第四十五話
王城での調査結果の報告を受けた日から、私はオリヴィエ様の治療方法を調べ始めた。
現時点で分かっている情報をまとめ、ミラとジャスパーに事実確認をしながら紙に書き出していく。
「オフェレット伯爵夫人から例の紅茶が贈られてきたのは、オリヴィエ様が15歳の頃からよね?」
「はい、その通りでございます。その頃から夫人は公爵邸にお越しにならなくなり、代わりとして紅茶が贈られてくるようになったという経緯でございますね」
基本的に公爵邸へ贈られて来るものは全て事前に開封され、安全性が確認される。そのため、オリヴィエ様の手に渡るものに危険はないはずなのだ。しかし、例の紅茶は実の母親のような関係性であるオフェレット伯爵夫人からのものであったし、毎回のことだったので途中からはその確認が行われなくなったそうだ。
「つまり、オリヴィエ様は15歳から現在に至るまでその紅茶を日常的に摂取し、体内に鉛を取り込み続けていたということになるわね。えぇと… 鉛が引き起こす症状としては、頭痛、腹痛、貧血、重症化すると痙攣や昏睡に至ることもあるそうよ。王城で行われた調査からも、原因が鉛であることは確認が取れているから、今後は治療方法を探していくことになるわ」
私1人で調べられることには限界がある。普段からオリヴィエ様の診療を担当しているお医者様に協力を依頼するのはもちろん、屋敷の中で調査内容を把握している数少ない人間であるミラとジャスパーにも調査を手伝ってもらう必要がある。
「私はこれから、屋敷の蔵書の中から参考になりそうなものを探す作業を行うわ。ジャスパーは近いうちにお医者様へ連絡をして、私から説明を出来る機会を設けてちょうだい。ミラは私と一緒に蔵書を探して欲しいの。もう残された時間はそう長くないでしょうから、あまりゆっくりはしていられないわ。2人の協力にかかっているわ」
私の言葉に、2人は力強く頷いて了承の意を示した。
「お任せください」
こうして、私は再びオリヴィエ様の部屋に篭り、蔵書を調査する日々を送ることとなった。
お医者様には私から詳しい説明をして、オリヴィエ様の病が本当に鉛が原因となっているかを調べてくださることになった。病気の専門家であるお医者様が調べてくださる方が、素人である私が調べるよりもよほど正確性に信頼がある。
「ミュリエル様、そろそろ1度お食事をお取りになってくださいませ」
「あら、もうそんな時間?」
読んでいた本を閉じて窓から外を見ると、陽は完全に落ちていた。
「昼食もお召し上がりになっておられませんよね? このままではお体に障りますわ」
「そうね、ここへ運んでもらえる?」
ミラは微笑みつつも仕方がありませんね、とでも言いたげな表情で厨房へと消えていった。
「オリヴィエ様も、目を覚ましてくだされば一緒に食事が出来ますのに…」
私は彼の顔を覗き込み、様子を伺った。
オリヴィエ様は、もう長らく目を覚まされていない。その事実が、残された時間の短さを感じさせる。
あの日、オリヴィエ様が晩餐中に倒れられてから約半年。外は春の息吹を纏い始めている。朝になるとうっすら雪を纏っていた庭の低木や花たちも、もう寒くはなさそうだ。
オリヴィエ様は体を起こして食事を取れるほど体調が良かった時期もあったけれど、この半年の間のほとんどを眠って過ごされた。そのため、悲しいけれど私はオリヴィエ様の寝顔を1番見慣れてしまった。
「私は、間に合わせることができるでしょうか…?」
不安が、口からぽつりぽつりと溢れていく。
「なるべく急いでいるのですが、私には難しい内容も多くて…」
私はもともと勉強が得意なわけではないので、調査が上手くいかないことは多い。その度にミラやジャスパーに助けてもらい、何とか少しずつ歩を進めてきたのだ。
もっと要領が良ければ、調査の経験があれば、と日々感じているけれど、実力不足を嘆いても何にもならないことは痛いほど理解している。今はそんな時間はなくて、調査下手なりに突き進むしかないのだ。
「私は間に合わせることができるでしょうか?」
今の私は、調査が間に合わずそのままオリヴィエ様を失うという未来を最も恐れている。そうなれば私は自分のことを一生許せなくなるだろう。
言葉にした不安は、誰にも受け取られることなく消えていった。今の状況で1番苦しいのはオリヴィエ様本人であるが、支える周りの人間も苦しみを抱えている。
私はオリヴィエ様への愛情を自覚した。自覚してしまった。だからこそ私はオリヴィエ様を失うことに大きな恐怖を抱いている。だからと言って、彼を愛したことを後悔はしていないけれど。
ジャスパーは、幼少期から成長を見守ってきた主人であるオリヴィエ様を失うことを恐れている。現在、唯一のグランジュ公爵家の直系であるオリヴィエ様を失えば、公爵家の後継に問題が出て来る。
第1王子殿下やエイデン様、ロレッタ様は大切な友人を失うことを恐れている。オリヴィエ様とは幼い頃から兄弟のように過ごしてきた殿下は特に。
「ミュリエル様、お食事をお持ちいたしました」
扉の向こうからミラの声が聞こえて、返事をするとサービングカートを押した彼女が姿を現した。
「ご主人様のご様子はいかがですか?」
「そうね… 良くも悪くも変わらないわ。焦っても仕方がないことなのだけれど、目を覚まされないのは不安になるわね」
ミラは、そうですね、もう随分とお目覚めになっておられませんから、と配膳をしつつ言う。
「料理長がミュリエル様がお食事をお取りにならないので寂しがっていましたよ」
「申し訳ないことをしたわね。時間を気にしていなかったの」
私はなるべく早く調査を進めるために、日中の時間を全て作業に充てている。
「ミュリエル様のご希望があれば出来る限り叶えると料理長が意気込んでいたので、お身体のためにも3食きちんと召し上がってくださいね」
「分かったわ。気をつけるわね」
オリヴィエ様の治療法を見つける前に私が倒れてしまってはいけない。ミラや料理長の言う通り、私自身の体調にも気を配らないといけないなと再確認させられた。




