第四十七話
それから、オリヴィエ様の治療は順調に進んで行った。以前よりもずっと、起きていられる時間と回数が増えてきたのだ。
「…ミュ、リー」
「はい、ここにおりますわ」
私の名前を呼んだオリヴィエ様は、そのままゆっくりと目を閉じてそれ以上は何も言わない。私たちはこんなことを毎日繰り返している。
まだ体力的に長く話をすることは叶わないけれど、ほとんど目を覚まされなかった時のことを考えれば、随分と快方へ向かっていると言える。
「オリヴィエ様、庭園にすみれが咲き始めましたわ」
「……」
言葉は返ってこないけれど、わずかに上がった口角を確認して私は話を続ける。
「もう春ですものね。以前、オリヴィエ様の指示で植えられた特別な品種のすみれはまだ時期ではないようですけれど」
最近の私は、庭園に出るようになった。オリヴィエ様の体調が酷く悪い時期は私の気分までもが滅入って、とてもではないが楽しく庭園を見て回る気にはなれなかった。でも今は、少しずつ体調を整えているオリヴィエ様に、少しでも外の世界のことを話したいと思うのだ。
部屋から見える庭園の景色ももちろん綺麗だけれど、やはり実際に近くで見るのとは全然違う。私が話をすることで、オリヴィエ様が自分の目で見たいと思ってくれないだろうか、という気持ちもある。
「概ね良好でございます。毒素の排出には時間がかかりますので、このまま治療を継続していけば症状の緩和が期待できると思います」
「分かりました。ありがとうございます」
現在のオリヴィエ様には、体に蓄積した金属類を排出するための薬剤が投与されている。何せ6年もの間、体に取り込み続けていたのだ。そう簡単には排出できない。
それに、後遺症が残る可能性がかなり高いとお医者様から説明を受けている。こればかりはどうしようもできないことだ。このような状態になったにも関わらず、命が助かる方法があるだけ感謝しなければならない。
お医者様は本日分の治療と経過観察を終えた後、ぺこりと礼をして帰っていった。
「オリヴィエ様」
私の呼びかけに、反応を示すオリヴィエ様。そのちょっとした仕草が嬉しくて、自然と口角は上がる。
「この先、流動食以外の食事が許される時が来たら、1番最初の食事は何が良いですか?」
彼はいつもより目を大きく開いて、驚いたような表情を見せた。
それはおそらく、私がこの先という言葉を使ったからだろう。ここ半年、私は未来の可能性を語るような言葉は一切使わなかった。なぜなら、オリヴィエ様自身が生きることを諦めていたからだ。自ら未来を捨てていた彼に、どんな言葉をかけてもきっと、心には届かない。そう直感的に思っていた。
けれど今の彼は、もう大丈夫だ。少なくとも、生きることを諦めていた彼とは違う。少しずつ未来への希望が生まれてきていることは、1番近くで見ている私にはよく分かる。
だからこそ、この先という言葉を使った。今の彼にその自覚はなくても、未来への希望を言葉にしてほしい、と私はそう願った。
オリヴィエ様はしばらく考え、ゆっくりと口を開けた。
「…と、い…ょに…」
掠れ、途切れ、きちんとした言葉にはならなかった。でも、私には分かる。ずっとそばにいた、言葉を聞き続けてきた。彼が伝えたいことは、言葉以外からも読み取れる。
「…分かりました。必ず、そういたしましょう」
オリヴィエ様の手を握った私の目からは涙がこぼれ落ちた。オリヴィエ様の前では泣かないと決めていたのに、抑えきれない感情が溢れてしまった。
「…すみません、泣くつもりは、なかったのですが」
わずかに、オリヴィエ様の手に力が入った。弱い力で、本当に誤差のような違いだけれど、ただそれだけで私の心が救われるのには十分だった。
「楽しみです」
オリヴィエ様の部屋から出た私は、隣の私室に戻った。今日は大切な報告書が届く日なのだ。これはまだ、オリヴィエ様の耳に入れることはできない内容。そのため、彼には悟られないように私の部屋でこっそりと。
「ミュリエル様、王城より書筒が届きました」
「ありがとう、ミラ。あなたは下がって良いわよ」
相変わらず見た目の豪奢な書筒を手に現れたミラは、私にそれを手渡してすぐに退室していった。彼女もこの中身が何なのか、あらかた見当がついているだろう。
私は呼吸を落ち着けて、気持ちを沈めてから書筒を開いた。
中には紙が5枚ほど収められているのが見える。おそるおそる取り出して広げると、国王陛下直筆の書類が目に入った。
『ライラ・オフェレット伯爵夫人への処分を以下のように決定した。
彼女は自身の立場を利用し、国を支える重要な役割を担うグランジュ公爵家当主を殺害しようとした。その罪は到底許されるものではない。よって、情状酌量の余地はないと判断した。
ライラ・オフェレットを身分剥奪の上、終身禁錮刑に処す
この決定は、ランティーリ国王である我によって定め、覆されることはない』
整いつつも風格のある字で記されたその罪状。私が予想していたよりもずっと重い罪が科された。
次の書類には、国王陛下が私に宛てた私的な手紙だった。
『アリスタシー嬢、息災であろうか。
ようやくこの事件にも1つ大きな区切りをつけることができた。遅くなってしまい申し訳ない。オフェレット伯爵令息、エリック・オフェレットの量刑を決めるのはもう少し時間がかかりそうだ。必ずアリスタシー嬢への行いを償わせるつもりだ。
アルフレッドから報告は受けているが、公爵が快方へ向かっているそうで何よりだ。いつかその余裕ができた時で良い、2人揃った元気な姿を見られることを楽しみにしている』
あまりにも温かく、気遣いに溢れた言葉たち。国王陛下とは1度しかお会いしたことはないけれど、そんな私に対してもこんなに丁寧に接してくださるのだ。表現として正しいかは分からないが、さすが一国の王というところだろう。
残りの3枚は、第1王子殿下とエイデン様から私に宛てた手紙、そして第1王子殿下からオリヴィエ様に宛てた手紙だった。
私はその最後の1枚にだけは目を通さず、そっと畳んで机に置いた。殿下が私が中を確認する書筒にオリヴィエ様宛の手紙を同封したということは、私が読んでも構わない内容だということなのだろう。しかし、私はそれを良しとしなかった。殿下とオリヴィエ様は幼い頃からの友人で、はとこ同士という関係でもある。そんな彼らが交わす半年ぶりの言葉は、2人だけのものであるべきだ。
私は最後の1枚以外の書類をすべて書筒にしまい、その1枚はオリヴィエ様の部屋へと持っていった。




