第四十八話
殿下からオリヴィエ様に宛てられた手紙が本人に読まれたのは、それから1ヶ月後のことだった。その頃にはオリヴィエ様の体調も少しは改善しており、再び体を起こせるようになっていた。
「オリヴィエ様、実は第1王子殿下からお手紙を預かっておりますの。もう1ヶ月も前に届いたものなのですが、ようやくお渡しできますわ」
私は、箱に入れて保管していた手紙を手渡した。
「アルから…?」
不思議そうな顔をしつつも受け取ったオリヴィエ様は、開いた手紙としばらくの間にらめっこしていた。内容は全く知らないが、オリヴィエ様の笑顔を見るだけでそれを察することができるような気がする。
私はしばらくオリヴィエ様をひとりにして差し上げようと、そっと部屋から出た。
「…良かった」
この1ヶ月が今までで1番長く感じた。病名がつき、治療法が判明したが、そこからが本当の試練だったのだ。治療には苦しみが伴う。オリヴィエ様は毒素を体から排出する作用を持つ薬を毎日服用していたが、見ている私までもが辛く感じるほどにその日々は苦しそうだった。
まだまだオリヴィエ様の体は回復の途中で、全快には程遠い。それでも私が諦めずに求め続けた元気なオリヴィエ様と過ごす未来は、確実に近づいてきている。
私はオリヴィエ様の部屋の扉に背を預け、ほぉっと息を吐いた。
「読み終わりましたか?」
しばらくして部屋へ戻った私はオリヴィエ様に問うた。
「はい。ありがとうございました」
オリヴィエ様は手紙を箱に戻して、枕元に置いた。その手つきは大切なものを扱うそれで、オリヴィエ様が殿下に対して抱いている感情を察することができた。
「内容は、少しだけミュリーにも、共有しておきますね」
まだ長い時間話すことが負担になるオリヴィエ様が自らそう言うのだから、何か大切な話なのだろう。
「はい」
私は椅子に座る姿勢を正して、オリヴィエ様の目をまっすぐ見た。けれど、その姿勢はすぐに崩されることになる。
「ミュリー、こちらに寄ってください」
オリヴィエ様はベッドの端をぽんぽんと叩いて、戸惑う私を急かす。彼の意図は分からないが、特に拒む理由もないので、立ち上がってベッドに腰掛けた。
「お話は、なんでしょうか?」
大切な話をするというのに、私はこんな体勢で良いのだろうか?
そんなことを考えていたのも一瞬で、オリヴィエ様の行動でその後の思考はすべてそれに占領されてしまった。
「危険なことをしたと、書かれていました。何をしたのか、教えてくれますか?」
オリヴィエ様の腕が私の肩に周り、耳のすぐ近くから声が聞こえる。背に回った手の震えが、彼の体が病に蝕まれている何よりの証拠だ。
「…えっ、と…何のことでしょうか?」
自覚がないのと頭が回らないのとで、答えることができない。今まで何度か抱擁を交わしたことはあったが、いまだに慣れはしない。
「ミュリーが、私の病気について調べていた、と、アルが教えてくれました。その過程で、ミュリーが危険なことをしたと、書かれているのですが、心当たりはありませんか?」
ゆっくりと、途中で止まりながらも話すオリヴィエ様。肺が立てている音が聞こえるほどに、私たちの距離は近い。
オリヴィエ様にそこまで言われてようやく、私は何を聞き出そうとされているのかを理解した。しかし、これを話すとなると、私が約半年間行ってきた調査のほぼ全てを話すことになる。それ自体には問題はないのだけれど、今のオリヴィエ様は療養中なのだ。幼少期から可愛がってくれた叔母に命を狙われていたという話をして、彼の心に取り返しのつかない傷を作ってしまわないだろうか。
私の懸念は、ただその1点なのだけれど。
「ない、わけではないのですが…」
私は言葉を濁した。話せないわけではないが、今が適切なタイミングではない気がして。
そんな私の様子に、オリヴィエ様は眉を下げる。
「…分かり、ました。話しにくいのであれば、今は無理には聞きません。ただ、1つだけ、教えてください。ミュリーは、傷ついていませんか?」
その言葉に、私はほんの少し体を震わせて反応を示してしまった。これで、悟られないというのは無理な話。
オリヴィエ様は、ただ黙って私を包む腕に力を込めた。
「…とても、怖い思いをしました。今まであんなふうなことは経験がなくて、ロレッタ様には大丈夫だとお伝えしたのですが…」
レック、エリック・オフェレットに手首を掴まれ、身動きができない状態にされた時、今までに感じたことがないほどの恐怖を感じた。それまでオリヴィエ様以外の同年代の男性と関わったことも、触れ合ったこともなかったので、余計にその恐怖は大きくなった。
ロレッタ様には詳しいことをお話ししていないけれど、令息の取り調べを担当したエイデン様やその上司の第1王子殿下は詳細を把握しておられるだろう。
その上で殿下は、私の精神面のケアをオリヴィエ様にさせようと、このような手紙を書かれたのだと推察できる。私はまだまだ、周りの優しい人たちに気遣われ、守られているのだと実感する。
「…そうでしたか。辛いことを思い出させて、しまって、すみません」
なぜか、何も悪くはないオリヴィエ様が謝った。私は慌てて、否定する。
「いえっ! 今はもうなんともありませんから。オリヴィエ様がこうして回復の道を進まれている姿を見られただけで、私は…」
自分の意思と反して流れていく涙。
エリック・オフェレットとの件は私の中で折り合いがついているし、オリヴィエ様のお世話をする日々もそれ自体は辛くはなかった。それなのに、自分の涙は止められそうにない。
「…ミュリー、すみません。あなたには辛い思いばかり、させてしまって。私の病気のことも、怖い思いをしたことも…」
「違います… そんなのではなくて。悲しくないのに、辛くないのに、止まらなくて…」
私はオリヴィエ様の腕の中で、えぐえぐと泣いた。
ミラやジャスパーが私を手伝ってくれていたけれど、やはり私は苦しかったのかもしれない。今はただ、オリヴィエ様の暖かさに甘えていたい。




