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諦めの悪い伯爵令嬢は、婚約者様の人生最後で最大の願いを絶対に叶えたくないのです  作者: らしか


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第四十二話


暴言、暴力的な表現があります。苦手な方はご注意ください。




私は反応のない彼に対し、もう1度手を離すように言った。しかし、聞き入れる様子はなく、私の手を掴む力はますます強くなっていく。


「いた、い…」


ギリギリと骨が音を立てそうなほど強く掴まれた手首。手の甲から伝わってくる壁の冷たさが、この状況を1人で解決しなければならないと焦りを大きく膨らませる。

彼が私の手を離してくれる様子はないので、しばしの間この痛みに耐え、交渉を試みる。


「どうして、このようなことをなさるのですか…!?」


私の問いに、彼は初めて笑みを浮かべた。けれど、目の奥は決して笑っておらず、オリヴィエ様と同じ薄緑色の瞳にも関わらずこんなにも印象が違うものなのか。

そして、彼はほぼ一息で自分の行動の正当性を説く。


「君は僕のものだ僕は君に何をしてもいいんだ君は僕に従わなければならない僕のほうが君よりも上だから君は僕に…!」


本能的に、怖いと思った。今までの人生で1度も感じたことのなかった、男性への恐怖。身動きが取れない状態にされ、私は抵抗ができない。何をされるかわからない。この状況が、私から唯一の武器であった言葉を奪った。


「母上もおっしゃったんだ君をどうしてもいい、僕のものだと。僕が今ここで既成事実さえ作ってしまえば君はもう僕からは逃れられない!!」


かなり良くない方向に話が進み始めた。彼は思考を自分の都合が良いようにしかできないようで、女性嫌いの様子はどこにもない。どちらが本当の彼なのかを今この状況で論じる価値は全くないが、おそらく今の彼が本性を現した状態なのだろう。


「抵抗を止めるんだエラ、君は僕には勝てない。僕をその身で受け入れろ。そうすれば結婚までは自由に行動させてやる」


彼が言っていることは明らかに私に対する侮辱であり、到底受け入れられるものではない。しかし、今の彼に対して冷静で常識的な対話を行うことは不可能だろう。どうすれば私はこの状況を安全に切り抜けられるだろうか?

恐怖で上手く働かない頭を、必死に動かす。彼の表情から察するに、もう私にあまり時間は残されていない。いつ強引に手を出されてもおかしくない。


私は俯き、短く息を吐いて再び顔を上げた。先ほどまでよりも彼の顔が近くなり、もう少し近づけば仮面同士が当たりそうだ。


「…分かりました。レック様のおっしゃる通りに致しますわ。この身も、好きにしてくださって構いませんが、その前に薬を飲ませてください」


彼はたいそう嬉しそうに笑って、良いだろうと手を離した。

おそらく彼は、私が妊娠を避けるための薬を飲もうとしていると思っている。しかし、私が今そのようなものを都合よく持っているはずもない。

ただ、手を離してもらうためだけの嘘だ。


「ありがとうございます、レック様」


私は恐怖による声の震えがバレないよう、必死に落ち着けて話した。怪しまれてはいけない、嘘だとバレてはいけない、奪い返した主導権を再び彼に返してはいけない。


頭の横に固定されていた手をそっと下ろし、ドレスの隠しポケットに手を入れる。まさか本当にこれを使うことになるとは思わなかったが、今使わなければいつ使うのか。

私は1度しかないチャンスを無駄にしないよう、慎重にタイミングを見計った。彼はじっと私の様子を観察しているので、直前までバレないようにするのは不可能だ。このまま、油断している彼の隙につけ込むしかない。


彼が一瞬、私の手元から目を離した。本当に僅かな、あってもなくても変わらないような隙。それでも今の私にとっては千載一遇のチャンス。

私はポケットの中身を素早く取り出し、彼の顔を覆うように押しつけた。


「な…!」


私は同時に彼の体を後ろ向きに押して倒し、形勢逆転を図る。まさかまだ私が抵抗するとは思いもしなかった彼は、受け身も取らないまま床に倒れた。そして、もう彼の口から言葉が紡がれることはなかった。


ことが片付き、少し冷静さを取り戻した私は立ち上がり、動かなくなった彼を見下ろした。


「早くロレッタ様の元へ戻らないと…!」


はっと気がついた。こんなところに長居する意味はない。この場から離れ、いち早く身の安全を確保するべきだ。

私は彼の顔にハンカチをかけて、置き去りにした。


1番近い扉から会場に戻った私は、もうずいぶんと人の少なくなったホールを見回して、ロレッタ様を探した。幸い、綺麗な黒髪は珍しいのですぐに見つかった。


「レティ!!」


私は焦りから、淑女としては大きすぎる声を出して彼女を呼んだ。そんな私の様子を見て、ロレッタ様は私に何かあったのだと察してくださった。


「皆さん、少し話をして参りますわね」


ロレッタ様は他の貴族たちに断ったあと、私の手を優しく取って壁際へと連れて行ってくれた。先ほど、彼に掴まれた手首の痕に、もう気がついているかもしれない。


「何かあったのですね?」


ロレッタ様の声はいつになく落ち着いていた。おかげで、私の焦りで震える声も少しばかり落ち着いた。


「…はい、オフェレット伯爵夫人と接触をして、お話をすることが出来たのですが…」

「それは私も遠目に確認しておりましたわ。ただ、途中からどなたかと一緒に2人でその輪を抜けましたわよね?」


ロレッタ様はやはり私の方に気を配ってくださっていた。まだまだ私は彼女のようにはなれないみたいだ。


「その通りです。相手はオフェレット伯爵令息、レックと名乗っていましたわ。伯爵夫人に、まもなく公爵となる自分の息子を結婚相手にどうかと勧められて… 調査のために令息へ近付いたのですが、少々手荒い真似をされましたの」


私の言葉に、ロレッタ様は焦って確認をする。


「何をされましたの!?」


私は首を横に振って続ける。


「大丈夫です、ロレッタ様。強く手を掴まれただけです。この程度の痕であればすぐに治りますわ」

「そういう問題では… あぁ、もう! お聞きしたいことはたくさんありますけれど、まずはそのレックとかおっしゃるクソやろ… いえ、えぇと、男性? はどちらに?」


ロレッタ様の口から発されるはずのない言葉が聞こえた気がしたが、今は気にしないことにして質問に答えた。


「廊下で倒れておりますわ。少々手加減を誤ってしまって…」


ミラが用意した眠り薬は効果の強いものだったようだ。護身用として用意したものが役に立って、良いのか悪いのかよく分からないが。


「まさか、ミュリエル様… 殺して…??」

「いっ、いえっ! まさか! 殺してはいませんわ、ただ眠り薬で気絶しているだけです」


先ほどからロレッタ様の様子が少しおかしい。彼女もこの状況に適応しきれていないのかもしれない。


「…ひとまず、人を呼んでその男性の身柄を確保いたしましょう」


ロレッタ様は私の手を引いて歩き出した。私はもう大丈夫だという安心感から、あまり頭が回らなくなったのでロレッタ様にただついていくだけだった。

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