま動かなくなった。一定のリズムで刻まれる心音と温かな体温のおかげで、私のざわついた心も少しずつ平穏を取り戻していった。



「ミュリーが頑張ってくれたことには、とても感謝しています。ただ、怒ってもいるんです。危険なことは、しないで欲しかった。もしもミュリーに何か、あったら、私はもう…」


ぽつりぽつりと話し始めたオリヴィエ様。私は彼に、まだ何も話せてはいない。それが彼の心を守るためだったとしても、オリヴィエ様がそれを知る由はない。


「もう2度と、私に相談しないまま、危険なことをするのはやめて、ください。それは、私が代わりにやります、から」


私はこくりと首を縦に振って了承の意を示した。

オリヴィエ様の病気に関する調査は終了し、オフェレット伯爵夫人と令息に関することは第1王子殿下へお任せしている。もう私が自ら動き、危険なことをする機会はないだろう。


しばらくしてようやく腕を緩めたオリヴィエ様は、ゆっくりと体をベッドに倒して、少し苦しそうに呼吸をした。


「まだ、だめですね」


私は彼の体に布団を掛け、ベッドから降りて元の椅子に座り直した。


「無理はなさらないでください。治療が順調とはいえ、長い間病床に臥せっていた体がそう簡単に回復するはずがないのですから」


体調に波があれど、6年もの間、オリヴィエ様の体は病に蝕まれていたのだ。特にここ半年間は急激な体調の変化が起こり、ほとんど目を覚さないような時期もあった。見るからに痩せ、体を支える筋力も衰えているはずだ。

私を心配し、気遣ってくださるのは本当にありがたく嬉しいことだけれど、そのせいでオリヴィエ様自身の体調が悪化するようなことはしてほしくない。何よりも私は、彼の体が元の健康な状態に戻る日が来ることを、心から待ち望んでいるのだから。


私の言葉に微笑んで返答したオリヴィエ様は、そのまま瞳を閉じて眠りにつかれた。



それからまた1ヶ月が過ぎ、今日もいつもと同じようにお医者様が薬剤の投与と経過観察にお越しになった。


「特に問題はございません。順調に回復なさっておられます。このご様子ですと、そろそろ流動食から固形食へ移ってもよろしいかと思います」


そんなお医者様の言葉に、私は思わず少しばかり大きな声を出してしまう。


「本当ですか!?」

「はい。弱っていた胃の消化機能も随分と戻っておられますし、少々柔らかめに調理したものであれば全く問題ございません」


にっこりと微笑んでそう言ったお医者様は、しっかりと食事をとることが1番大切な治療ですから、と言った。

オリヴィエ様はもうしばらくの間、流動食ばかり召し上がっていた。料理長が腕によりをかけて用意していたので、それ自体は美味しいものだったのだが、やはり固形食には敵わない。私としても、早くオリヴィエ様と同じ食事をとれるようになりたいと思っていたので、このお医者様からのお墨付きはまさに吉報だった。


「それでは、今日の食事から固形食へと移行いたしましょう。オリヴィエ様、よろしいでしょうか?」

「…はい。楽しみに、しています」


オリヴィエ様の温かい春の日差しのような笑顔を受け、私までもが心躍るようだった。


お医者様がお帰りになった後、私はミラに料理長への指示を託した。今日からオリヴィエ様の食事を固形食にすると。

そして、私は2ヶ月ほど前にオリヴィエ様と交わした約束を思い出した。言葉は途切れ途切れだったけれど、確かに聞き取ったあの約束を。


「この調子で、いつか…」


起きていられる時間が増え、固形食を食べられるようになり、ほんの些細なことだけれど、こうして少しずつ回復に向かって進んできていることが何よりも嬉しい。オリヴィエ様も、以前のように生きることを諦めている様子はない。まだまだ、未来に向けて生きる希望を持つほどではないのかもしれないけれど、一時のことを思えばそれだけでも十分だと私は思う。日々の小さな喜びが積み上がることでいつか、未来を生きる希望になることを期待して、私はオリヴィエ様の回復を見守るのだ。



「お食事をお持ちいたしました」


晩餐の時間になると、オリヴィエ様の部屋に食事が届けられた。まだベッドから降りられないオリヴィエ様のために専用の机が作られ、それに固形食が並んでいく。私の前にも同じ料理が並べられ、まるで同じ食卓を囲んでいるようだ。


「本日のお食事は、ご主人様とミュリエル様、お二方とも同じメニューとなっております。ここまで頑張ってこられたお二方に美味しい食事を召し上がっていただきたい、と料理長が腕によりを掛けて作ったと豪語しておりました」


「オリヴィエ様と同じものが食べられるのはもう随分と久しぶりのことですわね」


私はただそれだけのことなのにも関わらず嬉しくなって、言葉や態度にそれが出てしまう。オリヴィエ様も私と同じように嬉しく思ってくださっているようで、うっすらと微笑みをたたえている。


「失礼いたします」


そう言って部屋を出て行った使用人を見送り、私とオリヴィエ様はしばらくの沈黙を過ごす。

言葉にしたいことはたくさんあったのだけれど、ただ今の状況を嬉しく思うこの気持ちを適切に表せる表現が私には見つけられなかったのだ。

同じ食事を、同じ空間でとれることは、今まで数え切れないほどの苦しみを味わってきたオリヴィエ様と、お世話や調査に身を捧げてきた私へのご褒美なのかもしれない。


「…いただきましょうか」


ようやく口を開いたオリヴィエ様の言葉に私は短く、はい、とだけ答えて、スプーンを手に取った。オリヴィエ様も私の様子を伺いながら同じようにスプーンを手にした。


今日のメニューは、料理長が腕によりを掛けて作ったという使用人の言葉の通りに豪勢なもので、オリヴィエ様にも食べやすいように全ての食材が柔らかめに調理されている。しかし、その調理に違和感はなく、むしろ良さとなっているのが料理長の確かな腕の証拠と言えるだろう。


「…美味しい」


手から水をこぼすように、とても小さな声で放たれた言葉。この世界で私にしか聞こえなかったその言葉は、紛れもなくオリヴィエ様の本心から出たものだった。


「本当に、とても美味しいですわ」


オリヴィエ様が倒れられたあの日の晩餐から、食事に味を感じられなかった時もあった。そのためにおろそかにしがちだったのだが、今日こうして再び共にできたことで、私は食の喜びを取り戻すことができたのかもしれない。


「ミュリー、私のお願いを聞いてくれて、ありがとうございます」


2ヶ月前、まだ起き上がることも話すこともままならなかったオリヴィエ様と交わした、再び固形食を食べられるようになった時には一緒に食事をとる、という約束を、ようやく叶えることができた。

この調子でいけば、いつかまたダイニングルームで顔を合わせて食事ができる日が来るかもしれない。


「いえ、私は何も。オリヴィエ様が頑張られたおかげですわ」


私は彼に微笑みかけた。病に侵されるのと同じくらい辛いという治療に、苦しみつつも耐えているオリヴィエ様の努力には目を見張るものがある。とてもではないが、半年前の彼と同じ人だとは思えない。

オリヴィエ様にも、彼なりの心変わりというものがあったのだろうか。


そんなことを考えながら、私は一生の思い出に残る今日の晩餐を噛み締めた。

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